カイロじじいのまゃみゅむゅめも

カイロプラクティック施療で出くわす患者さんとのやり取りのあれこれ。

頑張り過ぎの典型、オーぼう

2014-07-28 18:56:19 | 本日の患者さん
オーぼうは血気溢れる、中年をだいぶ前に通過したおばさま。
群馬県の一衛星都市で地域活動に励んでおられる。
永年に渡り、養護施設の子供達の里親としても、毎日大騒ぎしながら頑張っている。
その他にも、腹話術、読み聞かせなどの手法を媒介にして、地域で考えられる貢献にボランティア精神で眼一杯の行動を示される。

そうさせる、オーぼうの精神的背景を聞いた事がある。
納得のオーぼうの歴史だった。

だから、それはいいのだが、実はそのオーぼうの肉体はボロボロ。
徳さんの前では、体の不調の羅列、そのオンパレード。

でも、この手の人たちには不思議な神が宿っていて、何かをせんとする時、交感神経が興奮するせいか、そのたんびたんびを何とかクリアーする。

で、ある時、そのしわ寄せが徳さんにやって来る、、、。



本日のおまけ

こういった、即時性がすごいよね。

【佐世保女子生徒殺害事件―加害少女の心理について】
 香山リカの第一診察室  vol.35      2014/7/28
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 どうぞお入りください、お待たせしました。
 ココロのおかげんはいかがですか…?

 こんにちは。
 長崎県佐世保市で、高校1年の女子生徒が殺害されるという事件が起きました。逮捕されたのは、同級生の少女でした。
 この事件、まだ情報が錯綜していますが、いまの時点でわかる範囲で、加害者とされる少女の心理私の見解を述べたいと思います。

【ババだけど時事ネタ・号外「佐世保女子生徒殺害事件―加害少女の心理について」】

 これまでの報道をまとめてみましょう。
・背景について
 被害、加害女子生徒は長崎県佐世保市の中学、高校の同級生。学校は公立の中高一貫校、同市では有数の進学校。ある程度は親しい友人であった様子(親密さの程度は不明)。

・被害女子生徒について
 両親と生活。
 学校では明るく友だちも多い。

・加害少女について
 父親所有のマンションでひとり暮らし。
 父親は地元の有力者。母親は数年前(昨年ともいわれる)病死、その後、父は再婚。少女がひとり暮らしを始めたのは最近になってから。その理由は不明。
 大学生の兄がいるらしい。
 中学時代から自分を「僕」と名乗り、優秀だが内向的という評判。
 小動物の解剖を行う、給食に異物を入れるなどの問題行動があったとされるが、その真偽や詳細は不明。
 留学を予定しており最近はその準備のため高校に登校していなかったともいわれる。

 明るくて友だちも多く両親と仲良く暮らしていた被害少女と、どちらかといえば友だちも少なく実母を亡くしたあと新しい母親を迎えた加害少女。環境は違いますが、「とても勉強ができる」という共通点もあり、お互い理解し合い尊重し合い、それなりに親しい関係を築いていたのではないでしょうか。
 小学生の頃は「自分と似た人」と友だちになる傾向がありますが、中学から高校にかけては、とくに精神的、知的発達の早い子どもはむしろ「自分と違う人」にひかれ、相補的な友人関係を築くことも多いのです。

 そんな友情が恐ろしい惨劇に発展したのはなぜなのか。もちろん、それは手を下した本人にしかわからないのですが、ここではごく一般的な話をしましょう。

 この年齢の少女は、ときとして理想主義、潔癖主義に傾き、俗世やおとなの男女に激しい嫌悪感を抱きがちです。
 加害少女は自分を「僕」と名乗っていたそうですが、これは拒食症に陥る少女にしばしば見られる現象です。つまり思春期の女性は、自分のからだが“オンナ”に変わっていくことを不潔だと考えて許せず、「少年のようにとぎすまれた自分でいたい」「胸が膨らんだりおしりが丸くなったりするのは耐えられない」と思い、ナイフのようなからだを求めて食事を減らし、髪をショートにして自分を「僕」と呼ぶのです。
 こういう少女は、異性にコビを売ったり、カネのために自分の信念を曲げたり、権力をかさに来て威張ったりすることに耐えられず、純粋さを求めて哲学、文学、芸術、あるいは科学の世界に耽溺します。

 そして、中には自分と同じ考えを持つ少女に出会い、「わかってくれるのはあなただけ」と非常に密接な関係を築きます。これは決して同性愛ではなく、むしろ同志愛に近いものです。
 純粋さやけがれなき理想で結びついた少女たちは、しばしば「自分たち以外はみな敵」と見なすことで、さらにふたりの関係を強化します。
 1954年、ニュージーランドで親友どうしの少女たちが片方の子の母親を殺害するというショッキングな事件が起き、後の『乙女の祈り』という映画にもなりました。
 少女たちはあまりにお互いに共感し、いっしょにいすぎるのでそれを心配してとがめた母親を、「私たちを理解しない邪魔もの」と考えて殺害したのです。

 今回の佐世保の少女たちがそこまでの絆で結ばれていたかどうかは、わかりません。ただ、加害少女はもしかするとやや一方的に、「彼女ならわかってくれる」と被害女子生徒に期待していたのではないでしょうか。
 それが、何かのきっかけで「信頼が裏切られた」と感じ、その復讐をあれこれ考えるうちに、ついに今回のような犯行の計画にまで想像が及んでしまったのかもしれません。

 ただ、ここに至るまでの間、加害少女は「ただひとりの同志に裏切られた僕の気持ちをわかってほしい」というサインを、どこかに出していたのではないか、とも考えられます。
 昔からもし本当に少女が問題行動を繰り返していたとするならば、それらも「僕の孤独、俗世や自分への違和感を感じていることをわかって」というサインだったのではないか、と考えられるからです。
 もしかすると、これまではそのサインに気づいてあげられるのは、少女の母親だったのかもしれません。それがもうこの世にいない人となり、もはや誰も「あなたは現実になじめないのね」と気づき、それを受け入れてあげられる人はいなくなったのではないでしょうか。地元の有力者である父親はもっと現実的で、「空想みたいな話ばかりするものじゃない」などと彼女を現実に引き戻そうとするばかりだったかもしれません。

 …これらは私の勝手な考えで、真実はまったく違うところにあるのかもしれません。
 ただ、これまで診察室などで自分を「僕」と呼ぶ少女たちの孤独に出会ってきた経験などから考えたことを、まとまりもなく書いてみました。
 また新たな情報などが得られてから、もう一度、きちんと考えてみたいと思います。



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