鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

364 晩夏のレクイエム

2024-08-29 13:04:00 | 日記

年々盂蘭盆の後も酷暑がだらだらと続くようになってしまったが、最近集めた清涼なる音楽のお陰でこの時期の隠者の暮しも少しは涼やかになった。


今週は果て無き夏と介護に疲れきった我が魂の再生を計り、取っておきの聖なる音楽で心身を浄化しよう。

フォーレのレクイエムの最高傑作、ミシェル・コルボ指揮1972年版だ。



(北風のうしろの国 ジョージ・マクドナルド イギリス19世紀)

コルボはこのレクイエムを生涯に4回録音しているが、最初の1972年版のボーイソプラノの「Pie Jesu」に勝る歌唱は遂に出なかった。

この歌こそ美しさ、穢れなさ、祈りの深さ、全てにおいてキリスト教音楽1500年の金字塔だろう。

少年の何とも儚く危うげな美声が人々の真摯な祈りの心を呼び覚まし、身に染み込んでしまった世知の穢れを洗い流してくれる。

写真は英国ファンタジー小説の始祖とも言えるジョージ・マクドナルドの名作「北風のうしろの国」1886年版で、この物語もまた少年の信仰の力が主題となっている。

ーーー夏果の汚れし窓に聴こえ来て 祈りの唄のいよよか細きーーー


本朝古来の浄化の儀式である夏越(なごし)の祓いは新暦では6月末にやってしまうが、実際の酷暑はその後に来るのだから今では意味を成さない。

なので隠者の夏越は体感での季節が真に秋に入る頃にしている。



(夏越秋風の歌軸 香川景樹 江戸時代 古織部皿碗 江戸時代)

本来の夏越は立秋前に暑さによる諸々の穢れを祓い、清浄な心身で秋を迎える行事だった。

古い和歌集を見ると朝廷もこの一年の折返しの祓いを大事にしていた様子で、沢山の歌が残っており「禊(みそぎ)川」などの詠題もまた夏越の祓いの一景だ。

景樹の歌軸は上記の「Pie Jesu」と趣きは違うが、これも不浄を祓う聖なる祈りの歌なのは同じだろう。

気持だけは清々しく新たな季節に入るべく、私ももう少ししたら禊代わりに浜へ行き足先だけでも波に洗われて来よう。

ーーー夏越の儀過ぎるも暑き古都の辺に 禊の波は果てなく寄せりーーー


先週の話題に続くが暑さに心身消耗した今の時期には、特に地中海の青を想わせるイタリアの初期バロックがお薦めだ。



(アルカンジェロ・コレッリ像 イタリア17世紀)

鎌倉の自然は地中海沿岸の気候と似通う所があり、音楽も詩歌もそこから喚起される胸中の景が共鳴する。

夏の夕べにコレッリやアルビノーニなどを聴くと、中世地中海の覇者であったイタリアの栄光の日々が見えて来るようで、鎌倉の海もアドリア海のイメージを重ねれば結構爽快に思える。

また私如きの和歌でもそんな音楽の中で詠めば、なかなか美しく輝かしい景を呼び起こしてくれるのだ。

ーーー引波の攫ふ真砂の千万の 光の条目(すじめ)黄昏の浜ーーー


涼しげな音楽、高雅なる詩歌、蒼古たる書画などのお陰で、悲惨な状況下にあった我家の夏も何とか持ち堪えられそうだ。

ネットのお陰で家に居ながら古今東西の名作音楽が入手出来るのがありがたい。


©️甲士三郎


363 夕涼のバロック音楽

2024-08-22 13:02:00 | 日記

酷暑を凌ぐ音楽を探して15年振りくらいにクラシック音楽全般を聴き直したが、近年は古楽を再現したりお馴染みの曲でも最新の録音技術で再録された良作がかなり増えていて有り難い。

西洋クラシック音楽と和歌が意外と合う事に気付けたのは今年の大きな収穫だ。


この暑さの中にも高雅な心を伝えてくれる名歌を今一度紹介しよう。



(直筆短冊 与謝野晶子 牛ノ戸花入 昭和前期)

「夏祭よき帯しめて舞姫の 出でし花野の夕月夜かな」与謝野晶子

これは彼女が初期に詠んだ二首を合わせ晩年に改作した歌で、どの歌集にも入っていない幻の歌の自筆短冊なのだ。

この神代の夢幻の儀式を想わせる美詠には、竪琴(ハープ)の名手ジュディ・ローマンのギリシャの神話世界のような音楽を合わせたい。

彼女は一昨年80歳過ぎにして古曲や中世の旋律を復元し、見事に現代風に編曲したニューアルバムを出した。

特に「Oblivion 」は色々な人が色々な楽器でやっている中、正に楽神アポロンの心の琴線その物を奏でるような妙技で隠者も心酔させられた。

他のアルバムではバッハのフランス組曲などもアレンジ演奏共に絶品だ。

願わくば日本の箏にもこの位の奏者が出て来てくれないだろうか。


古今新古今風の和歌の典雅な調べにはバロック音楽が良く似合うので、そこに加えて清涼な冷茶でもあれば俗世を離れた浄界に浸れる。



(SERENADE 石版画 竹久夢二)

暑い時期のBGMにはドイツ古典派シンフォニーのような大袈裟な音量の強弱があると、老隠者にはやや煩わしく聴こえてしまう。

強弱の差が少ないバロック音楽は秋冬向けなら断然バッハのピアノ曲か弦楽を選ぶが、夏にはハープやリコーダーの音色が涼しげで酷暑を凌ぐにはお薦めだ。

キース・ジャレットのチェンバロとミカラ・ペトリのリコーダーで出たヘンデルのソナタ集はかなりの音楽通の耳も満たしてくれるだろう。

こういった古風な笛の音を聴くと、以前我家で演奏してくれた自然の中で尺八を吹く旅をしていた老人を思い出す。

写真は晩夏の明るさの中にも哀愁を帯びたメロディーが聴こえて来るような、竹久夢二のクラリネット吹きの石版画だ。

ーーー笛吹の旅風の音水の音 褥に聴くは遠き星音ーーー


笛と言えばこの季節の我が谷戸では連日子供達による祭囃子が聴こえて来る。



子供達の夏休みの終り頃には鎌倉宮の例祭と盆踊りがあり、コロナ禍で中断していたのが去年今年でかなり賑いが戻ったようだ。

酷暑に負けず元気で可愛らしい子供達の半被や浴衣姿を見るのは、鎌倉の古老達にも大きな喜びとなろう。

鎌倉の盆踊りでは何故か昭和のアイドル荻野目洋子の「ダンシングヒーロー」が大人気だし、屋台の光景は井上陽水の「少年時代」のような懐かしさがある。

そこで上の写真も100歳近いライカの老レンズ(ヘクトール)でノスタルジックな描写にしてみた。

ーーー涼風の町星の路地子等の家 みな美しき影となりゆくーーー

(先月の俳句を改作)


悲しい事に先週18日にはフランス映画界の大スター、世紀の美男アラン・ドロンが亡くなった。

彼が主演した「太陽がいっぱい」「冒険者達」などの古き良き時代の青春映画は、私も若い頃大いに憧れたものだ。

ーーー哀悼の夜の鬼灯の仄明りーーー


©️甲士三郎


362 星風の古都

2024-08-15 12:55:00 | 日記

立秋、旧暦七夕、鎌倉ぼんぼり祭、旧盂蘭盆と続くこの週は、隠者の星祭の時だ。


青薄の野辺に100年ほど前の中国の月天娘を飾り、夕星のファンタジーに浸ろう。

物悲しいほどの蒼さの中にこそ星界の荒魂は宿る。



月天に巌谷小波の「日本御伽話」初版を添えて星祭の祭壇を設えてみた。

戦前の童話には現代作家には望めない宗教的な不思議さがあって隠者好みだ。

実は我家には巌谷小波が大量に遺した御伽俳句の書軸が、知らぬ間に十数本も集まっている。

今週は彼に倣って童話風の俳句を幾つか詠んでみた。

ーーー草陰に風灯揺れて星祭ーーー

そしてこの美しき星宵には中世を想わせるような古箏や龍笛の音楽が欲しい。


鶴ヶ丘八幡宮のぼんぼり祭は以前にも紹介したが、近年は社殿周囲を派手にライトアップしたお陰で返って灯籠が暗く見え幻想味が失せた。



その代わり舞殿では日本舞踊を催すようになったが、残念ながら全く場違いな春の舞曲を生演奏も無くやっていた。

いずれも伝統文化に対する無神経さが原因だが、衆愚制下のマーケティング主導では全ての文化が低俗化するのは必然だ。

それも隠者のような世捨人には如何ともし難く、幽居に帰って独り離俗夢幻の秘儀を奉るとしよう。

句歌なら昔の美しい星空と万燈を思い起こして詠めるのが救いだ。

ーーー海風の古都星影の万燈会ーーー


我家の星祀りは「銀河鉄道の夜」に出て来る星祭に因んでいる。



この本は数年前に宮沢賢治のファンタジー3部作の初版本が揃った時に紹介したが、今宵は近年に出た細野晴臣の「銀河鉄道の夜」特別版のサウンドトラックでより深い夢幻の儀式となった。

ますむらひろしの猫版アニメを想い起こし、鎌倉産のずんぐり野菜(謎めいた味だった)の御供えだ。

半世紀前の写真では湘南の海から銀河が立ち上がっているのが見えるが、今は光害でほとんど見えなくなっている。

ーーー闇海へ風を吹き出す銀河の根ーーー


隠者の暦は8月7日は「立秋」ではなく、小暑大暑に続く「酷暑」と節季名を変えた。

その後は処暑白露のままで、彼岸頃にようやく立秋となるのだ。

近年の気候変動は我が句歌の季語詠題にも大きな影響を及ぼしている。


©️甲士三郎


361 冷茶と胡弓

2024-08-08 12:53:00 | 日記

7月の平均気温は観測史上最高だったらしく、8月9月の予想も酷暑が続くと言う事でますます耐暑の工夫が必要だと思う。


万葉古今以来代々の和歌集を見ると夏の歌の数は春や秋の半分以下で、京都の夏の暑さでは古の公卿達も歌を詠む気になれなかったのだろう。



(初学和歌式 有賀長伯 江戸後期 古伊万里染付小壺 江戸後期)

この江戸後期の「初学和歌式」になっても夏の詠題の収録はまだ少ない。

大正〜昭和初期の俳句歳時記には夏の生物や納涼の風物の季語がぐっと増えたが、夏季の名句となるとやはり春秋に比べて断然少ないのだ。

私に限らず古人達も良い気分でないと良い句歌は詠めなかったようだ。

近年の蒸し暑さは昔より遥かに酷くなっているから、精々冷たい飲物や清涼な音楽で心境だけでも清浄に保ちたい。


私は例の呪いで大抵の酒類清涼飲料が飲めないので、せめて精神的に清浄になれる飲物をと考えてみた。



(煎茶竹送風書軸 八橋売茶翁 江戸時代 炉鈞窯茶器 清朝時代)

江戸時代に入ると京の文人達に夏の清らかな飲物として煎茶(冷まし)が流行して来る。

頼山陽や田能村竹田らは漢詩にも盛んに煎茶の清涼さを詠んでいる。

そこで私も色々と試したところ冷茶に最も適したのは台湾産の凍頂茶だった。

以前より白桃烏龍茶は隠者の好みだったが、清らかさと言う点では凍頂茶が上だ。

今の国産高級煎茶はやはり温かい方が断然良いので、私は冷茶ではあまり飲まない。


その凍頂茶に合う音曲は何よりもまず胡弓(二胡Erhu)だろう。

ヴァイオリンよりまろやかで澄んだ音色が夏場に聴くには心地良い。



(永福寺跡の礎石群にて二胡を弾く隠者)

中国語や英語に苦労しながらiTunesYouTubeを探し回った結果、Eliott Tordoの二胡曲が最も良かった。

主にゲームやアニメの曲を数多く手掛けていて、PVの映像もなかなかファンタジックで質が高い。

本家中国の名人達も古曲ばかりでなく、もう少し新しい曲やアレンジでやってくれればと期待している。

彼に釣られてこの隠者も近所の中世の遺跡に下手な二胡を弾きに出て、気分だけはファンタジー映画の主人公になって来た。

愛用の100年前のライカレンズが俗世を離れた夢幻界の光芒を写してくれる。

ーーー夕月の葉漏れの光そよがせて 風吹き渡る二胡弾きの谷戸ーーー


度々で恐縮だが私が若者向けにカクヨムに連載していたライトノベルが完結したので、折々の小閑にでもご笑覧あれ。


「神聖鎌倉文士伝」 探神院著


https://kakuyomu.jp/works/16817330662945081308


©️甲士三郎


360 古歌学と古楽

2024-08-01 14:46:00 | 日記

ーーー歌舞の音の漏れ来る古都の裏路地の 影も灯りも短夜の夢ーーー

8月に入り暦では立秋ももうすぐだが現代の酷暑は9月末まで続き、散歩も夜でないと老身には厳しい。

今週はその長い夏を凌ぐために大量に集めた古歌学書と清涼クラシック音楽の出番だ。


大抵の古歌学は戦前の泰斗佐々木信綱の「日本歌学大系」なら活字で読めるので、一般的にはわざわざ読み難い草書体の中世手写本や江戸木版で読む必要はない。

しかし隠者はより強く古人達の想いが伝わって来る原典から離れ難いのだ。



中世の写本の大抵は断片的で古語の含みも多くやや上級者向けだ。

その中でこの「古来風体抄」は総合的な歌学書としてはわかり易く纏めてあり、BGMに典雅なハープ曲か静謐なピアノソロ曲でも聴きながら読めば、暑中にも快適な精神生活を送れるだろう。

美しき古楽と深遠なる歌論が自ずと離俗清澄の境地へ導いてくれる。

秋冬ともなればさらに幽玄なる中世和歌とロマン派の荘重なピアノコンチェルトの至福の取合わせが楽しみだ。

ーーー夕涼の書見に古楽侍(はべ)らせてーーー


荒庭の凌霄花の回りでは青揚羽が涼しげに舞い、珍しい烏瓜の花も咲いた。



写真の烏瓜の綿のような花には正に文人好みの趣きがある。

蔓物は放っておくと絡んだ本体を枯らしてしまうので嫌われ者だが、秋の赤い実も楽しみで私は荒庭の端に自生しているのを大事にしている。

我家の竹林も藤と山芋が盛大に絡んでもう整理不能の状態だが、晩秋の黄葉時には荒寥たる美を見せるのだ。

本は江戸時代の二条派歌学書の「和歌六體抄」だ。

BGMにはイタリアのバロックかチェンバロ曲が似合う。

ーーー仄暗く誘ふが如く木戸朽ちて 秘せる小径に烏瓜咲くーーー


邦楽では残念ながら現代の夏に合う物はなく、誰か現代人向けに涼しげな箏笛曲でも新しく作ってくれないだろうか。



と思いつつiTunes を見ていたら、知らぬ間に細野晴臣の名作「源氏物語」が出ていた。

10年ほど前にはiTunesに入っておらずCDも見つからず諦めていたが、このアルバムは和風のアンビエントとしては最高峰の音楽だ。

幽玄さも高雅さもあり、中でも「若紫」は日本の箏曲では三指に入る名曲だと思う。

和歌集や古歌学書を読むのにこれ以上のBGMは望めないだろう。

ーーー箏の音のやがて静まり外の世の 夕立の音雷の音ーーー


近所の箏師範の家が疫病禍のためかしばらく稽古の音が途絶えていたが、最近また聴こえるようになって嬉しい。

私も含め鎌倉の伝統文化を絶やさぬように、皆して細々とやり続けるしか無いだろう。


©️甲士三郎