鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

354 二条流歌道相伝

2024-06-20 12:51:00 | 日記

先週に続きこの先の猛暑時に籠って読む古書を見繕っている。

介護の合間の細切れの時間でも読めるものが好ましく、結局は詩歌の書が私には適しているようだ。


そしてついにこの春から取り組んでいる歌学書の掉尾を飾る一冊が手に入った。



この二条流奥義の「五儀六體」は江戸初期に手書きで伝授された物で、巻尾には誓戒血判の上相伝と仰々しく書かれている。

これさえあれば私も堂々と二条流伝承者を名乗れる。

二条の和歌の特徴と言っても特別な物は無く、当時としては定家以来の標準的な指導書だったようだ。

要するに王道とか定番の内容だ。

ただその中にも「詠題を深く心にとどめよ」など、啓示に富んだ言葉がある。


その二条流の教科書とされて来たのがこの「草庵集」だ。



二条流に限らずこの頓阿の「草庵集」は中世から江戸時代まで、広く和歌初学の手本となって来た。

和歌を読む方は古今集から、詠む方は草庵集から勉強する事が基本だった。

また草庵集には後に本居宣長が解説を付けた書もあり、私はそちらの方が気に入っている。

二条流と草庵集は当時の和歌入門書としては最も洗練された物だろう。


もう一つは古今伝授で有名な細川幽斎の歌論書。



この江戸初期に出版された耳底記は古今伝授そのものとは違うが、幽斎の和歌に対する想いはこちらの方がよく伝わって来る。

古今伝授は江戸中期には半ば公開され、その内容は歌塾師範のための古今集解釈の指導書で、歌道の秘伝極意のような物では無い事が知れ渡っていた。

私には二条流などの中世歌論書や口伝の方が余程有難味がある気がする。


相伝を受けた以上、日々歌を詠まなくてはならない。

大雨だった今日の一首。

ーーー天地の境も分かぬ五月雨に 七色烟る紫陽花の谷戸ーーー

二条流と言うより京極流の叙景が強く出てしまったか。

この隠者にとって中世歌学書はヨーロッパのグリモワール(魔導書)のように不思議な魅力に満ちている。


©️甲士三郎


353 花鳥諷詠の楽土

2024-06-13 13:05:00 | 日記

古歌学の「詠題を深く心にとどめよ」とは噛み砕いて言えば、己が胸中に花を咲かせ月を輝かせて生きよ、との意味だ。

禅の「心月輪」とも似た所がある。


俳句では高浜虚子の唱えた「花鳥諷詠」がある。

虚子の俳句は戦後の第二芸術論などで暇な老人趣味と馬鹿にされた。



(花鳥諷詠扁額 高浜虚子筆)

しかし私はこの花鳥諷詠の思想は名句を詠むためでは無く、より良い人生やより深い日常を送るための教えだと思う。

そもそもこれは少数の専門俳人向けではなく、広く一般の俳句愛好者達に向けて発した言葉だ。

自然の四季と俳句のある暮しがどれほどの至福をもたらしてくれるかを言っているのだろう。

確かに大した作が出来なくとも暮しの中で句歌を詠む事で、誰しもが季節や人生をより深く味わえる。

虚子自身の句集でも名作はごく一部で、ほとんどがただ楽しそうに詠んでいるだけの句なのだから間違いない。


日本の句歌は欧米の芸術思想とは全く違う、普通の人々の生み出す生活詩だ。

虚子はそれを実践し、凡作の句を日々詠んで飽きなかった。



(高浜虚子第15句集 初版 獅子牡丹染付壺 明時代)

写真の他にも虚子の俳書類は初版でほとんど揃っている。

と言っても数多ある古書の中でも句集はかなり安い方なので、その気になればネットですぐ揃えられる。

句集には美しく凝った装丁の書はほとんど無く、簡素さが売りの俳句ではさもありなんと言った所だ。

そして虚子の句集を読めば誰もが「こんな句でも良いんだ」と思えるだろう。

そして自分も一人前の俳人になった気分になれるのだから、やはり高浜虚子の教えは偉大なのだ。


句は並出来でも書は常に上手い虚子の、夏から秋口の短冊。



(直筆短冊 高浜虚子)

俳句和歌の短冊類は長年こつこつ集めて、今では虚子だけで十二ヶ月分掛け替えられるほど揃った。

他の俳人歌人の短冊も現代人には判読できない物が多く、お陰で探していれば驚くほど安価で入手出来る。

また筆跡や印譜の鑑定資料さえあればネット上の写真と照合しながら選べるから、収集も昔と比べれば格段に楽になった。


ーーー涼しさの五指を舞はせて水仕事ーーー

今の私は介護の隙に手早く家事を済ます日々だが、そんな時でもこんな俳句なら出来る。

日本の俳句短歌は四季折々の寸暇でさえ本で読んで楽しめ、自分で詠んで楽しめ、短冊や軸を飾って楽しめる。

しかも掛かる費用は安上りな所がこの病労苦の隠者には有難い。


©️甲士三郎


352 芒種の書見

2024-06-06 12:41:00 | 日記

節季は芒種となり、時折り小雨の降る曇日が続く。

これからの長雨の間に読む本を今のうちに選んでおこう。


まずは先週見つけた金槐和歌集の古写本。



(金槐和歌集写本 桃山頃 古九谷皿杯 幕末期)

鎌倉の歌人では最も有名な源実朝の歌集の、桃山〜江戸初期頃の写本だ。

実朝にはあまり好きな歌が無かったのだが、何しろ地元の英雄だからこれまで知らなかった良い歌を一つでも見付けられればと思う。

古写本の良さは癖字の判読に時間がかかる分、一首一首じっくりと検討出来る所だ。

まあいざとなれば最近の活字の本を見ればわかるので心配は要らない。


春先に浸っていた古歌学の書も、その後また何冊か見付けた。



(歌道大意 平田篤胤 幕末出版)

平田篤胤は国学が主で和歌の方は忘れられているが、本居宣長の教えを受け継いで立派な歌学書を書いている。

江戸後期は古来からの歌学の集大成の時代で、この「歌道大意」は香川景樹の「歌学提要」と並んでお薦め出来る。

また江戸後期の古書はネットなどでも比較的入手し易いのが良い。


古歌古俳諧で夏の名作は意外と少ない。



(蕪村筆芭蕉句軸 古萩唐人笛茶碗 江戸時代)

「ほととぎす大竹原をもる月夜」 芭蕉

例によって芭蕉の句を蕪村が書いた軸だ。

「月」の部分が絵文字になっていて、さらに最後の「夜」が蕪村の号である「夜半亭」につなげて1字省略されている。

また印譜は出先での揮毫らしく書き落款だ。

実に洒落た書き方なのだが、お陰で判読出来る人が居なくて格安で入手した物。

鎌倉にはまだ時鳥が結構いて、私にとっては親しみ深い句と書だ。

先日紹介した蕪村七部集の原典もある事だし、梅雨の間はこの辺で楽しめるだろう。


和歌俳句に限らず詩歌は少しづつ、また何度でも読み返して味わえるのが最大の長所だ。

私には介護の合間の細切れの時間しか無いので、歌書句集などの1行づつでも楽しめる本はありがたい。

ましてやそれを古書原典で読めればその楽しみも倍化する事請合いだ。


©️甲士三郎


351 雨季の花入

2024-05-30 12:26:00 | 日記

鎌倉は今週から走り梅雨の気配だ。

長雨の時期は散歩の機会も減るので、せめて床飾の花を色々楽しみたい。

隠者流投入れ花は本来花入では無い物も色々使っている。


今年も6月に入る前から荒庭の紫陽花が咲き出している。



(炉鈞窯緑釉水差 清朝時代 古上野焼珈琲器 大正〜昭和頃)

咲き始めの白紫陽花は清々しく、小雨の中で重そうに首を垂れている姿にも風情がある。

紫陽花の品種は100種以上もあるようで、鎌倉でも多様な色や形が見られる。

他の色も含めて紫陽花には緑釉の花入が花の多彩な色を邪魔せずに良いと思う。

緑釉や青磁系統の花入はそれ自体の色が涼しげなので夏場には適している。


荒庭に咲いた金銀花を雨に散る前に摘んで来た。



(瀬戸井戸型花入 昭和初期)

金銀花を雨を思わせる井戸型の花入の取手に絡ませてみた。

取手の右にある小さな釣部も面白く、写真では雨中に打ち捨てられた井戸側の雰囲気が出た。

この花は先始めは白く散り際に黄色くなり、衆目を楽しませてくれる。

我が庭や近所のあちこちに咲いて、卯の花の後の谷戸を彩っている。

花首が弱いようで雨が当るとすぐ散ってしまうのだ。


花屋にまた梅花宇津木があったので、別の花入に合わせてみた。



(青磁徳利 李朝時代)

同じ宇津木も瓢箪型の李朝粉青器に入れると、先週の織部花入とは違う涼しげな姿になった。

少しひしゃげて傾いた徳利が如何にも幽陰の趣きだ。

こう言った所が何種か凝って活ける流派花とは正反対の、簡素な投入花の良さだろう。

古来から不教不伝、創意工夫の投入花は色々な花の楽しみ方が出来る。

その無技巧の工夫を考えている時間もまた花情の深まる時となろう。


他に夏の花器と言えば硝子器や染付が清涼感があって良いが、それらを使うのは梅雨明け以後のもっと暑い時期に取っておきたい。


©️甲士三郎


350 夏の詠題

2024-05-23 13:07:00 | 日記

昨年改めた我家の年中暦により隠者の夏は24節季の小暑までで終わり、789月は歳時記にも無い新たな熱極の季とし、秋は彼岸過ぎからとなった。

そして創作活動に向かないこの酷暑の789月を、歌学詩学の思索に引き籠る事にしようと思う。


そうなると小暑となるまでに夏の詠題を出来るだけ終えるように、少し吟行の頻度を上げる事にした。



今の私は家人の介護があるので精々2時間程度しか家を留守に出来ず、行けるのは我家の近辺で小さな自然の残っている場所しかない。

ここは門を出てすぐの夏草の茂る空地だが、毎年梅雨明け頃には綺麗に刈られてしまう。

1週間ほど前は胸の高さだった青薄の丈が、数日でぐんぐん伸びてもう頭の上だった。

このまま秋を迎えれば見事な薄原が見られるのに残念だ。

ーーー草深く古歌書百巻蔵したる 古家を青く包み隠せりーーー


次の日は永福寺跡の隅の草叢で朝茶にした。



昭和初期瀬戸製の輸出用の珈琲器を持ち出し、野の花の精を呼んで茶会をしよう。

また写真では見難いがここには赤く小さな蛇苺が沢山実って、狭いながらも花実の楽園の彩りだ。

ここも春先に丸坊主に刈られてしまい、その分成長の遅れた姫紫苑が今咲いている。

ーーー捨庭は夏に入るとも春の花 時の流れを外(ほか)と違へてーーー


花屋で珍しい和花があったので買ってきた。



可憐な梅花宇津木を古織部に入れて眺めれば、江戸時代の風雅の士の趣きだ。

後ろは田能村竹田の鳳(おおとり)図。

江戸後期は大園芸ブームで、桜から菊まで多様な種類の花が作り出された。

朝顔百珍などと言う園芸本まで出ている程で、この梅花宇津木もその頃の品種だそうだ。

また宇津木は卯の花に次ぐ夏の花の代表で、宇津木姫とは夏の女神の名でもある。

ーーーもはや世に用無き身とて夏来れば 宇津木の姫に花奉るーーー


こんな感じで暑の入りまでに沢山の詠題をこなせば幾つかはまともな歌も出るだろう。

古歌にも夏の名作は少ないのだ。

エアコンの無い昔の京都もさぞ暑かったろうから、公卿達もあまり外に出ず引き篭っていたに違いない。


©️甲士三郎