・ご詠歌を勤める際の手の合わせ方は「虚心合掌(こしんがっしょう)」と呼ばれ、手のひらに少しふくらみを持たせます
・手のひらの空間に満月があることを感じるのが大切です
・満月は自分と如来さまの架け橋
・これがご詠歌の合掌は「内証の言葉」と呼ばれる由縁であり、心が如来さまと繋がっていることを感じます
・ですから、ご詠歌は必ず虚心合掌で始まり、虚心合掌で終わるのです
・また、ご詠歌は日本の伝統的な音階である5音階でつくられており、どこか懐かしさを覚えるつくりになっています
・代表的なものが「子守唄」
・日本人の遺伝子レベルで食い込んでいる音階であります
・母の愛情に包まれたかのような、あたたかい気持ちになります
・密厳流の発足当時、詠題は「謹んで唱え奉る○○のご和讃に」と言われていました
・他流に比べ、より如来さまに対してへりくだった想いの表現でした
・さらに大元としては、詠題最後の「に」の後には「ございます」「ございまする」などの文句が本来付加されており
・謹んで唱え奉る○○のご和讃にございます、と言うご詠歌が本来如来さまに対してお供えする行為であると言うことを思い返させて頂けます
・そして何より強調されるべきなのは、ご詠歌に上手い、下手は関係ないと言うこと
・如来さまへの心からの感謝と感激の想いでもってお唱えすれば、それこそが素晴らしいご詠歌であり、そこに上手いだの下手だのと言う価値観は入り込むことはありません
・法具の説明
・ご詠歌の法具を置く敷物は、桔梗の紋がしつらえられ
・真言宗智山派の仲間であることを伝えており、譲り合い、打ち解けあいながらご詠歌をお唱えしようというチームワークの象徴と意識付けです
・あしらわれている模様はご詠歌を円満に唱えられるようお守りの意味が込められています
・撞木の形は苦しんでいる人を抱きしめる「鉤かぎ」の形(金剛鉤菩薩)
・撞木から下がる房は苦しんでいる人を仏の世界へ引き寄せる「索アミ」の象徴(金剛索菩薩)
・鈴に下がる房は苦しみの根元である煩悩を縛り上げる「鎖クサリ」の形(金剛鎖菩薩)
・そして鈴は人から苦しみが取り除かれ、歓喜の声をあげる喜びの音を表現します(金剛鈴菩薩)
・鈴証の位置もそれぞれが天(鈴)と地(証)に対応しており、天地(=世界=如来さま)と一体となった自分自身が至上の供養であることを示しています
・そして何より、ご詠歌のみ姿こそ、お大師さまの提唱された三密加持による即身成仏そのものなのです
・如来さまへ、そして如来さまと一体になられたご先祖様へ感謝を表す至高の行為のひとつです
・例えば、現代の学校教育から「お彼岸」の説明が消えています
・宗教的行事は銘記されなくなったのでしょう
・しかし、お彼岸の中日である春分の日と秋分の日は、国民の休日として法律にしっかりと記されています
・さらにその根拠として春分の日は「自然を敬う」ための休み
・秋分の日にいたっては「祖先を敬う」ための休日であるとされているのです
・自然や祖先に対して感謝の思いを法律にまで反映させる民族は日本くらいのものです
・般若心経和讃の詠歌の部分に明記された「還源」は、もともとお大師さまが行っていた修行法の名前でした
・還源観と呼ばれるそれは、如来さまと一体となる即身成仏を標榜する真言宗にとって、核心の修行法です
・その真言宗の核心を知らず知らずのうちにご詠歌を通して体験しているのが般若心経和讃であります
・歩み続けた先は所謂悟りであると思います
・例えばスポーツジムに趣味で通っている人が、全員ボディビルの世界選手権で優勝したいわけではないように
・同じ道の上でも、目標が違う場合はあります
・ジムでお腹をちょっとへこませたいと思う人と、ボディビル大会で優勝したい人は、きっと違うメニューでトレーニングすることでしょう
・しかし、使う器具、トレーニングの種類、有酸素運動と無酸素運動のバランス、そして、目標を達成したあとも努力の継続が望ましいと言う部分は、共通するところです
・瞑想にいたっても同じで
・多くの人は瞑想によってリラクゼーション効果、集中力の向上、メンタルトレーニング、心のコントロールなどを獲得したいと思い取り組み始めます
・全く悪いことではありません
・スポーツジムはあらゆる目的の人に開かれています
・瞑想も、あらゆる目的で訪れる人に心を開いています
・しかし、そこで指導されることの先の先には悟りがあります
・多くの人はその副次的効果であるリラクゼーションやメンタルコントロールに魅力を抱きます
・そのため、どうしても指導の中に不可抗力的に入り込んでしまう仏教的表現やアプローチに驚いてしまう人もいます
・ボディビル選手にも、趣味のトレーニーにも、トレーナーは平等に「限界まで追い込め!」と指導します
・同じように、マインドフルネスを習得したい人にも、悟りを求める人にも、平等に「無常を見ていなさい」と指導します
・あくまでおなじ一直線上の出来事です