佐藤伸彦:ナラティブホームの物語、医学書院、2015.
「高齢者医療は、よく言われるような敗戦処理の医療ではない。
ましてや儀式としての医療でもない。
高齢者医療は、人が、人として、人間の最期の生を援助する高度専門医療である」(p3)
そうだったのだ![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_acha.gif)
寝たきり。
尿路感染症。
肺炎。
認知症。
どこの科の、誰先生でも主治医になっていただける状態の患者さん。
だから、専門性がないように見えて、派手さはない。
この科のこの先生にしか診れないという患者さんではない。
同じように看護師にとっても、循環器看護の専門性とか、呼吸器看護の専門性とかはない。
この本を読んで、私は今まで偏った見方をしてきていたのだと気づいた![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_ase2.gif)
高齢者医療は、高度専門医療なのだ![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_zzz.gif)
お一人おひとりに、長い人生を歩んでこられたものがたりがある。
そこを忘れてはいけない。
尊い終末期医療。
毎日の仕事の中で、「地域医療これでいいのか?」と幾度となく考える。
住民教育、草の根活動。
教育には時間がかかる。
だからこそ早めにとりかかる必要がある。
看護の立場から市民に関われることってあると思う。
自分のこと、親のこと。
最期の迎え方について話し合える場所づくり。
何かのイベントとコラボでできるといいな、と思う。
さて、この本には、目の前にいる人の人生に想いを馳せ、記録として残す取り組みが書かれている。
それはドラマティックマネジメントであり、フォトブックやナラティブ作成と手法は同じである。
思いのマネジメント。
著者に会いに行きたいと思った
「高齢者医療は、よく言われるような敗戦処理の医療ではない。
ましてや儀式としての医療でもない。
高齢者医療は、人が、人として、人間の最期の生を援助する高度専門医療である」(p3)
そうだったのだ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_acha.gif)
寝たきり。
尿路感染症。
肺炎。
認知症。
どこの科の、誰先生でも主治医になっていただける状態の患者さん。
だから、専門性がないように見えて、派手さはない。
この科のこの先生にしか診れないという患者さんではない。
同じように看護師にとっても、循環器看護の専門性とか、呼吸器看護の専門性とかはない。
この本を読んで、私は今まで偏った見方をしてきていたのだと気づいた
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_ase2.gif)
高齢者医療は、高度専門医療なのだ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_zzz.gif)
お一人おひとりに、長い人生を歩んでこられたものがたりがある。
そこを忘れてはいけない。
尊い終末期医療。
毎日の仕事の中で、「地域医療これでいいのか?」と幾度となく考える。
住民教育、草の根活動。
教育には時間がかかる。
だからこそ早めにとりかかる必要がある。
看護の立場から市民に関われることってあると思う。
自分のこと、親のこと。
最期の迎え方について話し合える場所づくり。
何かのイベントとコラボでできるといいな、と思う。
さて、この本には、目の前にいる人の人生に想いを馳せ、記録として残す取り組みが書かれている。
それはドラマティックマネジメントであり、フォトブックやナラティブ作成と手法は同じである。
思いのマネジメント。
著者に会いに行きたいと思った
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyos.gif)