長井こうすけのたたかい日記 

【地域主権・岡山モデル】の構築を先頭に立って提唱する、北区選出の民主党岡山市議会議員・長井孝介の日々の記録です。

本日の経済委員会。

2010-11-25 12:23:13 | Weblog
長らく、ここを留守にしている間に…また色んなことが起こっています。

色々ありますが…岡山市の「国庫補助金の不適正処理」について少し。
今日の委員会でも報告を受けましたが、その中の説明で「原因」という項が
ありました。
・事務費の適正な会計処理に関する認識が不十分であった
・直接必要な経費に限られることへの認識が不十分であった
・もらった補助金はできるだけ活用しようとする“使い切り”
 の意識が生じていた

という3点が挙げられていました。
日ごろは温厚な私も、ここでは少々声を荒げて指摘してしまいました。
“2つの「認識」は、公務員ならば誰でも解っていること。
十分か不十分か、という問題ではない”
“「使い切り」の意識については旧来問題になっている課題だが、
今件はその類の額ではない。問題のすり替えである”
の2点。

結局誰が悪いのか?
誰が悪いこと、ズルいことして得してしまっているのか?
判明し次第、どう罰するのか?

こういう話にならず、
“今後はこのような不祥事が起きないよう、管理チェック体制を
強化いたします”
などと説明を括り、終わろうとする。

簡単な問題を難しくする。
稚拙な問題を深長に仕立て、責任の所在・明確化を避ける。
だから繰り返されるのです。

加えて言えば、“使い切り”の意識、行動についてはもっと深い
問題です。割合にしても額にしても、本来ならもっと大きな問題になる
案件を、岡山市に限らず多くの自治体が抱えながら心中意識で続けている。
真にこれを変えよう、無くそうとするならば、国のかたち・システムを
根本的に変え、行政形態全般をリセットしなければならないはずです。

このような大きな問題を、当方の稚拙な案件に当てはめてオブラートに
包み、本来の悪を正せない体質に…怒りました。
私のツッコミを受けての当局答弁は素直でした。

“悪いことと認識していながら、流用できれば…との思いでやったものと
推察いたします”

さて、つまづきを経てどのように変わっていけるのか…
組織的な取り組みも勿論ですが、元を質せば人事畑のそもそも論に
大きな波紋を呼ぶことにもなる。
当該議会議員として、今後を看ていきたいと思います。

そぅりの活動報告。

2010-11-06 21:03:27 | Weblog
今日の昼下がり、我が家の“そぅり”を連れてペットショップへ
行きました。
(そぅり、とはウチのペットのウサギの名前です)

爪を切ってもらい、簡単に健康状態を看てもらい、
“めっちゃ元気です!!”
との診断をいただき、ついでに総理ぐらいのウサギが遊べる場所を
教えてもらい…
ついでにその場所に、初めての野外活動に連れていきました。

最初は面食らってビビッている様子でしたが、次第に慣れて
芝生の上を走り回り始めました。
とても楽しそうで、ボクも楽しみ心も和みました。。。


…だから? と問われると何のオチもないので恐縮です。
ただ、
“せっかくウサギ飼ってんなら、たまにはブログに載せてくださいよ”
とのリクエストがあり…取り急ぎ本日の活動報告をさせていただいた
次第であります。
写真をアップしないと効果薄ですね。
今後、検討します。

うさぎ、かわいいですよ。
ボクのはネザーランドドワーフです。
今後ともよろしくお願いします(笑)

慎重は強い。臆病は…

2010-11-05 21:41:04 | Weblog
我田引水。
だいたい、使われる際は良い意味合いではないですね。

ボクは腑に落ち切っていません、いつも。
あの…政治とか、仕事などでの話しですよ。
プライベートとか人間性などの話ではない前提で。

我が田に水を引くことは、その努力は、大切じゃないですか?
日本国なら日本国、県なら県、岡山市なら岡山市。
出来る限りマックスに、水を引く作業と努力は惜しまれるべきではないと
思っています。
しかし、この世界ではとかくキレイ事が横行しがち。。。

なぜ?なんだろう?と苛立つことがよくあります。


日本が好きです。
こういった、奥ゆかしさや品位を重んじる風習文化が根から培われている
からです。
しかし、日本が腹立たしくもあります。
こういった、ズバッと言い切ったり本心を曝け出して戦う気概を好しとしない
感覚が“世間”“世論”という、かりそめの大勢として君臨しているからです。

ボクは岡山が好きです。
だから政治の場でも、出来うる限り“我が田に水を引くべきだ”と
思っています。
持っている全ての知恵と力を結集して、他都市とも国とも渡り合って、
より多くの水を引いてくるべきだと思っています。


大切なのは、その水の質です。
ある一定の者だけのメリットでしかない水は、裏を返せば全体にとっては
毒でしかない。
またよく間違われるのは、ある一定の者にはより多くのメリットが生まれるが、
全体としてもプラスになる…という類の水のある、ということ。
これさえも“我田引水!! 我田引水!!”と責めを負ってしまっては、
生まれるものも生まれない、伸びるものも伸びない。


皆さんは、こんなこと感じたことはないですか?
おかしいな…とつまづくとと、ないですか?
こういうのって、爽やかじゃないですよね?
スッキリしないですよね?


国。
中国に対してもそう。
ロシアに対してもそう。

市。
公共交通の問題にしてもそう。
ファジアーノ支援にしてもそう。

大儀があれば胸を張れるはず。
顔色を伺い、世論を伺い支持率を軸とし、大儀が薄れれば薄れるほど、
敵の付け込むスキは大きくなり、胸を張るポイントも見失ってしまう。

最近の大人は、怖がりが多いのでしょう。

変わらぬたしなみ。

2010-11-02 21:00:42 | Weblog
夕暮れ時、ポスター貼りに精を出して歩き回っていると、近所の公園で
小5ぐらいの男の子が一人で、サッカーのユニフォーム(リバプールのレプリカ!!)
着て、ボール蹴って練習?しているのを見かけました。

ボクと目が合うと
“ヘンなオッサンがおるなぁ”
みたいな怪訝な空気を全面に出しながら、しかしあまり気にする風でもなく、
ネットに向けて再びボールを蹴り始めました。

ご存知?のとおり、ボクはサッカー少年です。でした(訂正)。
彼の姿を見て、自分がサッカーを始めた頃のことを思い出しました。
彼と同じように、家の近くの公園に“自主練”にくり出してました。
巧くなりたくて、ベンチ入りしたくて、レギュラーになりたくて、
フォワードになりたくて…強い想いをもって一人でやってました。

そんな自分だからなのか、今になっても諦め悪く(笑)、社会人サッカーで
選手として楽しんでます。


“頑張っとるのぉ”
“一緒に蹴るか?”
頭には、こんな言葉たちがよぎりました。
でも、実際の自分は彼に、何も言葉をかけられないまま、ただ中途半端に近付いて、
そこにあった水道で意味も無く手を洗って…ひたむきな男子の姿を30秒ほど見て
あとにしたのです。


懐かしい少年時代を思い出させてくれた、そしてその頃のあの時間にしばし心を
いたす幸せ。
しかし現実のその時には、彼に何も投げかけてやれなかった、何故だろう…
その自分の至らなさへの無念。
複雑な色んな感情を覚えた、今日の夕暮れでした。

どうでもよい事かもしれない。
でも、なんだか大事な“つまづき”のような気がするんです。
つまづきから気付かなければならない、ささやかな事がある。

ボクは政治の仕事をやっている。
誇りと責任感をもって、精一杯に取り組もうと努力している、つもり。
活動の一環としてのポスター貼りを頑張るのも良いだろう。
でも、ふと気付いた、近所の少年の頑張りに対して、しかも自分も個人的に
深く関わっているサッカーに対する頑張りを見せてくれている彼に、
気の利いた一言も掛けられないような大人に、いつからなってしまった?


ボクが声を掛けたところで、彼にとっては近所の煩わしいオッサンにしか
映らないかもしれない。
でも、それでイィではないか。
ボクは子供の頃、色んな大人がいたけれど、うっとうしくても面倒くさくても
けっきょく関わってくれるオジサン・オバサンに育てられたんだと思う。
忘れてはならない、無くしてはならない、いっぱしの大人としての
たしなみであろう。心に刻むべき、反省の1ページでした。