年々盂蘭盆の後も酷暑がだらだらと続くようになってしまったが、最近集めた清涼なる音楽のお陰でこの時期の隠者の暮しも少しは涼やかになった。
今週は果て無き夏と介護に疲れきった我が魂の再生を計り、取っておきの聖なる音楽で心身を浄化しよう。
フォーレのレクイエムの最高傑作、ミシェル・コルボ指揮1972年版だ。
(北風のうしろの国 ジョージ・マクドナルド イギリス19世紀)
コルボはこのレクイエムを生涯に4回録音しているが、最初の1972年版のボーイソプラノの「Pie Jesu」に勝る歌唱は遂に出なかった。
この歌こそ美しさ、穢れなさ、祈りの深さ、全てにおいてキリスト教音楽1500年の金字塔だろう。
少年の何とも儚く危うげな美声が人々の真摯な祈りの心を呼び覚まし、身に染み込んでしまった世知の穢れを洗い流してくれる。
写真は英国ファンタジー小説の始祖とも言えるジョージ・マクドナルドの名作「北風のうしろの国」1886年版で、この物語もまた少年の信仰の力が主題となっている。
ーーー夏果の汚れし窓に聴こえ来て 祈りの唄のいよよか細きーーー
本朝古来の浄化の儀式である夏越(なごし)の祓いは新暦では6月末にやってしまうが、実際の酷暑はその後に来るのだから今では意味を成さない。
なので隠者の夏越は体感での季節が真に秋に入る頃にしている。
(夏越秋風の歌軸 香川景樹 江戸時代 古織部皿碗 江戸時代)
本来の夏越は立秋前に暑さによる諸々の穢れを祓い、清浄な心身で秋を迎える行事だった。
古い和歌集を見ると朝廷もこの一年の折返しの祓いを大事にしていた様子で、沢山の歌が残っており「禊(みそぎ)川」などの詠題もまた夏越の祓いの一景だ。
景樹の歌軸は上記の「Pie Jesu」と趣きは違うが、これも不浄を祓う聖なる祈りの歌なのは同じだろう。
気持だけは清々しく新たな季節に入るべく、私ももう少ししたら禊代わりに浜へ行き足先だけでも波に洗われて来よう。
ーーー夏越の儀過ぎるも暑き古都の辺に 禊の波は果てなく寄せりーーー
先週の話題に続くが暑さに心身消耗した今の時期には、特に地中海の青を想わせるイタリアの初期バロックがお薦めだ。
(アルカンジェロ・コレッリ像 イタリア17世紀)
鎌倉の自然は地中海沿岸の気候と似通う所があり、音楽も詩歌もそこから喚起される胸中の景が共鳴する。
夏の夕べにコレッリやアルビノーニなどを聴くと、中世地中海の覇者であったイタリアの栄光の日々が見えて来るようで、鎌倉の海もアドリア海のイメージを重ねれば結構爽快に思える。
また私如きの和歌でもそんな音楽の中で詠めば、なかなか美しく輝かしい景を呼び起こしてくれるのだ。
ーーー引波の攫ふ真砂の千万の 光の条目(すじめ)黄昏の浜ーーー
涼しげな音楽、高雅なる詩歌、蒼古たる書画などのお陰で、悲惨な状況下にあった我家の夏も何とか持ち堪えられそうだ。
ネットのお陰で家に居ながら古今東西の名作音楽が入手出来るのがありがたい。
©️甲士三郎