こ も れ び の 里

長崎県鹿町町、真言宗智山派、潮音院のブログです。平戸瀬戸を眼下に望む、人里離れた山寺です。

石橋復元 もどき

2007年09月05日 | つれづれ
大正15年6月20日に完成した大加勢橋。
実法院芳太郎氏の施工で、
幅370㎝、長さ1100㎝、欄干までの高さ4900㎝。
長崎県鹿町町の大加勢地区に架かり、地域の生活道路として、
また幾たびかの風水害にも耐えてきた。
後年、町の有形文化財として指定され、
地域のランドマーク的存在として、その美観をほこった。

 しかし、平成13年。
県道と河川改修のあおりでやむなく文化財の指定を解除。
河川工事担当の技術者は、
現況のままでの河川改修工事の可能性をはかるも、
予算オーバーで解決ならず、
せめて将来的な移築の可能性を期待しながら、
石橋の現況構造図、復元工事に必要な設計図、
支保工のためのH鋼などを製作。
解体された石材には一つ一つにナンバリングが施され、
町の教育委員会の敷地に保管されていた。

 折しも地方自治体の体力は急激な先細り。
様々な局面でダイエットが施され、
病的に痩せ細り続ける身体には、
文化的創造も気概も感じない。
行政の合併を目前に控え、この石橋の石材も例外ではなく、
移築復元の可能性は皆無との結論が下された。

 大正時代の石工たちが卓越した技術と
骨身を削る努力で架けてくれた文化財を、
このまま行方知れずにしてしまうことに耐えられず、
廃棄処分の対象となった石材一式を個人的にもらい受け、
今般の「石橋復元もどき工事」が潮音院境内において始まったわけだ。

子どもたちの社会学習の一助にでもなれれば、
これ幸いなり。 
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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
感激! (新ちゃん)
2007-09-06 12:22:11
どうもお久しぶりです。
いやぁ、感激しました。

「あの石橋どうなったのかな?」
実はずっと気になっていました。
まさかココで発見できるとは?

今度取材に伺いますね!
来て下さい。 (坊の主)
2007-09-06 21:20:55
三つほど現存していた石橋でしたが、
今は船の村にある小さな「中野橋」が唯一のもの。
小さいと言っても昔は公共のバスが行き交う公道だったんですけどね。
最初に取り壊された石橋は、太鼓橋と呼ばれるものでした。通過中に前方が確認できない恐ろしさが未だ記憶に残ります。りっぱな橋でしたが、復元するには耐えられない強度の石材であるという理由で、今では欠片も残されていません。どこに行っちゃたのでしょうか?
 この橋の経緯があったものですから、今回の件ではかなり神経質に注視していました。しかし今回このような経緯になった最大の理由は、やっぱり市町村合併という大きな時代の流れがあるでしょう。大きな町になってしまえば、こんな対応は絶対にできませんからね。
 どうぞゆっくり遊びにおいで下さいな。
頭悩ます (茶坊主)
2007-09-09 21:29:51
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