昨日、職場の先輩に22年前の阪神大震災の日のことを聞いた。
いつもどおりに出勤し、10時半すぎには救護に出動した。
個人携行品も持たず、医療資器材も貧相。
今、思うと…。
この地震以降、災害医療も充実した。
医療人として災害救護に関する教育・訓練を受ける機会も多い。
22年前、あの頃はまだ、セッシ(ピンセット)もシュンメルで煮沸消毒していた。
感染対策、情報伝達手段などなど、環境はどんどん変わってきている。
災害は忘れたころにやってくる。
忘れなければやってこない。
あとは祈るのみ
いつもどおりに出勤し、10時半すぎには救護に出動した。
個人携行品も持たず、医療資器材も貧相。
今、思うと…。
この地震以降、災害医療も充実した。
医療人として災害救護に関する教育・訓練を受ける機会も多い。
22年前、あの頃はまだ、セッシ(ピンセット)もシュンメルで煮沸消毒していた。
感染対策、情報伝達手段などなど、環境はどんどん変わってきている。
災害は忘れたころにやってくる。
忘れなければやってこない。
あとは祈るのみ
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