

実家の百日紅(さるすべり)です。
今年は珍しく良く咲いています。
百日は咲くというほど長持ちしますね。
例年だと枝や葉が黒くなって、花付きも悪くあまりきれいには咲かない年が多い。
というか、殆どが咲かない年が多く、咲いてる年を見たことが無いほどだ。
ところが、姉は5年前にもキレイに咲いたことがあったと、言っていた。
5年前と云えば、母親が亡くなった年だ。
私は、あまり記憶が定かでなく、そうだったかな?と思う程度・・・。
姉は、母が亡くなった秋のお彼岸にもまだキレイに咲いていたと記憶していたのだ。
そうだとしたら、今年妻が亡くなったせいでキレイに咲いたのだろうか・・・?
単なる偶然かどうかは分からないが、宇都宮に居る嫁が死んで矢板市の実家の庭木に花が咲くなんて
あるのだろうか?
俄かに信じがたいことではあるが、自然界には科学的に説明が付かないことは山ほどある。
今年、キレイに花が咲いたことも、その説明が付かないことの一つなのだろうか?
伊達先生の逝去の記事を拝読、いろいろと思い出しました。ありがとうございます。
百日紅。わたしもそう感じます。
カラオケすみれから、南警察署にむかう通り。
色鮮やかですね。
初めまして、拙ブログをお読み戴きまして有難うございます。
百日紅・・・、毎年キレイに咲いてる場所には例年通りにキレイに咲くのですが、例年咲かない庭木が家人が死んだ年だけ咲き誇るのも分からないです。
伊達先生
透析終了後のその足で、愛弟子のディナーショーに出席されて、1曲唄われていました。
何歳になっても、弟子は弟子、いい先生だったと思います。
百日紅にそういったエピソードがあるのを、知りませんでした。不思議なことですね。
えにしの深い方をなくされた、あなたさまのお気持ちをお察し申し上げます。
実は、伊達信介氏、わたしにとっても厳しい先生だったのですよ。もう二十数年前になりますが、上古山の教室で譜面通りに歌えと、さんざんに叱られたことです。体調がお悪いのか、講義をされるとき、わきにサイダーを置いておられたのを覚えています。宿ものは歌うな。不倫をしろと言ってるようになるからな。ほんとに今どきまじめな方でだなと思ったことです。
伊達信介先生に歌を習われていたんですか・・・。
元・歌手とか、歌手を目指していたとかですか?
宿モノは、確かに不倫の歌に違いありませんが、
女の宿、忘れ宿、北の宿から・・・しかしながら
いい歌がいっぱいありますよね。
そうですね、もう二十年にもなるでしょうか。
とちぎテレビの歌番組の予選会に初めてでました。
その時の審査委員長が伊達先生。なんとか予選を通過、本選で、わたしの歌を聞いて、わたしの学園に来ないかとの誘いがあり、一度は作曲家に習ってもいいなと思い、数回、教わったことです。
とちぎテレビの歌番組というと、「歌の王様」ですね。審査委員長から直々に勧誘の声が掛かるってなかなかの高才能が見染められたんですね。
その時って、チャンピオンに輝いたんですか?
「女ののど自慢」で、森山愛子さんが水森英夫先生に見染められたのと同じ事じゃないですか!!
それは、数回で終わったんですか?
上手くいけば、歌手の道が広がって居たんじゃないですか?
私は、ラジオの栃木放送のカラオケ大会の予選に2回ほど出たことがありました。
わたしの歌に何かお感じになられて、誘われのでしょうが、ほかにもたくさんおられましたよ。先生の歌謡学園へとそこそこに歌える人を集めていらっしゃったのじゃないでしょうか。確かに忘年会などでは、レコード会社の方が来られ、わたしたち生徒の歌をねっしんに聞いておられました。
「このくらいに歌えるのは、ざらにいる。歌手になろうなんて思うな。名前で呼ばれない。番号で呼ばれる。ああだこうだと苦労するだけだ」
そんな意味のことをおっしゃっていました。
先生自身、歌手デビューされたようですが、中途で作曲家に転身されたと聞いております。
王様には、練習の甲斐あって、五年がかりでものすることができました。
あなたさまも歌うのがお好きなようですね。
機会があればごいっしょしたいものです。
こんばんは、
伊達先生から声を掛けられましたのは、多分に何かキラッと光るモノを感じられたんだと思いますよ。
他の方も同様だと思われます。
単に歌謡学園の生徒集めの為だったとは、思いたくないですね。
先生から声を掛けられたのに、後で厳しい言葉を投げかけられますとガッカリしますね。
また、譜面通りに唄えと言われましてもね・・・。確かにこれだけのやりとりだけでも、先生の厳しさがハンパじゃないとよくわかりました。
そんな中でも、耐えて生き残っていく方がいらっしゃるんですね。何人かは・・・。
各レコード会社でも、明日の歌手の卵を探すのに懸命なんですね。そういえば、審査員にもレコード会社の人たちが交代で出ていましたね。
このレコード会社の人たちも、これだと思う方には声を掛けた事は容易に想像が出来ますね。
王様の王冠をかぶせて戴いたのは、良かったですね。その時の歌は何を唄われましたか?
差し支えなければ教えて戴ければ幸いです。
たしか、五十代の終わりごろのこと、・・・。
アカシア晩歌だったと記憶しております。
こんばんは
「アカシア晩歌」は初めて聞きました。
調べてみますと、五木ひろしと氷室一哉との二人の名前がありました。聞いた感じからしますと前者かなと勝手に思いました。なかなかのいい歌ですね。
後者は、氷室さんの作曲ですから全く別の歌になっていますし、作詞も別人です。
それにしても、知らない曲のナント多い事か・・・。若いころならいざ知らず、今となっては覚える気力もありませんから、どんどん知らない歌が増えていきますね。