ほとほと通信

89歳の母と二人暮らしの61歳男性の日記。老人ホームでケアマネジャーをしています。

四十年

2013-11-24 | 家族
昨日の夜、実家近くの料理屋で父の誕生会を開いた。

父と母、兄と私の四人で会を開くことになった。

姉だけ所用があって来れなかったのは残念だったが、この四人だけで外食をするのはおそらく初めてのことであり、それはそれで良い思い出になると思った。

夕方四時過ぎまで東京のS区で仕事をしてから、電車を三本乗り継ぎ、千葉県I市の実家の最寄り駅に着いたときには午後五時半を廻っていた。

すでに街は真っ暗になっており、私は足早に実家のマンションに向かった。

それにしても…、私はふと思い至っていた。

四十代の両親がマンションを購入して、私たち一家が東京M市からこの街に移り住んだのはちょうど四十年前の夏のことだ。

この四十年間に本当に色々なことがあったけれど、姉が結婚した以外は家族構成は変わらない。

そうして、初めて父の誕生会で外食するのだ。

歩きながら四十年のことが頭に浮かんで、私はなんとも不思議な感覚になった。






実家のマンションから道一本隔てた隣には三十五年ほど前からジーンズショップがあり、その隣に料理屋が建っている。

二階建てのけっこう立派な割烹料理店で、住宅地にあって商売になるのか以前から家族で不思議がっていたが、交通量の多いバイパスに面しているので祝い事や法事に使われているのかも知れない。

一階のテーブル席だったが、店は明るく清潔で椅子テーブルの丁度もしっかりしており「特別な日」という気持ちになれた。

やがて、母が頼んでくれていた御膳の料理が次々と運ばれてきた。

焼き物、刺身、天ぷら…。

父と会うのは四月に野球を観に行って以来だったが、かなり痩せた…と感じた。

だから、こんなにたくさん料理が食べられるだろうか…と心配したが、果たしてあまり手をつけない。

でも、母によると朝はかなり食べているという。

父はもともと食が太いほうではなかったので、無理には勧めないように努めた。

兄と話すのも久しぶりであった。

相変わらず仕事が忙しそうである。

「ちょっと、もう少しお話しながら食事しましょうヨ!」

母が言った。

確かに父を始め、我が家の男三人は世間話などはせず、下を向いたまま作業のように食事を終わらせてしまう。

しかし、それは四十年前からそうだったし、たぶん私が生まれる前からずっとそうだったに違いない。

せっかくの誕生会なのだから…という母の言い分は確かだが、これはこれで「ウチらしい」祝い方だよ…とも思った。

食事が終わると、店の前で記念写真を撮った。

父も兄も、照れながらだが笑っていた。






去年の三月、私は事故を起こして四週間会社を休んだ。

病院を退院して実家に戻った夜、父は私を家の近くのラーメン屋に誘ってくれた。

二人、黙って焼きそばと餃子を食べ、私はビールを少し飲んだ。

あの頃の父は、焼きそば一枚食べられるていどの力があった。

それからほどなくして、軽い脳梗塞を起こした。

そんなことも思い出した。