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ほとほと通信

89歳の母と二人暮らしの61歳男性の日記。老人ホームでケアマネジャーをしています。

考え方のレッスン

2012-12-15 | 精神医療
今日は心療内科の受診日だった。

先月はこれまでになく調子が良い…という報告が出来たのに、今日はまた心身の不調を訴えなければならなかった。

先生に11月半ばくらいからのストレスになった件を時系列で話した。
そして、この一週間は特に朝の不安が強く、吐き気や動悸、強い物悲しさに襲われる…ということを伝えた。

先生に話すだけでも自分の不安がある程度整理されて、気持ちが少し楽になった。

先生は、それだけのことが起きたなら一時的に強い不安に囚われても当然でしょう…、と言われた。
でも、仕事は特に大きなミスもなく出来ているのですね、と指摘した。

私は、いつ大きなミスをするかも分からないし、業務が増えているのでとてもシンドイです…と答えた。

また、健康診断の結果、血液の異常値が見つかった。これは現在他の病院で受けているホルモン補充療法の副作用ではないか。
こんな馬鹿なことも聞いた。
普通、医者は他の医者の治療に関しては絶対に論評しないものだが、私の主治医は検査結果を見てくれた。

そして、このところの調子が上がって来た要因と考えているホルモン療法ができなくなるのが不安なのですね…と図星を指摘した。

まず、男性ホルモン値と活気の相関は本当のところは分かっていません。少なくともパラレルではありません。

また、仮に一定の
効果があって、今後それが受けられなくなったとしても、元に戻るだけじゃないですか。
二年前、仕事のミスをしてから不調になったけれど、それまでは特に問題なくこなしていましたよね。
その時点に戻るだけです。きっとやって行けますよ。

最後は先生には珍しく、尻をポーンと叩くような口調で言った。


同じようなことは他の人からも言われることがある。
でもやはり、長い間自分を診てくれている人の言葉には重味があった。

まだ起こっていないことを思い煩うな。

事実以上に悪く捉えるな。


明日の朝もきっと苦しいと思うが、何とか頑張ろう。




無知の涙

2012-10-15 | 精神医療
昨日の夜、スポーツニュースを見終えてからフトNHK 教育テレビにチャンネルを移すと、ドキュメンタリーをやっていた。
途中からだったが、たちまち引き込まれて最後まで食い入るように見てしまった。

それは、昭和43年に19歳でピストル4人連続殺人事件を起こした永山則夫と、彼の精神鑑定に関するドキュメントだった。

永山則夫が極貧の家庭に生まれ、まともな教育も受けず死刑囚として『無知の涙』という作品を書いたことは知っていた。
しかし北海道網走市に八人兄弟の七番目として生まれ、リンゴの剪定職人だった父は酒と博打の中頓死し、青森の実家に逃げ帰った母のもとに措置された兄弟たちと共にゴミ箱を漁るようにして生きてきたことまでは知らなかった。

永山則夫の前半生は貧困と暴力、無知と怠惰に充ちていた。いや、それのみだった。
精神鑑定は、彼の凶行は「幼少時の劣悪な環境から受けた心的外傷が精神障害を引き起こした」ゆえ…と結論づけた。
今ではPTSD として誰でも知っている理論だが、その頃の日本ではまだそういった考え方を精神鑑定で採用することはなく、永山事件が初めてだろう…という。

私が強烈に惹き付けられたのは、44年前の事件にも関わらず、永山則夫が現在の日本社会にとても近しい存在に感じられたからだ。

もちろん永山則夫が生まれ育った昭和20年代30年代の東北北海道の貧困は、今はないだろう。でも関係性の貧しさという意味では、永山則夫的人物はむしろ増えているかも知れない。

彼は昭和40年に青森から単身上京してきて、渋谷の西村果実店に勤めた。
数ヶ月真面目に働いて職場の評価も高かったのに、ある日突然、全ての自分の持ち物を置いて忽然と姿を消してしまう。
そういうことを数年間で何度も繰り返したという。

独学て明大中野高校定時制に入り、そこでも評価されて学級委員に選ばれる。
ところが「これは自分にストレスを与えて学校を辞めさせようという陰謀に違いない」という妄想を抱いて中退してしまう。

「陰謀に違いないと思った」と語るテープを聴くと、確かに性格の歪み…という レベルではないと思われてくる。

永山則夫たち兄弟を今で言うネグレクトした母親の手紙も哀れを誘う。
全てがカタカナで書かれているのだ。

永山則夫はこの母にずっと強い憎しみを抱いていたが、獄中で色々書物を読んで勉強し、母と手紙のやりとりをしているうちに哀惜を覚え、愛情さえ抱くようになった。

連続殺人事件が起きたとき、私は9歳だった。
その後書物や映画演劇で何度も取り上げれた歴史的な人物なので、自分よりもずっと年上かと思っていたが、昭和24年生まれの永山則夫は私と十歳しか違わないのに驚いた。
今年生きていたら63歳。
人生のどこかで心許せる人物に出会えて善導されていたら、市井のちょっと変なおじさんとして暮らしていたかも知れない。

永山被告は一審では死刑の判決を受けたが、二審では精神鑑定結果が認められて無期懲役に減じられた。
しかし最高裁で差し戻され、死刑が確定した。

平成9年、刑が執行された。
享年48歳だった。




六週間

2012-10-06 | 精神医療
今日はカウンセリングと心療内科受診の日だった。
前回受診から五週間ぶりである。

この間、仕事ではけっこう大変なことが多かったけど、服薬量はかつてないほど少なくなっている。
カウンセラーに最近の様子を話すと、ずいぶん安定して来ましたね…と言った。
そして昨年12月に初めてカウンセリングを受けたときのカルテを読んでくれた。
そのときの私は恐ろしいほどの自己否定の塊であった。
この十ヶ月足らずで、自分が地の底から生還してきたことが実感できた。

そのあと主治医の先生の診察を受けて、次回の受診は六週間後となった。
今年の三月から四月に掛けては、逃げ込むように毎週受診をしていた。
それを考えると、本当に感慨深いものがある。

今夜は同じような境遇の独身中年男性の友人二人と定例の食事会だ。

楽しい会合になれば…と願っている。

変なお医者

2012-09-10 | 精神医療
私のホームには色んな医者が訪問診療に来る。

内科、整形外科、皮膚科、心療内科、歯科…。

これだけ来てくれると安心である。

でも、けっこう変なお医者さんも多い。

内科の先生は私立医大の教授だけど、働き盛りで、いちばんまともな感じがする。

次は歯科医かな。

皮膚科医は、ちょっとギャルっぽい女医さん。

整形外科医は、バーテンみたいな感じ。

だけど、一番変てこなのが、心療内科。

ホームに入る前、いつも玄関でイラついたようにウロウロしている。

今日は、往診日。ある入居者が、

「私はそんなの頼んでない!」

と、強く拒否した。そしたら、

「そんな人はもう診ない!」と言って「おしまい」にしたとか。

そんな人だから診て欲しいのにね。




減薬へ

2012-09-03 | 精神医療
この二日間、抗不安剤を服まずに仕事をした。

抗不安剤は抗うつ剤にくらべて速効性がずっと強い。

反面、依存性も強いと言われていて、服まないですむならそれに越したことはない。

三月、ICUを退院したときから、抗不安剤が変わった。

精神薬の作用も副作用も説明書にはいろいろ載っているが、どうなるかは服んでみなければわからない。

新しいクスリは、前のよりも「上がる」作用が確かに強かった。

副作用としては、眠気は少ないものの、体のだるさを感じるようだった。

それと、頭がケバケバとする(妙な表現だが)感覚があった。

退院から復職してしばらくは処方どうり毎日三錠飲んでいた。

6月ころから休みの日は飲まないで過ごすようになった。

7月に入って仕事の日も一日一~二錠で行けるようようになった。

そして、上司の異動を知ったころから、仕事の日でも服用しない日が出てきたのだ。

不安感というのはもちろん心理的な要因から起こるのだが、症状としては動悸や頭がクラクラする感覚が伴う、半ば身体的なものである。

それが起こるとツライので、つい抗不安剤に頼ってしまう。

仕事をするためなら頼っても良いとは思っているが、自分の年齢を考えると、やはり少なくしたい…と思う。

今はめったにないチャンスだと考えている。