ほとほと通信

89歳の母と二人暮らしの61歳男性の日記。老人ホームでケアマネジャーをしています。

3日目

2019-09-25 | 苦しさ
4連勤の3日目です。


昨日、男性が入居されました。

どなたにとっても、老人ホームに入居することは大きなストレスになると思います。

特に社会でずっと活躍されてきた男性の場合、(ついにここまで来たか…)と落ち込み、現実を受け入れられない場合も少なくありません。

以前は「男のプライドは面倒だなあ」と思っていましたが、最近は自分が歳をとったせいか、「確かにイヤだよなあ」と思うようになりました。


4連勤の3日目は一番疲れる日です。

とにかく大きなミスをしないよう、頑張って行きたいと思います。



神様。
今日一日が穏やかなものでありますように。
家族が皆、健康で過ごせますように。
友人たちが無事に一日を終えますように。
お祈り致します。

生きる

2019-09-24 | ほとほと日記
今日は4連勤の2日目です。


今日は入居、退院、お客様との話し合い…とてんこ盛りの1日です。

何とか頑張らなくてはなりません。


今まではどんなに疲れていても、職場に行けば何とか身体も頭も動かせました。

ところが近頃は、どう頑張っても身体が動かず、言葉がうまく出て来ない時があります。

私の仕事は「説明」がかなりの部分を占めるので、説明がうまく出来なくなるのはとても困ります。

職業上の危機を感じます。


これが慢性疲労によるものなら、休息すれば戻ります。

でも、加齢による衰えではないか…という気持ちも強い。

それがとても不安です。


生きていて楽しいことはほとんどありません。

それだけに、何とか仕事を乗り切り、休日の家族との食事など、小さな喜びを楽しみにしたいです。


神様。
今日一日が穏やかなものでありますように。
家族が皆、健康で暮らせますように。
友人たちが無事に一日を終えますように。
お祈り致します。

連休明け

2019-09-23 | ほとほと日記
今日から4日間仕事です。


3連休の後の4連勤なので、とても不安です。

心臓がドキドキしています。


イヤな夢をみました。

職場の夢で、同僚たちと何となくうまくいかず、孤立しそうになって不安になる夢。

実際には職場の人間関係は悪くないのですが、ご家族関係の大きなトラブルがずっと事務所内の強いストレスになっているので、心の底に色んな不安もあるのでしょう。


物心ついたときから「自分は世の中でやって行けるのか」という不安と生きてきました。

懸念は当たり、ずっと安定して金銭を稼ぐことが出来ずに生きてきましたが、十数年前に今の仕事に就き、ようやく世間で安定的な働き場所を得ました。

とはいえ、離職の多い職場で、弱い私は振り落とされないように、毎日死に物狂いで何とか生き延びてきました。


今も毎日が不安だし、この先も不安です。

健康を崩したらやっていけないので、出来るだけストイックに生きています。

それでも不眠傾向に悩まされるなど、健康不安は多い。


とにかくこの4日間、一日ずつ凌いで行こうと思います。



神様。
今日一日が穏やかなものでありますように。
家族が皆、健康で暮らせますように。
友人たちが無事に一日を終えますように。
お祈り致します。


我がテレビ観戦記

2019-09-22 | ほとほと日記
今日も仕事はお休みでした。


今日はふだんのお休みと同じく、午前中はスポーツクラブに行き、昼食の後は部屋でゴロゴロしていました。

ゴロ寝休日は、私の心身回復には絶対に必要なので、佳き日でした。


昨日のブログで、ラグビーワールドカップのテレビ観戦のことを書きました。

ほとんど自慢するネタのない私ですが、テレビでのスポーツ観戦歴は、還暦を迎えた今やけっこう長いものがあります。


サッカーのワールドカップは、初めて衛星中継をした1978年のアルゼンチン大会で、早朝(未明?)の決勝戦を観た記憶があります。

アルゼンチンのマリオ・ケンペスがゴールを決め、長い髪をなびかせて狂喜している場面を覚えています。

もっともその年私は19歳の浪人生だったのだから、覚えていて当たり前ですが…。

サッカーでは、ペレが1970年のワールドカップで三度目の優勝をしてセレソンを引退し、アメリカのプロチームの一員として来日し、釜本や杉山のいる全日本チームと親善試合をした放送の記憶があります。


プロ野球は父が好きで観ていたのをずっと横で観ていたはずですが、「これが最古の記憶」というのは良く分からない。

王長嶋はもちろんリアルタイムで覚えていますが、金田正一は晩年の球の遅い左投手としての記憶しかありません。


相撲では大鵬柏戸はもちろん覚えていますが、私は何故か清国や長谷川のファンでした。


実は私は幼い頃からプロレスに嵌まっていました。

力道山の記憶はありませんが、力道山が亡くなって、アメリカで武者修行中だったジャイアント馬場が急きょ帰国し、凱旋試合で32文砲ドロップキックを本邦初披露した試合は記憶があります。

恐らく昭和40年くらいでしょうが、このレアな場面の記憶は私のテレビスポーツ観戦史上、密かな自慢のひとつです。


さて、前回の東京オリンピックの記憶はどうでしょうか?

1964年10月の開会時に私は5歳4か月で、パラパラと記憶が残っています。

男子マラソンで、2位で国立競技場に入ってきた円谷が3位のヒートリーに抜かれた場面。

男子体操の山下選手や小野選手の演技、陸上男子100メートルでのヘイズの優勝も記憶にありますが、これら有名な場面は後から観た映像がすり替わった可能性もあります。

ただ、プレオリンピックの水泳で、アメリカのドン・ショランダー選手が次々とメダルを取り、(アメリカってスゴいなあ)とちょっと怯えながら感じたことは、アメリカチームの水泳パンツの星条旗模様と共に記憶にあります。


今はラグビーワールドカップを、間違いなく私が生きている間の唯一の日本開催として観ることが出来ます。

そして、来年は東京オリンピックも。


1964年の東京オリンピックの記憶も、来年の東京オリンピックの記憶も、この先私が老いると共に儚くなり、やがては等しく消えて無くなります。

私自身の命と共に。

定期演奏会

2019-09-21 | 家族
今日も仕事はお休みでした。


午後から、毎年今の季節にある兄が所属する合唱団の演奏会に、母と姉の三人で行きました。

今年も会場は紀尾井町ホールでした。

7月に左足甲を亀裂骨折した母にとっては、久しぶりの電車を乗り継いでの外出でした。


演目はヴェルディのレクイエム。

レクイエムとは葬儀の曲ですから退屈かなあ…と案じていたのですが、メリハリのある作品でした。


合唱団の常任指揮者の卆寿記念の演奏会でもありました。

偉大な音楽家なのでしょうが、年々おみ足が弱くなっておられ、 今日は舞台の袖から指揮台までの僅かな距離を、ずっとお付きの人に見守られながらヨチヨチ歩きで辿り着かれました。

カーテンコールでは4回も袖と舞台を出入りされましたが、その都度ふらつき歩行をされるので、私は仕事柄心配で仕方ありませんでした。

さすがに細身で90歳近いふらつき歩行の方は4回もカーテンコールすることはないと思うのです。

ちょっとしたことで転倒するし、転んだらかなりの確率で大腿部を骨折します。

年齢からして手術出来ない可能性も強いし、そのまま回復せず…ということも有り得ます。

まあ、クラシック音楽の指揮者たる者、カーテンコールで死せば本望なのかも知れませんが…。

杖をついてようやく歩いていた母は、演奏会の内容以上に常任指揮者の歩行状態に感じ入っていました。


夜帰って来てから、ラグビーワールドカップのニュージーランド対南アフリカを観ています。

テレビスポーツ観戦が大好きな私は、1987年の第1回ワールドカップから観ています。

当時、日本でオールブラックスとスプリングボクスのワールドカップ対戦が観られるとは夢にも思いませんでした。

長く生きると良いこともあるのだなあ…と思います。