小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

ふつうの言葉で問う

2016年01月28日 | エッセイ・コラム

 

今日、あなたは空を見上げましたか。空は遠かったですか、近かったですか。雲はどんなかたちをしていましたか。風はどんな匂いがしましたか。あなたにとっていい一日とはどんな一日ですか。「ありがとう」という言葉を、今日、あなたは口にしましたか。  (長田弘詩集「最初の質問」より)

 

                                                                                                            ↑新宿御苑

 

改善できること、修正できること、気づいたことは改める。と云ってすぐにはやらない、全体を見る。大局をつかむ。おおよその見当をつけてから、修正する点を探しだす。あぶり出すというやり方だ。
ほんとうに改善した後を想像できたか、その輪郭、立て付けを言葉にできるか。合理的にみえるものがいちばん罠が多い。また一呼吸おいて、初めからああでもない、こうでもないと反復する。

そしてもう一人の自分に、ごく普通の質問をする。迷わなかったか。誰かの笑う顔が目に見えたか。確信がないのなら黙っておけ。決断は君の一存であるべきだぞ。

 

今回のブログは、理由は分からないのだが書いている途中でなぜか消えてしまった。(一神教は、多神教を効率化した結果、という大見栄を張った仮説)

所在が分からず途方にくれ、何でもいいから投稿したいという思いのままに書いた。捉えどころのない断片的な文が綴られている。その意識の痕跡を認めたというだけのもの、と解釈していただいて結構です。

ユーチューブに投稿されている数少ない長田弘の講演を繰り返しみている。ちょっと訛りのある朴訥とした語りが、しーんと心に響いてくる。ときに言葉をさがしているのだろう、しばし沈黙の間があり、すとんと腑に落ちる言葉がでてきて、耳を傾ける人々に届きはじめる。それはやがて長田弘という詩人の、魂の問いかけのように感じてくる。日常のふつうの言葉で、きちんと語りかける行為、その意味。

店主と客、上司と部下、夫と妻、親と子ども、兄と妹・・・どんな立場の違い、年齢の差でも、上下関係においても、普通の言葉で互いに問いかけること、応えることの大切さを胸にしまっておきたい。

 

最後に、28歳で夭折し、長田弘のような優しい言葉の遣い手であった八木重吉の詩で締めたい。

     

くものある日

くもは かなしい

くもの ない日

そらは さびしい

 

 


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