小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

統計不正問題からの波紋、その一端

2019年01月30日 | 社会・経済

久しぶりに山形浩生のブログ『経済のトリセツ』をのぞいてみたら、山形の盟友(ライバル?)の柳下毅一郎とSNS上で交わしたやりとりを発端にして、第三者までを巻きこんだ面倒な論争が繰り広げられていることが判明した。(興味ある方は、左のブックマークから山形浩生の「経済のトリセツ」へ)

山形のブログは『統計の不備と、各種統計の「相関」の話』というタイトルのとおり、今回の厚労省がしでかした勤労統計不正のいわばエトセトラで、匿名の個人ブログ法華狼(ほっけおおかみ)の日記』に書かれていたことへの反証がメインの記事となっている。

両者の記事の内容について、筆者は、具体的に論評するつもりはない。ただ、山形浩生に関していえば、匿名ブログの内容について無視できない、片腹痛いところがあると思われた。筆者は、それを面白おかしく書きたいのではなく、統計というものが国家の命運をも左右するほど基幹であり、そのことの大切さを知る人が数多くいることを書きとどめたいだけだ。


発端は、柳下毅一郎がツイッタ―で「アベノミクスで経済がよくなってるとおっしゃるリフレ派の方々は、なぜ財務省の出す経済指標は捏造されてないと信じられるのだろうか」と、今回の事件を予言するような見解をつぶやいた。それは驚いたことに、「Jun 13, 2018」とあるから去年の6月に書いた自身のツイッター上でのことだ。

つまり柳下毅一郎は、「先見の明」があるというか、経済指標に関する政府の統計・データに根源的な不信感を抱いていると思われる。(筆者も同感である)

これに関して山形は、以下のように切り返した。
呆れたよ、柳下。どの統計が捏造だと思ってるか知らないが、統計は多くの場合類似のものが複数あって、しかも相関するはずのものも多く、一部を操作したらつじつまあわなくなることが多いからだよ。自分の実感だの目の届く範囲がいかに小さくあてにならないかも忘れた、夜郎自大な全能感に陥るとはね。

と、反論というか、友人とはいえやや上からの、認識の甘さ・理解の不足を指摘するツイートであった。

翻訳家の柳下毅一郎は、山形浩生と同じく東大理1卒の同窓、共に「東京大学SF研究会」に属していた。ウィリアム・バロウズ(※追記)の研究本や山形との共同翻訳本も2,3あるから、親しい間柄なのであろう。
山形浩生はSF翻訳家としての顔をもつが、経済書の翻訳やら自身の経済に関する著書もある。また、トマ・ピケティの『21世紀の資本』を翻訳したことで、さらに世間に名を売った感がつよい。また、野村総研の上席研究員として現在にいたり、翻訳だけで口を糊する柳下毅一郎よりも遥かに発言力はあるし、社会的知名度は高い。

(最近、竹下節子さんが、山形の訳したケインズの『平和の経済的帰結』という論文について瞠目すべき記事を書かれていた⇒(ケインズの「平和の経済的帰結」その1)1https://spinou.exblog.jp/30063275/)

とはいえ、上記のように、翻訳家の柳下が、「財務省の出す経済指標は捏造されてないと信じられるのだろうか」などと、山形の御株をうばうような、経済指標の根拠となる統計についての信憑性に疑義を出した。そこで山形は、友人を諌めるというか、統計は簡単にねつ造できるものじゃない、とリツイートした。今となれば、山形のこの発言が言質をとられることになる。

この半年ほど前の柳下VS山形の友人同士の言葉のやりとりを覚えていた人がいて、今回の厚労省の勤労統計不正問題に敷衍して自身のブログにとりあげた(その真意が残念ながら分からない)。それが、前述の『法華狼の日記』という匿名の個人ブログ。そのことを記事にしたのが1月19日の、「山形浩生氏が統計の捏造の困難性だけをもって経済指標の信頼性を絶対視していたことのメモ」という記事である。

https://hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20190119/1547896505

 

この記事を偶然にも(?)読んだ山形浩生は、どういうわけか(止せばいいのに)カチンときたのか(たぶん)、一週間後の1月26日、件の『統計の不備と、各種統計の「相関」の話』という記事を書いた。(実に面倒くさい話だ。もっと面倒になったら記事を削除したい)

そしてまたなんと、その日のうちに法華狼氏は、『「相関しているならすべての統計が捏造だ、という極論を述べたブログ」という嘘を書いた山形浩生氏』という記事を書いたのである。⇒https://hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20190126/1548472499

『法華狼の日記』に寄せられた多くのコメントは、それぞれの立場からの意見、感想なのだが、炎上でよく見られるような罵倒、嘲笑はさすがにない。だが、言葉尻をとらえて解釈するものや関係のない牽強付会の論点をもちだして解釈するものなど、いわば応酬の負の連鎖を見せつつある。(今は落ち着いている。というかサーバーの改修工事があるようだ)


ともあれ、筆者が耳を傾けた参考になるべき感想を拾ってみることにした。

●この事件はもんじゅの事件や相模原の事件と同じぐらい後をひきますね。具体的には、優れた人がああいう部門に行かなくなる。

●表の中の障害者雇用者数で思ったんですが今年障害者雇用の水増しが発覚しましたが、その表の数字は信用していいものなのでしょうか?

●高木仁三郎さんが最晩年の著作で、「隠ぺいが改ざんになったら、あらゆる意味で末期だ」とするどく指摘しておられました。ああ、やってしまったんだ、もう頭をかかえるぐらいの大ショックでした。

●統計の読み手と作り手が同じ土俵に上がる気がない、「事実のデータ」自体を共有する気が作り手にない、という意味でなら、間違いなく、読み手が統計にたくすべき信頼性はゼロになりました。

もっとあるのだけれど、この手の問題に興味ある方だったら、ご自分で当たられて調べているであろう。


ところで、先週の『ビデオニュース』では、『日本が統計を軽んじたことの大きな代償』が放送された。元日銀マンでずっと統計畑を歩んできたエコノミスト鈴木卓実氏をゲストに招き、この問題の現状と深刻な課題が俎上にのった。(http://www.videonews.com/marugeki-talk/929/

ともかく、「統計の大元として政府が発表している56の「基幹統計」と呼ばれる調査のうち、22の調査に何らかの問題があったことが明らかになり、突如として日本の統計のデタラメぶりが国内外に衝撃を与えている。基幹統計は日本が世銀、IMF、OECDなどの国際機関に報告しているGDPなどの諸統計にも影響を与えるため、日本がそうした国際機関に過った情報を提供していたことになる可能性もあり、まだまだ波紋は広がり」をみせるだろうということ。なおかつ、統計を軽んじた結果、その投資・人材を削減したことのツケが、今後どのような弊害となって現れるか、将来は暗澹たるものと言わざるを得ない。

筆者はじめ、一ブロガーごときの個人が憂慮したところで、実際どうなるものでもないことは確かに言える事柄であるのだが・・。


(※追記):ウィリアム・バロウズは、アレン・ギンズバーグはじめビートニクス世代のアメリカの小説家。『裸のランチ』、『ソフト・マシーン』『ノヴァ急報』等の著書がある。詳しくは、松岡正剛のここで⇒https://1000ya.isis.ne.jp/0822.html


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