長井こうすけのたたかい日記 

【地域主権・岡山モデル】の構築を先頭に立って提唱する、北区選出の民主党岡山市議会議員・長井孝介の日々の記録です。

開会前。

2012-02-29 09:36:54 | Weblog
おはようございます。
今日から本会議、代表質問日程となります。
私の番は明日の朝からで、もうだいたい原稿はまとめました。

いつものことですが、
1から10までコンプリートした原稿になっておらず、最低限のニュアンスは
当局と合わせとかなければ噛み合わないので…そこから先は
現場(議場)で起こること、感じること思いついたことなどを大切にして
質問を進めます。
当局の方々にはけっこう煙たがられてしまうこともありますが、
その姿勢は大切だとも思いますし崩すつもりもありません。

なので毎回毎回、今度は失敗しはしないだろうか…と不安でもあります。
この緊張感のなか、今回も頑張ってまいります。。。
それでは。

半日日帰り弾丸ツアー。

2012-02-24 15:08:56 | Weblog
今日は今から岡山を出て、車で大阪まで出掛け、長居スタジアムで
「キリンカップ」というサッカーの国際マッチを観戦してきます。(いま車内)
日頃からサッカー協会の方々と親しくさせていただいているので、
こういうイベントにも同行させてもらえて幸せです。

自身の代表質問の準備が大変な時に…不届きな行動のように思われるかも
しれませんが、息抜きの一環として親睦を深める機会として、サッカーを
愛する仲間のレクとして…行ってまいります。。。

じつは質問のほうは、最初の原稿はまとまったところで、
これから先は再質問以降の内容を想定したり、更なるデータ収集の
時間です。
当局のヒアリングも来週から続き大変ですが、最大限の準備をして
当日を迎えたいと思います。

長井の会派代表質問は
3月1日(木)10:00~ です。
よろしくお願いします。。。

あり方の定義。

2012-02-23 12:09:40 | Weblog
可愛い、かわいいと可愛がっているウチの“そうり”くん(ウサギ)。
ネザーランドとして大きさの成長はもう止まり、あとは精神的?成長…
落ち着きや慣つき…という部分が期待される、期待のホープ。
今年は初めて「コタツ」というものを体験し、すっかりお気に入りで
ゲージから出すとすぐに、自分の縄張りのように潜り込み、温まった後も
出てこず中で寛いでいます。。。

嫌なことあっても、しんどい毎日が続いても、彼がいつも変わらず居て
くれることでどれほど癒されてきたか…どんなペットにも共通することでしょうが、
彼の存在に感謝しながら時には意地悪してみたり、悪戯されて叱ってみたり
しながら共に過ごす毎日です。
可愛がっていながらも、彼の爪が伸びっ放しになっています。
切ってあげる技術を持たない私は、一日も早くショップに連れて行って
適切な長さにしてやらなければなりません。
…毛繕いにも、若干影響するでしょうから。

さて、たとえば街中を歩いていて傍らに転がっている石があるとします。
それがいわゆる“あるべき姿”であるのであれば良いのですが、
“なんでこんな所に?”と思わせるような石も、たまには転がっているでしょう。
そんな時、果たして自分は立ち止まれるだろうか?
立ち止まって、立ち戻って、あるべき所に戻せる/運べるだろうか?

道端に落ちているゴミだったらどうだろうか?

ゴミ箱に捨てようとして、悪気なく箱内に入れ損なったとき、
果たして立ち戻ってきちんと入れ直せるだろうか?

“まぁいいか…”
この積み上がりが、誰かの、何処かの、社会の負担になってはいないだろうか?

人との会話でも、意図せず言い過ぎたり、誤ったり、何らかの引っ掛かりが
生じたとしても、
“まぁいいか”と思い、判断し、やり過ごしていることはないだろうか。
その積み重ねが、対人関係にマイナスの要素を作っていないだろうか。

ストレス。
現代社会において常識のように受け入れられている対象物。
こと“受け手”にとっての問題と捉えられているように感じますが、じつは先述したような
流れで、受け手に限らず“与え手”にも巣食っていると確信します。
“まぁいいか”
は、頭では思っていても流していても、心には確かに残っていて、それが溜まって
加害という一つの可視化を成してしまう。…かな、と思うのです。

“まぁいいか”と思いそうになった時、
どれだけ“まぁいい”にせず振り返れるか。
気になったことをどれだけ流さず忘れずいられるか。
違うと感じた物事にどれだけ食いついていけるか。
間違ったかな…と感じた時にいかに素直になれるか。

それを成せたなら、心の“溜まり”は無くなり、ストレスは解消され、
加害に転じる機会もより失われることにはならないでしょうか。

たとえば子どもたち。
たとえば可愛い動物たち。
彼らの姿を目にしながら、“いいなぁ”と感じる心の理由を考えるのです。
たとえば、
ぶつかりを避けることが大人の知恵であり社会の不文律のように生きても、
そこで抑えた摩擦はどこにも消えていないのだ。姿形を変え、必ず表に出る。
ちょうど「エネルギー交換の法則」と同様に。
ぶつかるべき時はぶつかり、怒るべき時は怒り、戦うべき時は戦っておくほうがじつは、
人間として社会として、男として女として、正常に機能し生きていけるように思うのです。

ウチのそうりくんは
とても可愛い姿をしていながら、方々から可愛がられながらも、
いつまで経っても凛とし、ご飯の時だけ愛想を振り撒き、しかしトイレだけはきちんと
決まった場所でし、な~んにも考えてないような風体で僕たちに安らぎを与えてくれる
んです。すごいですね。

沖縄。

2012-02-21 14:19:02 | Weblog
若いころから、沖縄へは毎年1回を目標に出掛け、海で遊んできました。
海外の海も素敵なところは沢山あるでしょうが、私は沖縄が一番好きです。

その沖縄は、こと政治の観点からみれば大きな問題を抱えた場所です。
領土、防衛、環境、治安、何より生活水準。
一人ひとりの方々がそれぞれの人生に、我々より強く不満を持たれている…
とは必ずしも言い切れない、と体験経験から思いますが、しかし社会、
政治的切り口となると、その膿は溢れんばかりに溜まっているのです。

政府の環境アセスへの知事の返答。
客観的事実の検証以前に、人として県民としての必然的感情が見え隠れして
いるように思え、じつはその問題のほうが具体事案よりも重く、深いのでは?
とさえ思えます。

解決とは何なのか。
日本、という括りのなかで全てが幸福な選択、決断とはどんなものか。
あるのか…?
考えれば考えるほど深みに嵌まる自分、他方でだからこそ軽々に現状批判し、
浅い同情を以って共有してるかのように振舞う者に対する嫌悪感は増幅され…

私はあえて素人目で思うのです。
直接的解決、も然ることながら、たとえば
「沖縄県民の国税免除」
など、視点を変えた方策はあり得ないだろうか?と。
そういう視点って、もしかしたら我々国民が沖縄に対して、県民の皆さんに対して
具体的に示せる敬意、であったり感謝であったりしないだろうか、と。

玄人目で見始めると、出来ない理由が先に見えてしまったりするものです。
だからこそ、この大切な問題に対する見解は斬新に、より前向きでより共有可能な
モノに仕上げていく観点が欠かせなく思います。
皆さんは他に、何か腹案はないですか?

あの海のサンゴたちが、年々亡くなっていってます。
海ガメたち、マンタたち、今も変わらず悠々と舞っているでしょうか。
我々は、判った風でいて“いいトコ取り”をこれからも続けるのでしょうか?
私は何らかの形で、あの地に、あそこの方々に謝意を示したい。

言葉になるのは後でいい。

2012-02-19 16:17:20 | Weblog
最近は週末も丸々一日休める日がなく、
毎週末ごとにさまざまな企画や集まりが入り、少し
疲れています…
でも、定期的にこういう時期は訪れ、その度ごとに
思い出し、心の修正を施すのです。

自分はどんな初心でこの仕事を目指し、今こうして
活動させてもらっているのか?
それを思い起こすたびに、疲れただのしんどいだの言って
られないなぁ…と省み、逆に感謝の心を大切にしようという
思いを培うのです。

今日も昼間に「チャリティーコンサート」に取り組んできました。
こないだ紹介したので内容説明は省きますが…
今年の取り組みは関係者の方々からも観客の側からも
“たいへん良かった!!”
と言っていただき、また一緒に出演した仲間もやり終えたあと、
とても充実した雰囲気を共有していたようなので、良かったです。

心を込めて、東日本とスーダン、同じく苦しみ悲しみを抱えながら
生きている人たちへ朗読を贈りました。
心を込めて、日本とスーダンとの架け橋になれるように…と
歌を届けました。

政治の仕事って何なのか
取り組んでいることの一つ一つに、果たしてどんな意味があるのか

己に突き詰めてみても、何から何まで明確に答えられるものばかり
ではありません。
だからといって、それらが無意味なものだなんて決して思いません。
人の営みって、そんなすぐにきちんと説明のつかない所からも
大切なものが育っていたり、素敵なものが宿っていたりすると思うからです。

いろんな畑で頑張ってらっしゃる方々の脈動から、何かを
感じ取れる時にきちんとキャッチできる者ではありたいと思います。
そういった培いの中から生まれる言葉にこそ、重みや深みが
備えられるのだと確信しているところです。
今日流した汗に、今日の本番までに悩ませた頭に、それなりの価値を
感じるのです。

接遇の型と心。

2012-02-18 15:51:27 | Weblog
久しぶり?に、気持ちの良いレジの店員さんに遭遇しました。
けっして若くはない女性でしたが、とても元気にハキハキとした方で、
順番を少し待たされても少しも嫌な気分になりませんでした。

ボクの前はおじいちゃんでしたが、
“もう7円、ない?”
“ここで袋にいれといてあげるわ”
とか、おじいちゃんのことを思って丁寧に優しくしてあげていました。

そういう時、とくにおじいちゃんなんて(笑)可愛くなっちゃうものです。
とってもおとなしく、とても満足げに
“ありがとう”
という当たり前の言葉を残して出て行くのでした。

そのあとのボクの番になり、
“ごめんなさいね、お待たせして”
と一言くれながら、またテキパキと動き始められたのです。
当然ボクからも
“ありがとうございます”
の言葉が洩れ、温かくなるのです。

昨今、コンビに等ではとくに接客がマニュアル化され、
店員さんは皆、一緒の言葉を発し、小さく開いた口から早口に問われ、
“あっはい…”
としかこちらも言えず、去り際には会釈をするぐらいに収まる。

元気、明るさ、温かさ…そんな素敵で大切な一期一会の醍醐味を、
いまの世の中は、いまの社会は失いつつある。
今日のあの素敵な店員さんのような方が、そういう部分の伝道者に
なってくれるような社会になれば良いのに…と感じるのです。


“あっここ知っとる~ファミリーマート!!”
“ここ、よぅ来るんよ”
と友達としゃべりながら、ヘルメットかぶって自転車に乗って
「ハッピーマート」の前を走り抜ける、可愛い女の子二人を目撃。
堂々と店の名前を間違えながらも、たぶんあの素敵な店員さんとの
やりとりを知っている子どもたちなんだろうな…
と思いを馳せながら、また温かさを分けてもらうのです。。。

若さへの期待。

2012-02-16 00:33:20 | Weblog
美味しいものが何でも好きで、紹介されたお店にはだいたいすぐに
行ってみる…という行動力。このルーティンが仕事や全てにおいて
共通しておれば、もちょっとはマシな人間で居られるのでしょうが…
さておき。。。
今夜は大好きなイタリアンを食べに、最近教えてもらったお店に
行ってきました。

美味しい。
そう感じられることは、食事をしに行ってる以上もちろん大切な前提ですが、
たのしい。
素敵だな。
そういう風に感じられることもまた、劣らず大事な要素かな…と思います。

今晩お邪魔したお店は
修業の場であり、憩いの場でもあり、安心感を与える場でもありました。
大将(シェフ)は恰幅の良さが滲み出た、若手に対する厳しさもビリビリ
伝わってくる感じの方。働いてる若手たちは、今時の雰囲気を持ちながらも
与えられたその場その時の仕事に対する姿勢に真剣さを感じさせてくれる。
それでいて、その双方ともが、私たち(客)に対しては温かい笑顔で、的を得た
サービスや心配りを提供してくれる。
そんな空間だからこそ、美味しさとともに快適さや素敵感を味わったのかも
しれません。嬉しかったです。

仕事がない。
雇用対策、雇用の創出…
今の世の中、このようなフレーズが覆い、若者たちは社会への入り口から
苦しんでいる様が強調されます。
でも私は、いつも疑問を抱いています。本当にそうだろうか?

なりたい自分 = なりたい職業
としか考えられない者があまりにも増えすぎているのではないだろうか?
自分とは本来、何者でもない。だからこそ何者かになりたがるのだけれど、
一方で、だからこそ何者でもあり得、何者からでも何者にもなれる。
そんな可能性をフルに活用すべきが若者たちの時期であり、最大の好機だ。
具体的な“ 何者か”になることが勝利ではなく、何者かになりたいと常に思い、
輝いている人間であり続けることが素敵であり強者である。
人は、勝者であることよりも強者であることのほうがカッコいぃと思う。
そんな強者こそが本当の愛情を周囲に与えられる存在である気がします。

今晩あの厨房で頑張っていた若者たちは、決して皆がみな料理にこそ情熱を
抱いてあそこに居たのではないと思います。
でも、彼らは間違いなく、今後どんな選択をし挑戦をし、人生を紡いでいくにしても
きっと強者の歩みを重ねることができるでしょう。
働く姿勢で、その眼差しで、そういう力が伝わってくるのです。

人生に悩む若者たち。
就職難にあえぐ学生たち。
しかし君たちに本当に人生を戦い抜く覚悟があるか?
心から、自立し社会に貢献したい!という気概があるか?
ただ一日も早く抜け出したい、勝ち抜けたい、という思いが先行してはいないか?
ブランドに、ステイタスに拘っていないか?
ハローワークに、就職情報誌に、本当に仕事が転がっていないか?
まだ何者でもない自分を、自分が勝手に甘やかせ、身勝手に過大評価してはいないか?
僕たちの父や母は、果たしてそんな心構えで人生を戦い抜いて来ただろうか?
チャンスをつかむために舐めなければならない辛酸を、君たちは今まで
どれほど味わったというのか?

まだ37の私が、そんなに偉そうに説ける筋合いもなかろうけど、
でも僕は君たちの頃、何をやるにしても今日のあの店の若者たちのように
輝いた目で生きてきました。
30歳を過ぎても、一ヶ月休みなく働いても15万も貰えないくらいの、厳しい条件で
花屋で働きながら結婚生活を送っていた時期もありました。
でもいつか成功してやる!!という根性を胸に、自力で歩んできました。
自分に呆れたり、周囲の人間に怒ることはあれども、社会に対して政治や行政に対して
不満を抱いたり期待したりしたことはありません。
政治は本来、あなたたちぐらいの困難に差し伸べる手を持つ余裕はないのです。
若者は若者だからこそ、自力で何とかしなければならないのです。

普段なかなか、思っていても口に出せない複雑な思いを、今晩の素敵なお店の
あり様を目にすることで動機付けられました。
本当に悩んでいる方々、申し訳ありません。でも私は本気でそう思っています。
勝者になることを目的にしたり、それを急いではいけない。
強者になる努力を続けることこそが、きっと皆さんの道を拓くと信じるのです。

積み重ね。

2012-02-15 11:58:19 | Weblog
2月議会の開会を間近にひかえ、代表質問を仰せつかっている
長井は毎日のように原稿の作成・校正に汗をかいている毎日です。

どの分野においても、質問内容を煮詰めている途中で
その内容がリアルタイムで政策的変化をして、質問する内容も
揉み直しを余儀なくされたり…で大変です。
でも、その面倒な作業の積み重ねを怠っては本番で胸が張れないので…
今しんどくても、やるしかないんです。

話が変わりますが、
この日曜日に、西川アイプラザで「チャリティーコンサート」
があります。昨日の新聞にも取り上げていただいてましたが。
高井たかし衆院議員と一緒に、毎年参加しています。
“チャリティー”
という言葉の意味を、自分たちの思いを、ステージで
どういう形で表現できるか…
毎年のように頭を悩ませながら、内容を考えて取り組んでいます。
しかも、なるべく他の出演者の方々とカブらないように。。。
今年もなんとか、形が準備が整いました。
私はともかく、高井さんも忙しい中ですが、心を込めて取り組みます。

議会ではいま、この2月議会で「一問一答方式」を試行的に
導入できるかどうか…の最終的な鬩ぎ合いです。
議会側が“GO!”なのに、市長はじめ当局側がひるんで
ブレーキをかけようとしている~という説明が、簡潔かつ的確だと
存じます。
情けない話ですが、それならそれで、こちらも本会議のなかで
遠慮なく攻撃させていただくまでです。お楽しみに。。。

少しご無沙汰でした。

2012-02-14 15:54:19 | Weblog
週末日曜には会派「市民ネット」主催のボウリング大会があり、大勢の方に
参加いただいてとても盛り上がりました。
…自分はその日の午前中のサッカーの試合で手首を痛めてしまったため、
プレーヤーとしての参加は叶わなかったのですが…脇で裏方作業のお手伝いだけで
十分、楽しかったです。ご参加くださった方々に、協賛いただいた各位に
心から感謝いたします。
“サッカーなのに何で手首を怪我するんなぁ?”
という温かい質問を何人もの方にぶつけられ、タジタジでした。。。

その他にも高井かたし衆院議員の後援会の常任幹事会もあり、
お忙しいなかたくさんの方にご参集いただき有意義な議論が成されたと思います。
幹事長として進行役の私としても、皆さんから前進的なご意見を聴取できて
良かったです。
…そろそろ“解散風”が強くなりそうですから…

その関連で…ということにはなりませんが、
民主党所属の岡山県議だった一井さんが辞職されました。今はただ驚きばかりです。
“長井くん、どぅなっとん!?”
たくさんの方から尋ねられるのですが、私から何かを発信する訳にもいかず、
ちょうど今ぐらいの時間帯でしょうか、記者会見があるやにも聞いてます。
そこでご本人が“思いの丈”ってやつを語られるんじゃないでしょうか?
しかしホントに、色んなことがありますね。
子どもじゃあるまいし、少々の事々で一々揺れていてはどうにもならないですが、
“でも、時には感情のままに揺れてもいいんじゃないかな…”
などと思うこともあります。

いろんな動きを、一政治家として見、捉え、考え、理解し、消化し加工し、
「判断」や「行動」を生み出す努力を続けるのみです。。。

幾許かの罪悪感。

2012-02-09 13:05:00 | Weblog
真昼の雪。
岡山市内で舞っている様を見て、今の寒さを思い知るわけですが…
逆に言えば、室内に居ることが長くなればなるほど、その自然時節を
体で肌で感じる機会を失いがちになり、もっといえばそれに抗う
文明の利器の力で温かさを得ていることになります。

復興、節電、エネルギー政策…
今後の政治が「立て看板」として取り組まなければならない事案について、
真剣に考えるべき立場の者として、自身の日々の過ごし方についても
見直しが要るのかな…と省みる次第です。

そうは言ってもたとえば今晩、長井は信じられないほどの寒さのなか、
中学校のグランドをお借りしてサッカーの練習に勤しむのであります。
鼻水も垂れる、寒いはずなのに汗もかく、時には転んで擦り傷もつくる…
社会人仲間が集って、まるで学生たちのように取り組む時間は
私にとって大切なものであり、あとどれくらい続けられるのか時間や年齢と
戦いながら(笑)、今晩も走り回ってきます。。。雪よ、止んでいてくれ。。。

国会の議論を側聞しながら代表質問の原稿校正を続けているところです。
今日は幾分、野次係がおとなしいようですが…
政府側にはくれぐれも、与党側からの質問時間と野党側とのそれとの
対応、口調など変化無く、真摯に性格に対応いただくことを願っています。