小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

女性彫刻家ジェルメーヌ・リシエが遺したもの

2023年08月05日 | 芸術(映画・写真等含)

ジェルメーヌ・リシエ(1902~1959)とは、フランスの女性彫刻家であり、ロダン(1840~1917)の高弟であったアントワーヌ・ブールデル(1861-1929)のそのまた愛弟子である。ブールデルは日本各地で巡回展が催されたこともあるが、ロダンほどには馴染みがないかな? いや、「弓を引くヘラクレス」をはじめ多くの彫刻やレリーフなどが各地の美術館に所蔵され、目にされた人は多いのではないか。

また、ブールデルは自然主義のロダンの影響を脱して、独自の構築的な彫刻をめざしたとされる。それが、近代日本の彫刻界を牽引した高村光太郎をはじめ、佐藤忠良、舟越保武、後述する柳原義達らに多大なる影響をあたえたといえよう(アカデミズムから離れた在野の彫刻家グループ)。

▲弓を引くヘラクレス

▲瀕死のケンタウルス

さて、ブールデルの弟子筋にあたるのがジェルメーヌ・リシエであり、A・ジャコメッティだ。ロダンの弟子としては、カミーユ・クローデル(実弟が詩人・劇作家のポール・クローデルであり駐日フランス大使だった)という女性彫刻家がいたが、ブールデルは師匠ロダンにならって女性の弟子を受入れたのか・・、いや近代彫刻をめざす才能豊かな女性が多かったのか・・、それは詳らかではない。

ジェルメーヌ・リシエについて、敬愛する竹下節子氏が連載を始めたのは6月の終り。パリのポンピドーセンターで開催されたリシエの回顧展を氏が訪れ、独創的な作品群を撮りながらの印象記、観客の反応、リシエの人となりや芸術観を連日にわたり連載された。端的にして深遠、フランス文化の粋をあつめた洞察と独自の思考を積み重ねた記事と作品紹介。同一テーマについて掘下げて書くのは氏の慣例とはいえ、2週間以上も長く続けられるのは珍しいし、貴重である。

竹下節子氏は連載の最初のほうで以下の文章を書いている。

リシエの回顧展が開催されると知って、アート系雑誌で次々と特集されるのを購入して、作品の写真を見ただけで衝撃を受けた。リシエはジャコメッティを超えているとはじめて確信した。リシエとジャコメッティが第二次世界大戦中にスイスで共に活動していたことも知ったし、ブルデルを通しての共通点も再認識したけれど、ジャコメッティにはないある種の残酷性、容赦のなさがすごい。 蝕み、捻じ曲げることで何かが現れることを恐れないのは、絵画でいうと、何となくエゴン・シーレに通じるものがある。(ブルデルは、日本ではブールデルの表記が一般的。竹下氏の引用ではその表記を尊重し、そのままにした。)

竹下節子ブログ L’art de croire  「 ジェルメーヌ・リシエ 」

 

竹下氏のブログで紹介された作品は他にたくさんあり、展覧会におけるテーマにしたがって作品は紹介され、特筆すべき感想や論評、エピソードが書かれている。上記のリンク先をたどって、実際に見、読み、確かめていただきたい。

記憶にとどめたい竹下氏の文言は次のようなものだ(抜粋)。

リシエの胸像が、綿密なプロポーション計算のもとに頭部を完璧に再現しながら「人格」まで中に取り入れてしまうテクニックは驚くべきものだが、それが全身像へと進むときに顔がなくなったり、足がなかったり、片腕がなくなったり手や指がなくなるなど不思議な展開になる

リシエのすごいところは、形やテクニックの「探求」や「冒険」を決してやめないということだ。意志が強い、というより、マグマを湛えた火山のような人だ。

◆リシエのアトリエ内はまるで18世紀のキャビネ・ド・キュリオジテのような博物趣味にあふれていた。剥製、化石、骨、枯れ枝や根っこ、一見してぎすぎす、ごつごつしたものの中の凹凸の繊細さや内的な動線、震えに注目した。

 

▲リシエ本人。ネットからの転載

そもそも小生にとってジェルメーヌ・リシエを初めて見、知ったのだが、それ自体が不思議であり、自分でも訝しむ。写真で見る限りでも、これほど肉迫するような根源的な作品は見たことがない。表現するのは難しいが、芸術として求められる「美」の基準が斥けられている気配がある。「美」に統率力のようなものがあるとすれば、男性がもつロマンティシズムや支配力のような関係があるのではないか。ロダンはそういうものが嫌で、自然主義的な美を志向したのだと思う。

私見だが、リシエの創るものにジェンダーの呪縛は感じられない。フリーであり自らの創発が源泉であろう。生きること存在することの、たとえば肉の動きの感覚、痙攣、骨格と重力の関係、すなわち内在する身体感覚を物象化するような立体像だとおもう。表現を規定する量塊(マッス)からの解放か・・、いや土くれや石を手なずける女神か・・。

作品群にはパターンというものがあるようでない。人物、動物、そのハイブリッド、チェス駒などのモノとバラエティーに富み、大きいもの小さきもの、空中に展示するものなど、作品の仕上がりがどの時期においても一定の強度を保ち、成熟した安定感を感じる。58歳のとき癌で亡くなったが、まだ若いしたいへん無念なことだ。齢を重ねるほどに、作品の重要性は厚みを増したにちがいない。

くり返しになるが作品のもたらす衝撃は強く、小生にとって最も影響をうけた彫刻家A・ジャコメッティの作品を凌駕するほどの震えがあった。日本ではリシエがあまり知られていないのは何故か? このリシエ・ショックは自分でなんとか解消しないと、前に進まないと考えたほどだ。

もうすでに一か月が経っていて書くのも憚れるが、竹下氏の記事になぞらえて、ジェルメーヌ・リシエについて自分の記事として書くのは何かおこがましい。それでも自分なりにリシエをしらべ、朝倉文雄の門下生、柳原義達がじぶんの中に甦ったりした。で、『孤独なる彫刻』という積ん読本があるのを思い出し、卒読するとブールデルやジャコメッティのところで「マダム・リシエ」の表記が散見する。ジェルメーヌ・リシエをテーマにした著書もあるらしい。そんなこんなでリシエについて周辺を探訪していたら時はあっという間に流れてしまった。

リシエがなぜ、日本で認知されないのかを考えること、リシエとジャコメッティの本質的な差異をはっきりと意識化したい。そんな思いはあるが、いつもの調子で息切れがしてきた。いったんこの稿を終了して筆をおきたい。

リシエの作品そのものは、実際に見たことがないので(近代美術館に所蔵され、もしかしたら常設館に展示?)、今回の記事は竹下氏の記事中にある写真を参照し、本ブログにも転載したい(これまでにも幾つか同じような企図で、氏の写真を紹介したが、いつも快いご承諾をいただいている)。

 

追記:まさに偶々の因縁なのか、妻が視聴しているテレビ番組『なんでも鑑定団』に、柳原義達の作品が出ていると教えてくれた。ビデオに録ってあるので、早速観たら、なんとまあジェルメーヌ・リシエとジャコメッティの作品が揃って紹介された。もちろん「柳原義達」がらみなのだが、稿を改めて書き置きたいことが浮かんだ。この話題も含めて、次稿にリシエと柳原義達についてふれてみたい。

▲人気番組とはいえ、リシエが民放の番組に登場するとは面白い。

 

▲柳原義達の代表作のひとつ。ブールデル、リシエの影響が如実だ


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2 コメント

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Sekko様へ (小寄道)
2023-08-06 02:06:09
早速のコメント、ありがとうございます。
Sekko様のリシエの記事を読んだ、その時からそれまで見知っていた彫刻家の仕事、あるいは生き様が遙かにポテンシャルを超えると感じました。
100点を超える作品を直に見、そして写真を撮れるとは、ほんとにフランスの寛容というか懐の深さですね。

柳原義達については、他にもリシエについての著作があるらしいのですが、自分のできる限りで言表します。
でも、あまり期待しないでください。

お忙しいところ、ほんとにありがとうございました。
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ありがとうございます (Sekko)
2023-08-06 00:46:54
感想をありがとうございます。柳原義達の記事、楽しみです。フランス語で読んだ本では、ブルデルの日本人の弟子としては保田龍門(南方熊楠像で有名)だけが言及されていました。

おかげで自分の記事を読み返し、細かいエラーを訂正しました。書きっぱなしなのですみません。
それにしても、これだけ書く気になれたのは、フランスではほとんどの美術館や博物館が撮影自由だからです。それに比べると、日本では撮影禁止のところがほとんどなので、残念です。(朝倉彫塑館についても、撮影ができていたらもっと突っ込んだ記事を書きたかったのですが。ホキ美術館も同じです。三次元作品は特に、ぐるりと回って鑑賞できるので、普通のカタログではインスパイアされようがありません。)

今回のリシエ展の感想も、写真を自由に挿入できたらこそメッセージが伝わったようで嬉しいです。でも、パリに滞在中の友人たちに絶対に観にいって、と勧めても無視だったんですよ。すごいチャンスだったのに。

ブログを通してこんな風にリアクションしてくださる方がいて幸せです。

日本は猛暑のようで(こちらは最近雨もよいで肌寒いです)、どうかご自愛専一に。
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