今回は、糸島市最西端の「つつみいし(包石)」を取り上げる。包石のある場所は糸島市と唐津市の市境。そして福岡県と佐賀県の県境でもある。昔は、筑前国と肥前国、福岡藩と唐津藩などの国境になってきたと記録に残されている。包石の由来は、昔はこの石の上にさらに丸い石が重なり、鼓(つづみ)の形をしていたので「鼓石」といわれ、後に「包石」となったといわれている。
<2016年5月2日> 糸島市二丈鹿家
◇ 大きな岩を乗せた奇岩だね。場所を見ておこう
◇(海沿いの)国道202号沿いを唐津に向かって走ると、海岸に立つ頭に丸い大きな岩をのせた奇岩が見えてくる。うむ、“包み石”だ。因みに、石の他は、何もない! 因みに、糸島-唐津間は、バイパスの「二丈浜玉道路」があるが、行楽としては海沿いをドライブするのも楽しいよ。
因みに、この年は、志摩半島の二見ヶ浦・夫婦岩にも行っている。
二見ヶ浦・夫婦岩はこちら Link先 → 小次郎の行楽-二見ヶ浦・夫婦岩-
◇包石は“境”の目印。
◇ 国交省の管理区間も分かれている。
包石の所へ行ってみよう
◇階段をおりて、浜辺に出ると包石があるよ。
◇ これが包石。傍に碑がある。
◇ ボク達と比較すると大きさが分かる。デカいねえ!
傍に碑がある。勉強しておく
【包石の碑】
碑には『名にし逢う響の灘の白波は 鼓の石におとづるるなり』と書かれている。この歌は伊能忠敬
の一行が、1812年にこの場所を訪れて測量した時の日記の中に古歌として記されている。
【伊能忠敬(いのうただたか)】
江戸時代の商人・天文学者・地理学者・測量家……。 寛政12年から文化13年まで、17年をかけて日本全国を測量し、『大日本沿海輿地全図』を完成させ、国土の正確な姿を明らかにした。(Wikipediaより)
【包み石の由来】
昔はこの石の上にさらに丸い石が重なり、鼓(つづみ)の形をしていたので「鼓石」といわれ、のちに「包石」となったといわれております。
天正16年(1588年)の肥前国と筑前国の境界線協定の締結記録にもこの場所が記されている。
※ 平成14年9月の台風で倒壊。2年後の平成16年8月に復元。
景観を見ておこう
◇ 浜辺の散策も楽しいよ
◇ ボクは岩場でまったり。
筑肥線の電車も走っている。車窓からの景観もいいモンだよ。ん? 車で行ったんだろう? そうなんだが………。
【筑肥線】
「JR筑肥線」は、令制国の筑前国の“築”と肥前国の“肥”を取って命名されたもの。鉄道の路線で同じパターンで命名されているもの多い。調べてみた。
◇ 日豊線(にっぽうせん): 日向・豊前間 ※ 小倉駅 - 鹿児島駅
◇ 筑豊線(ちくほうせん) :筑前・豊前間 ※ 若松駅 - 原田駅
◇ 肥薩線(ひさつせん): 肥後・薩摩間 ※ 八代駅 - 隼人駅
うーん、久大線(きゅうだいせん): 久留米・大分間なので、令制国ではない。ま、細かいことは言わないようにしよう。
【九州の令制(りょうせい)国】
令制国上の「九州」 一般に「九州」とは、令制国の西海道のうち筑前国・筑後国・肥前国・肥後国・豊前国・豊後国・日向国・大隅国・薩摩国の9国の総称とされている。(出展:Wikipedia)
ママとパパが玄界灘へとつづく海岸線を見ながら釣り談義をしていた。うむ、包石とは関係ない。
ママ:あんな岩場にはアラカブがいるんだよ。アラカブは美味しいよね。
パパ:そうだね。昔、子供の頃は、この様な岩場では(兄さんと)メバルを釣っていたよ。
ん? アラカブとメバルってどう違うんだっけ? ネットで調べてみた。
※ アラカブ(カサゴ(笠子))は頭がでかく笠をかぶっているように見える。一方、メバル(目張)は目が張ってでかいのが特徴。
お終い
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