長井こうすけのたたかい日記 

【地域主権・岡山モデル】の構築を先頭に立って提唱する、北区選出の民主党岡山市議会議員・長井孝介の日々の記録です。

でっかいどぅ。

2007-08-28 05:19:54 | Weblog
報告がたいへん遅くなってしまいました。
22日~24日の間、市議会の会派視察に出掛けてきました。

公費で行われる団体行動ゆえ、相応の緊張感を以って臨んだ
つもりではありますが、あまりにも広大で壮大な北海道の大地に
折に触れ圧倒される毎に、不謹慎ではありますが少しづつ
気も解れ、先輩議員の皆さんとの距離感も近くなったような
気がして楽しくなっていきました。

旭川市の旭山動物園、夕張市の市政視察、苫小牧市のウトナイ湖
視察と、想像以上に移動距離の長いしんどい日程でした。
最年少の元気一杯の自分は、実はその殆どの行程の運転手も務め、
違った意味でも充実しました…
途中、運転を代わってくれた田原さんが少しだけ(?)優しい人に
感じました(笑)

皆さんは旭山動物園は、もう行かれたことありますか?
実はここは、会派視察の目的地に決まる以前から、個人で行こうと
思っていた場所でした。
考えてみると、もの凄く特別な変わったことを、奇を衒ってしてる
わけじゃないんですよね。運営する側が真剣に、訪れる側の気持ちに
なって創っていこうとしてるだけなんです。
動物園に限らず、どんな行為・施策にしても、この『側に立つ』の
心得がとても大切なんだと思います。
そんなに若くはないのに、目をキラキラ輝かせながら僕達に園の
説明をしてくださる園長さんの姿から、改めてそう感じました。

余談ですが、僕は将来、岡山にもの凄く素敵な動物園を創ることが
夢の一つです。だからこそ、この旭山動物園への視察には特別の
思い入れがありました。
“子供たちが喜んでくれるのが・・・”と幸せそうに語る園長さんの
言葉の節々の意味を、根っこから感じられたような気がしました。

夕張市政について、お話を伺ったうえで見解を簡単に述べると
するならば、やはり市長の傲慢と市議会の怠慢です。
僕はあの前市長はある意味、有能な方だったのだと思っています。
だからこそ引き起こす悲劇も、矛盾も、パラドクスもあるのです。
同じ土俵に身を置く者の一人として、これからの活動や思考の
ひとつの大きな教訓にしていかなければと思いました。

ウトナイ湖。
野生の鳥獣が数多く生息・飛来する大湿地帯でもあり、果たして
ラムサール条約に登録されています。
本当に素晴らしい大自然がパノラマ状に広がる一方で、残念ながら
その四方に広がるのは広域工業地帯であったり、市内を貫通する
国道であったり、区画整備が進められる振興住宅地だったりでした。
誰ともなく、その点を質問・指摘すると、“いやぁそれは、保護の
政策より先に工場や区画整備の計画や実績があったもんで・・・”と
スッキリ答えられたのに肩透かし的なスベリを覚えるとともに、
北海道の皮肉的な大きさを感じもしました。

もっともっと詳しくお伝えしたい処ではありますが、じつはまた、
今日から3日間の日程で文教委員会の視察に出掛けます。
少しでも仮眠をとって臨みたいと思います。
この辺でご容赦ください。       おやすみなさい。。。

放つ輝き、残す宝。

2007-08-21 03:11:26 | Weblog
朝から、高井たかしさんがご両親と共に僕の自宅に
ご挨拶にきてくれました。
少なくとも僕の処はイイだろう…とも思いましたが、
それでも考えてみればご両親はウチは初めてでした。
ご挨拶云々でなく、とりあえずウチの両親は大喜びでした。

昼からは市役所内で会派会議。
政令市移行へ向け、水面下で進む動きに対応すべく、
会派の皆さんと情報・意見交換。

その後に県庁に向かい、こちらでも民主県民クラブの
皆さんと一緒に【政令市移行に向けて】の勉強会。
神奈川県川崎市議会議員の猪股美恵さんを迎えての集まり。
なかなか訊けない貴重なお話や、勉強不足な僕の素朴な
質問へのお答え等を頂きました。

今夜は大事な送別会がありました。
高井たかしさんや僕の活動を、ずっと手伝ってきてくれた
石橋くんがこの度、就職が決まり地元・島根に帰ることに。
皆それぞれ忙しい中、仲間の石橋の門出というコトで
沢山の面々が集まり、楽しい時間を過ごしました。

石橋とは一緒にフットサルをしたり、祭りの出し物を
やったり、パーティーのスタッフだったり…お楽しみ系の
繋がりが多かった気がします。
本人はそこを若干、申し訳なく感じちゃってたりしてる
みたいですが、その参加が、そのマンパワーが、どれほど
僕たちの力になったことか。
形に残らなくても、目に見えなくても、周りの仲間の
助けになることがあるということ、存在する・居てくれる
有り難さというものを、伝えたかったし今までもずっと
知って欲しかった気がします。

そしておそらく、それは彼には伝わっているし
知ってもらったと思っています。
“また来ます、ありがとうございます”
と言う彼の姿に、その確信を得るとともに、志した舞台へ
旅立つ男の凛とした風を感じました。

想いばかりは一丁前に持ちながら、日常の段取りの悪さ
からなかなか抜け出せず、やるべきこと、こなすべき課題
をズルズルと後回しにしている自分の姿を省み…
石橋の輝きに自分の初心を照らされたような、気恥ずかしさと
強い自戒の念を抱いた次第です。

大切な仲間がまた一人、岡山から旅立ちました。
一期一会。
確かに増え、着実に成長していく彼等のためにも、僕も
もっともっとしっかりしなければなりません。
日々戦わなければ…戦いはまだまだ始まったばかりです。

夏の到来が大好きだった。

2007-08-19 00:38:18 | Weblog
35度…猛暑日。
40度越え…新記録。。。

僕が子供のころなんかには、真夏日という単語は聞いてたが
猛暑日なんて表現は聞かなかった。
40度を越える気温なんて、何十年も前に確か山形県で記録
された貴重な(?)数字だった気がする。

今年の夏、今の日本ではそれが普通に起こっている。
九州で米作りが困難になり始め、北海道で米が作れるように
なっている。
“日射病に気を付けて…”とは注意されてたけれど、実際に
“熱中症で命を落とす”なんてコトは聞いたこともなかった。

そして何より僕が、日頃恐いと感じること。
それはニュースや気象情報などでのテレビ報道で、キャスターの
皆さんがその危機的状況を報道するのに、然したる危機感を
感じさせない、爽やかな明るい雰囲気で伝えていることだ。
気温が上がることはそんなに楽しいコトなのか、
“猛暑ですねぇ”と報道することが目的なのか…

地球の南の島国では、国消滅の危機に瀕している所もある。
北半球の猛暑の裏側で、南半球の記録的な極寒の冬も訪れている。
富士山の雪景色も徐々に失われつつある。
一体、日本の何割の海岸が失われれば、僕たちはこの危機に
真剣に取り組むようになるのだろう。

京都議定書に記された目標数値に沿って、EU諸国はコツコツと
成果を上げている一方、日本はピカイチの技術を持ちながら、
各企業も、各自治体も、各家庭も、諸事情(?)に阻まれ軋轢に
もがきながら、漫然と横ばいの数値に頭を抱えているふりをして
やり過ごしている。
世界の警察・現代の大帝国は、この議定書に批准さえしていない。

そうはいっても僕たちの世代は、憂いながらも嘆きながらも、
どうにかこうにか今の恵まれた世の中で生を全うするだろう。
子どもたち、孫たちの世代に、一体どんな社会を残して死んで
いくのだろう。

このあいだ、僕の甥っ子が部屋の中でクマゼミを放し飼い(?)し、
ひと通り遊んだ後に“可哀そうじゃけぇ逃がしちゃろっ”と言い
窓からそのセミを解放した。
僕が子供のころは、公園に行くと“これでもかっ”てほどセミが
鳴き散らし、小便を引っ掛けられながら格闘のすえとっ捕まえ、
連れ帰っては死んじゃうまで籠の中で弄ぶか、標本にして満足
していた。
もしかしたら今の子供たちは、僕の頃とは違う、生き物への
価値観を見出しているのかもしれないと思った。

“週末は天気が崩れ、雨が降り易い状態になるので、幾分暑さが
和らぎます”
この上ない朗報のように伝えるニュースを耳にし、釈然としない
モヤモヤを抱きながら、そんな映像・音声を、エアコンの効いた
涼しい部屋で受け取っている自分の姿にまた、何ともいえない
カオスといえば聞こえの良い、言い訳でもない情けなさを覚えずに
いられないのです。

不良でない夜遊び。

2007-08-15 13:55:20 | Weblog
ちょっと前の話。
12日(日)の夜、メールが入る。…玉田からだ。
“今、村山さんと駅前でダベッてます”…いかにも呼び出し
メールである。

実は数日前から、この日程で村山・玉田コンビが帰岡すると
いうので、会うことになっていた。
村山は鹿児島から、玉田は京都から、それぞれ懐かしい
岡山に足を運んできたというわけだ。

2人は岡大の経済学部の先輩・後輩。村山は当初から政治に
興味を持っていたようで、03年の津村さんの選挙・04年の
江田さんの選挙・05年の菅選挙と関わってきた人物。
菅選挙から高井市長選挙にかけて僕と知り合い、妙に仲良く
なってしまった。
一方、玉田はそんな村山の後輩として、何の興味も無いのに
先輩に連れて来られ、何となく高井さんや僕の手伝いをしてる
うちに【ハマッて】しまったクチ。かといって決して後ろ向きで
なく、ホントによく手伝ってくれました。

そんな2人も今や立派(?)な社会人となり、記者として企業戦士
として働く傍ら、盆休みで岡山に来てくれた。

“何処行きます??”
日曜日の夜…何処に行くとて、当てもない。
“渋川、行きますか!?”…玉田が提案。
“イイねぇ、行くか!!”…長井が乗っかる。
“今日の昼間、自分、女の子と渋川に行って来ちゃいました…”
村山の赤裸々な告白とともに、渋川行きは白紙撤回。

“湯原、行きます!?”…村山から衝撃的な逆提案。
“湯原って…遠いですよ、ね?”…玉田の冷静な判断。
“まぁ、自分も明日の朝7時の新幹線なんですけど”…村山。
“間に合うだろ…行くか!!”…リーダー長井の英断。

23時ごろ、駅前発。最初、湯原と湯郷の区別がつかず、
誤って東に舵を取りかけ、慌てて山越えで53号に乗り換え。
この山道の道中で、岡山の夜景を眺めながら、新米社会人達の
泣き言や愚痴を聞いては、馬鹿笑いしながら北上。
0時半ごろ、真庭の「JOYFUL」で腹ごしらえをし、1時半ごろ
湯原の『砂湯』へ到着。

実はこの時、リーダー長井は『砂湯』を勘違いしており、
浸かり方の種類だと思っていた。『足湯』みたいに…
“砂湯って…そういう場所か!?”
“そ、そうですよ…”
もともと岡山県民でない後輩2人に窘められつつ、
“いやぁ、この面子で恥かいといて良かったわ”
と反省しつつポジティブなリーダー。

深夜だというのに、“なんじゃこりゃ!!”と思うほどの
人の影…大盛況だ。とはいっても、入浴料は\0だが。
しかもご存知、ここは混浴。それぞれドキドキしながらの
現場入りだったが、幸か不幸かほとんど男ばかり。。。

すぐ横を流れる旭川の冷水に、時折体を浸けて“冷てっ!!”と
騒ぎながら、概ねは大人しくゆったりと湯に浸かり、それぞれの
トークで時を過ごした。
こんなゆるやかな時間なら、ずっと浸かっていたい…なんて
想いながら、そうはいってもやっぱりリーダーが一番に音を上げ
湯から上がる。それでも約2時間という、信じられない長風呂。

程なく2人も上がってきた。
当然、無計画な発案だったため、村山はフェイスタオル、玉田は
ハンカチみたいなタオル、長井は何も持たずである。
困るかなぁ…と思ったが、思いの外、自然乾燥でイケた。

4時前に帰途に着く。
“5割ぐらい、眠いっす”と言った玉田は、3分後には落ちた。
“眠くなったら、いつでも運転、代わりますよ”と言った村山は
5分後、シートを倒して熟睡を始めた。

建部と御津の町境のコンビニで車を停めると、2人ともスッカリ
目を覚まし、“いやぁ、朝っすね~”と爽やかに笑う。
市内まで戻り、喫茶店でモーニングをほおばりながら、別れの
前の最後の時間を過ごす。
ほんの数時間ではあったけど、密度の濃い時間を過ごせた感の
漂う彼等の表情を見、疲労感を上回る言い難い気分を味わう。

朝7時前、約束(?)どおり駅前に届けた。
村山はそこから鹿児島へ直行、昼から仕事とのことだった。
玉田は昼間で岡山で過ごし、実家のある三原へ里帰り。

そんな彼等にとって、そんな寸暇を縫って岡山に滞在する意味合いが
何処にあるのだろう。
馬鹿げている。確かにそうかもしれない。
でも、そんな奴等の、岡山への熱い想いに対し、在岡のツレとして
少しでも共に過ごせたことが幸せだった。
考えるまでもなく、こんな連中が誰にでも居てくれる訳ではない。
一期一会という言葉があるが、僕はこの言葉の意味を幾通りにも
解釈したくなってしまう。

“次は年末だな”
“そうっすね、でもボーナス出てからにして下さいよ”
“次は鹿児島にしよぅぜ”
“それ、前から何回も言ってるじゃないですか。ホントに来る気
あるんですか!?”
“あるよ、次は鹿児島じゃ”
“僕はもぅ行きましたけど…”

約束とも言い切れない、奴等との口約束。
果たして僕は、全うすることができるのだろうか…

真夏の夜の、仲間とのほんの数時間の今年の思い出。

事の重大さを観る。

2007-08-08 01:44:05 | Weblog
江田五月参議院議員が参院議長に就任されました。
経緯を思えば至極自然な流れではあるものの、一方で
自分の初選挙で選対本部長を受けて頂き、声を枯らしながら
マイクを握って頂いてた方がそんな頂に就かれたことに、
何やら不思議な感慨が心を覆います。

この先が非常に重要な局面…という所でこうして立場を
与えられる大先輩を僭越ながら誇りに思い、心からの拍手で
応援し続けていきたいと思います。
おめでとうございます。本当に大変な日々が続くと思いますが
やはり江田さんしか出来ないとも思います。くれぐれも体調に
留意して頂きたいと思っています。

今晩、ある会に参加させてもらった中で、良いお話を2つ
聞かせてもらいました。

お仕事をされてる傍ら、週末にはボランティア活動もして
らっしゃる方に聞きました。
障害者支援の活動。
その方がされてることはとてもシンプルで、皆と夕食を一緒に
食べることでした。
“そりゃ色んな支援の形があるとは思うけど、僕はこの
『食べる』という行為を共にするのが一番イイと思ったんです”
その言葉から、真実味や博愛性や力強さを感じました。
知識やテクニックじゃない、温心をもっての行動に説得力を
感じたのかもしれません。
“僕もいつか飛び入りで参加させて下さい”
とお願いした時の、ニコッとした笑顔がまた素敵でした。

岡山空襲を5歳で体験し、大人になってから6月29日を迎える
度に、賛同者から資金を募って、地域の皆さんに戦争の悲惨さを
伝えるために、地元で映画を放映し続けてきた方。
戦後60周年を迎えたのを機に、活動に終止符を打たれたと。
新聞に取り上げられ、また地元の方々からの強い要請もあり、
今年は小学校で夏休みの子供たちに戦争体験の『お話』をして
あげる任務を請け負ったと。
見た目には恰幅のイイ、強そうな強面の方なのに、そんな地道な
作業を続けてこられたことにまず驚く。そして続いている間には
特にリアクションが無くとも、無くなった時に周りがその大切さに
気付き、声を上げ始めるという所にまた、味で粋な感を抱く。
今、世の中では若者の右傾化が進み、憲法改正や自衛隊の軍隊化に
肯定的な意見が増してきてる中、順序論としてまずはこういった
活動を通して『リアル』に触れ、机の上だけでなく本当の意味で
解ってからの所見になっていかなければならないな、と思う。

妙に意気投合してしまい、
“今度、ワシが今までやってきた物の資料を送るわぁ!”
と告げられてしまった。
嬉しい反面、重い重いバトンの受け入れに困惑気味。。。

午前中は議会にて、都市づくり推進調査特別委員会に出席。
操車場跡地や西部新拠点地区についての案件だったが、聊か
お粗末な内容に終始。
前市長の構想から、市長の交代劇によるその後の舵取りの杜撰さ
だけが確認された数時間でした。

猛暑振るう毎日の中、なかなか散髪に行けず、暑苦しい頭を
ボサボサいじりながら明日も忙しく動き回ります。
                  おやすみなさい。。。

右肩下がりを憂う。

2007-08-07 03:47:54 | Weblog
2年ほど前に岡山に戻ってきて、それからまたずっと
この町で過ごすようになって、当初から痛切に感じて
いることがある。

岡山から岡山弁が失われていってるような気がする、
                    ということ。

特に僕より若い世代の人達から顕著に感じている。
関西弁っぽいのか、標準語っぽいのか、あるいはメディアで
造られた洒落た(?)言い回しなのか…
いずれにしても、テレビで聴いたような、雑誌で見掛けた
ような、妙な言葉遣いを耳にして違和感を感じることが多い。

逆に小さな子供が、可愛い声で、思いっ切りコテコテの
岡山弁で喋ってるのを聞くと、何だか無性に温かくなる。
年配の方々はいうまでもなく、しっかりこってり岡山弁で
話されていることが殆どだと思っておりまする。

特に取り立てて問題視するほどのこととも思わないけれど、
ただ心情的に、切なく寂しい気がするだけです。
『岡山弁で~!!』のような、様々な取り組み・活動があるのも
最近よく聞きますが、ノリノリで賛同するわけでもなく、
決して反対することなく、ただやはり、この現象は確かに進行
しているのだと、思いを深めるばかりです。

生きていく上で、社会を形成していく上で非常に大切な「言葉」
にアイデンティティを匂わせる一つの要素が失われていく事に
幾許かの焦燥感は感じます。
確かに、岡山弁には「上品さ」や「聡明さ」を感じさせる力は
弱いかも…ですが、やっぱりどこか愛着を抱き続けるだろうし
消えて欲しくないとも願います。

言葉ネタ関連で、もぅひとつ。
さきの参院選の最中、市長が片山候補への応援演説の中で、
“片山さんがいなければ政令市移行も実現できない”
などと発言し、また選挙後には
“片山さんの落選は岡山市政にとっても大きな痛手”
などとも発言されたらしい。

さすがに批判を被り、以降は修正(?)されているようですが…
首長の発言は非常に重要です。
どんなに凝り固まった信念(?)であろうとも、出し引きを
考慮し、言葉の遣い方に留意されなければなりません。
当市長は議会においても、この手の失態が少なからずある
ようで、前回の議会でも首を傾げざるを得ない発言が何度も
飛び出し、批判を浴びたおられましたが。。。

でも市長はとってもコテコテの岡山弁の香りは感じさせます。

“こ~すけくん、なんよみょん?”
このあいだ、珍しく本を読んでた僕の横から、5歳の姪が
覗き込んできて、コテコテの岡山弁で尋ねてきた。
この子は確かに岡山っ子。できればこれからもずっと、そうで
あって欲しい。
今、今後の市政の中で、教育委員会・文教委員会などが中心で
『岡山っ子育成条例』なるモノの正式作成に取り組んでいきます。
文教委員として、岡山っ子の先輩として、僕も出来る限りの
関わりを持っていきたいと思います。
その為にはもう少し、これからもずっと、岡山のことを知り、
勉強していかなくてはなりません。

夏は夏として。

2007-08-04 01:06:53 | Weblog
午前中から役所に向かい、自分の調査のためや
頼まれ用事などで、色んな課に伺っては欲しい資料を
頂いて廻る。
当然ながら、夏休み的な雰囲気など感じさせず
シャッキリ元気に働いてらっしゃる皆さんの姿を見て、
まだ幾分選挙疲れか・・・いまいち切れの見られない
自分の現状を反省する。

午後からは良いタイミングで、立て続けに事務所に
お客さんが来て下さって、選挙のコトや仕事のコト等
いろいろお話しながら昼下がりを過ごす。
その後は遅れていた、御礼の挨拶廻りに伺う。
沢山の方々に、今回の参院選についてのお願いをして
応えていただいたので、感謝感謝とともに色んな方と
お会いできるのが楽しい。

夜は少しだけ事務所で作業。
遅れているレポートの作成やお届けなどの計画づくり。
ボヤボヤしてると、もぅすぐに次の議会が迫ってる。
流れ弾のように次々に飛び込んでくる色んな日程に
対応しながら、必ずやっていかねばならないコトにも
きちんと取り組んでいかねばならない。

頼もしい相棒・田口くんがマネージメントを頑張って
くれているフットサルの日程との突合せにも四苦八苦
しながら、やっぱりこうしてやってくれる彼に感謝。
また朝街宣の相棒・戎くんとも早々に打ち合わせして、
滞らせていた朝街宣も再開させたいと思う。彼なら
きっと、汗だくになりながらもマンザラでもない感じで
付き合ってくれるだろう。

僕が子供だった頃より、夏の蝉の鳴き声が乏しい気が
するのは気のせいだろうか。
彼らの居場所も、時の移ろいと共に環境の変化と共に
影響を受けてしまってるのだろうか。
木に登り、お母さんに“危ないわよ!!”なんて言われ
ながら、果敢に蝉取りにチャレンジする童の姿など、
いつまでも当たり前の風物詩として存在していて欲しい。

そんな未来を地道に築いていく努力を続けていくことが、
今与えられた仕事のような気がする。

地元、地域を想い・・・

2007-08-03 15:55:18 | Weblog
8月3日、本来なら岡山の花火大会の日ですが、
お天気の関係で8日に延期になったようですね。
平日に延期…というのがまた何とももどかしい気も
しますが、まぁ諸々の事情があってのコトでしょう。

明日・明後日に予定されている〔うらじゃ祭り〕には、
僕も今年からあるチームの方々にお世話になって参加
させてもらう予定だったのですが、これまた自分自身の
不測の事態によって参加不可能になってしまいました。
何より準備の段階から面倒を掛けてきたチームの皆さんに
申し訳なく思います。心よりお詫び申し上げます。

年に一度の郷土の祭り。
なんだかんだの理屈でなく、やはり大切にしていきたい
ものだと思います。皆さんも是非、色んな形で参加されては
いかがですか?

地域ネタではありますが、庭瀬駅の東側と東岡山駅西側の
両踏切が拡張工事にはいるようですね。ずっとずっと長い間
問題視されてきた案件がやっと動き始めるということで、
嬉しい反面意外な気もしました。
でもやはり、JRは最低限の協力しかしない(出来ない?)よう
です。理屈は色々あるのは承知してるつもりですが、それに
しても聊か寂しい気がします。

〔地域協働学校〕というのをご存知でしょうか?
僕自身、文教委員会に所属しているので、報道に先駆けての
情報提供はいただいておるのですが、今、中学校区を基準に
徐々にそのエリアを拡充していってる最中のようです。
各学校園ごとに〔運営協議会〕を設け、保護者や地域住民が
委員として参画。学校運営や教育目標などの審議、教職員の
人事や予算についても市教委に意見できるそうです。

実際、今までの取り組みとしての清掃活動や挨拶運動などは
素敵な取り組みだと思います。ただ、ちょっと気になるのが
運営協議会の定義です。
地域の方や保護者の方が何も言えない、というのも問題だと
思いますが、逆に余りにも言え過ぎるのも反って本来の意図を
損なってしまうような気がします。
こういった場で大切なのは、地域の方々と現場の方々との
相互理解・信頼関係だと思います。少なくとも、現場の側が
弱い立場に立たされることは望ましくないと考えます。

学校はあくまでも、地域や保護者の方から付託を受けた、一定の
権限を持った教育機関であり、教員もその意の職員。
良い状態で保っていく為の協力を、地域協働でおこなっていければ
良いなぁと思います。
子供にとって、また教員にとって、学校が肩身の狭い場所に
ならないよう、伸びやかに緩やかに、温かさと共にある厳しさで
学校運営をサポートしていける〔地域協働学校〕であって欲しいと
思います。

亥年選挙、一段落。

2007-08-01 04:11:11 | Weblog
参院選、終わりました。

全国で最も注目された、この岡山で姫井さんが勝ちました。
様々な困難、プレッシャーなどあったと思いますが、見事に
戦い抜かれました。
素晴らしい勝利です。心からお祝いの言葉をお届けしたいと
思います。そしてまた、この選挙に於いても沢山の方々に
無理なお願いをさせていただきました。

候補者だけでなく、民主党だけでもなく、応援してくださった
全ての皆さんの力の結集であることを忘れず、この大きな大きな
うったてからのスタートを切っていただけることを祈ります。

それにしても選挙中だったため、またまた長い間のご無沙汰
でした。これからはまた気分一新、いろんなネタ、幅広い角度の
事柄をピックして綴らせていただきます。

今日からもぅ8月。
ボヤボヤしてると、あっという間に次の議会を迎えることになって
しまいます(次は9月)。
それまでにしておきたい事、こなしておかなければならないコト、
調査勉強しておきたいことなど・・・盛り沢山で少々大変気味。

暑さに負けず、元気に再出発です。