オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

武田菱、三つの菱、撒き菱のトゲ

2023-08-25 11:17:07 | 歴史に埋もれた真実

 

 

 川で泳ぐときは底に隠れている岩や障害物を先に確認して、泳ぎも蹴ったりはせずにソロリソロリ泳ぐのが当たり前。

 海とは泳ぎは違ってくるが、そんな当たり前のことすら現代の大人は子供らには教えずに、プール教室のマニュアルで威張っている。

 

 夏は、毎年いつも太ってしまう。

 なんども海で泳ぎまくっているために、毎週の山行はお休みして、たまにしか山には行かないのが例年の夏の慣わしのようになっているが、同時に体重も3~5キロくらいは増えてしまうのが恒例だ。

 海に浸かって水膨れになってる訳でもないが、長く泳いでいたとしても、山の方がはるかに体力を消耗しているという証でもある。

 すでに足腰が重いと感じるようになっているから、今週末からまた高い山にも出掛けるようになる。

 2000m以上の山でも、今年は暑い。

 176センチで70キロ前半が一年を通しての良いバランスなんだが、今は80キロ近くに膨らんでいる。

 4週続けてハードな山を歩き登ってくると、これがだいたい戻ってしまうのがいつものことだ。

 海用の身体を、山用の身体に転換する作業だが、これが相当にキツイのは言うまでもない。

 毎年、何十年も、おなじことをやっている。

 

 武田家衰亡の時、勝頼は天目山辺りから北に山へと入り、いまの甲州アルプス、俺もくまなく何度も歩いている大好きな峰々を伝って、または金山職人や山仕事の配下に道案内をさせて中腹の抜け道を伝って、生き延びているという確信を持ったのは、相当に昔のことになる。

 恵林寺と言えば、俺の親しく身内付き合いをしていた奥の院さんが居られた会津若松の円蔵寺と同格で、ともに臨済宗の大本山の禅寺ではあるが、武田信玄の墓はあっても、勝頼の墓は慶徳院のまんま、それもお堂の横の鄙びた通路に朽ちて放置してあるまんまだ。

 伝える歴史はなんとでも書き換えることは当たり前のことで、戦国時代はそんな事実があちこちにあった。

 死んだことにする、そこからは別人で生き続けて、決して元の場所には戻らない、よくあることだった。

 当時の人間界では普通のことだったが、マイナンバーなマニュアル現代人には理解など出来ないだろう。

 千葉の房総の先の方にある里寺の由緒に、武田勝頼の長男信勝が建てたというオモシロイお寺が現存する。

 並ぶものはいないと言われた波の伊八の躍動する彫刻も、本堂の天井に刻まれて残っており、俺はそこの方丈さんに頼んで、勝頼の長男、信勝のお位牌も見せてもらっている。

 里美家のお位牌とともに、真っ黒に朽ちてはいるが、今でも現存する。

 ただ、当時のお位牌というモノは、あちこちに複数残すのが慣習で、墓も複数残していたのが名のある武将らの通例だったから、それがホンモノかどうかについては確証は無いが、相当に年季の入ったものだった。

 そのくらいに戦国時代とは、巧妙なお家の存続を図っていた訳だ。

 お家断絶となっても、どこかで繋ごうとしていたのが人間の可笑しいまでもの真実だ。

 そうして方丈さんの話によれば、信勝の位牌は高野山にもあり、墓もあると聞くそうだ。

 真田昌幸も幸村とともに関ヶ原の後に蟄居させられた場所は、高野山の近辺、偶然とはいえ、随分と近くにあった訳だ。

 いろんな歴史の隅に隠したものこそ、俺のような変人には惹かれて仕方の無いモノで、山歩きのついでにその徘徊した足跡を辿ってみたり、キリが無いくらいに楽しいことになる。

 増して徳川家康自身が、複数回は伊賀・甲賀・風魔の連中と入れ替わっているだろうと考えると、武田家を残してやるという考えが出ても不思議はなく、その証拠に奥秩父から甲州に抜ける最後の関所、栃本の関所の代官は、1614年までは武田家の家臣がそのまま勤めていた。

 勝頼が自害したと言う1582年より、32年の後まで徳川家の関所の代官として勤めていた。

 勝頼が生きておれば、68歳になっている勘定だ。

 お代官として勝頼が生きて居たと言っている訳ではなく、単なる人間好きのジジィが歩いて調べ上げた独り言。

 そもそも、勝頼が自害したと言う3月11日よりも1か月ほど前、2月14日には浅間山が大噴火している。

 当然に関東平野にも火山灰は降り注ぎ、捕り物などやっている場合ではなかったろう。

 これにより後世の歴史好きが空想している話として、勝頼は隠密裏に真田家の導きにより岩櫃城へと向かったという話は無理筋の空想で終わる。

 その天変地異を利用して、秩父往還から火山灰だらけになってる関東平野に出て、南房総に隠れ棲み、代々そこに棲み付いていた民の多くが四国から黒潮に乗って漂流して流れ着いた猟師だったという血脈を辿れば、四国へと移ったという話の方が愉快ではある。

 南房総地方には、南房総のマッターホルンとも呼ばれてる伊予ヶ岳という可愛い岩山があったり、四国と繋がる地名は多いが、今でも諏訪神社がたくさん存在することも併記しておこうか。

 四国の高知には、勝頼をお祭りしている場所も現存している。

 高知と言えば三菱財閥の創始者、岩崎弥太郎が出ているが、三つの菱の紋と、武田菱、愉しい捜索は続いている。

 俺が山に登って海で泳いでいるついでに、いろんな歴史の足跡の嘘を暴いているのはライフ・ワークのようになっているが、これも愉しいお話にはなる。

 いろんな地元の語り継がれている話を聞き出すのもオモシロイし、人間とは悲しい生き物ではなくって、本当はもっと愉快で天真爛漫な生き物だと思ってる俺なんかには、やめられない行動ではある。

 そうしてもちろんなことだが、隠そうとしたモノを、ワザワザ俺が暴く必要もなく、独り合点が行けば広言することもしない。

 馬や鹿がぎょうさん溢れ返っている現代社会では、害にしかならず、なんの意味もないことくらい、痛いほど知っておるがな。

 俺自身もそうだが、真実は闇から闇へ、生きた証すら消して行く、あるとすれば女の耳元で囁くくらい、それでエエんやで。

 自分が生きて愉しんでいることにこそ、意味がある。

 

 BRICSサミット、貿易決済通貨としての米ドルを、排除する決定・・・トランプの動きと連動しているようでもある。

 下手な映画やドラマを見ているよりも、退屈な小説を読んでいるよりも、世界の大転換の騒動はオモシロイぜよ。

 演芸猿が豚舎に迷い込んでぶ~ぶ~言ってるだけの島国日本人は、ワクチンとおなじで呑気に笑っておれなくなるだろうよ。

 ほらほら、金(ゴールド)がまたぞろ円建て史上最高値に向かい始めている。

 

 今週末は、高い山の上に戻るべさ。

 あらゆる学問の嘘を見極める、人間の世界を見抜き暴くのは、誰も寄り付かない高い山の上で、が常識さ。

 

 日本では、メディアがいっさい報じないから、BRICSサミットの写真を貼っておくよ。