考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

アルキメデスはなぜ喜んだか

2006年10月12日 | 教育
 アルキメデスが例の原理を思いついたとき、喜びの余り裸で町中を走り回ったという有名な話がある。養老先生が、「わかる」のは快感だからアルキメデスは走り回った、と何かに書いていた。だから、人間はわかる喜びを求めて勉強をするというわけだ。
 この間書いた記事と矛盾すると言われそうだが、わかったときの喜び、これ、私だって理解しないつもりは全然ない。
 しかし、どんなときでもわかれば喜べるのか、この種の快感がどのようなときに感じられるかについては、もっと詳細に検討した方が良いと思う。

 アルキメデスが喜んだ直接的な原因は、アルキメデスの原理がわかったからだが、前提条件があると思う。たぶん、アルキメデスは、ずーーーーーっと悩んでいたのではないか。ずーーーーーーっと悩んで悩んで、それでも分からなかったのが、ある時風呂に入って気が付いた。だから、喜んだのではないか。もしこれが、何の努力もなくぱっとわかったのだとしたら、あれ程喜び、駆け回るようなことはなかったであろうと私は推測するのだ。

 生徒が授業に求めるモノの一つに、「わかりやすさ」がある。わからないのはイヤだから、苦痛をなるべく避けるべく、授業は「わかりやすい授業」を好む。しかも、労力の無駄を少なくしてくれるから、「効果的な学習」を求める。そのようにして獲得した成果は、努力した上で勝ち取った成果と「結果」は変わらない。テストの点数はどんな方法で勉強をしても、80点は80点で、50点は50点である。

 しかし、「喜び」という観点ではどうだろうか。小手先の仕事で出来た仕事と苦労して苦労してやっと仕上がった仕事で、愛着は変わるものではないか。身を削るようになした行為には、きっと何かの物語が生まれるのだ。それで、人は、行為の結果だけに満足できる生き物ではないのではないか。だったら、勉強における学習の成果にも同様であろう。(そういえば、新庄が野球をすることにしたのは、少年時代に、サッカーはすぐに出来るようになったのに、野球はなかなかだったらしい。だから面白かったという。これと同じではないか。)

 「わからない、わからない」とずっと考え続けてやっと到達した成果は、二度と忘れることがないだろう。すいすいアタマに入ってきた内容は、殊に、他人の力を借りてすいすい頭に入れた内容はすぐに忘れ去られるのではないか。
 単語調べにしても、紙の辞書と電子辞書で成果が異なる理由の一つにこれがあるのではないかと思う。手と目を使って「あれ、これでもない、似てるけど違う」などと悩みながら調べ出した結果と指先の運動でちょいちょいと機械任せに出てきた結果は違うだろう。紙のページをくりながらぐるぐる見回して考えることの有用性があると思うのだ。それは、単に時間的な労力だけでない。

 「わかる喜び」は、「わからない苦しみ」があればこそである。それで、「わからない苦しみ」も「わかる喜び」も、人間だけが持ちうる感動の一種で、感動こそが人生を形作るものではないか。陳腐な言になろうが、たぶん、人間はそんな風に出来ているのではないか。
 
 私は「わかりやすい授業」や「効果的な学習」に強い疑念を抱くが、その理由にこれもあるのだ。生徒は、わかりやすさを求め、効果的な学習を求めることで、勉強という大切な生活の一部を道具化し、言わば、感動の少ない「生きていない生活」を送っていることになるのだ。

 当たり前だが、故意にわかりにくくする必要なんてあるわけはない。(笑)しかし、「わかりやすさ」を最善とする価値観や、学び取る側が自らの努力無しでわかりやすさを求める姿勢は、人が人生を営むという観点においても間違いではないかと思うのだ。
 私は人が生きていくのは、「過程」であると思っている。言い換えれば、感動であろう。ならば、学習においても感動があろうというものだ。だから、端から「わかりやすさ」や「効果的な学習」を求めることに私は釈然としないものを感じるのである。


6 コメント

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Unknown (森下礼)
2006-10-13 07:20:26
ほりさんの論理は首尾一貫していますね。おっしゃるとおりだと思います。

 アルキメデスは、古代最大の数学者でもあり、円の研究の分野では、微分・積分の一歩手前である「取尽くし法」というものを考案したほどで、数学史上、ニュートン、ガウスとならんで3巨頭と言われます。 

 そのアルキメデスの最期も、彼らしく、ローマ軍が攻めてきたとき、彼は円の研究をしていたのですが、兵士に向かい「私の円を邪魔するな!」と言って、その研究の意味がまったく解るはずのないその兵士に殺されたというのです。その超俗さにおいてアルキメデスも相当なものですが、理解できなかった兵士のような人が、世の中の多数派なのでしょうね。研究する過程の意味が解らぬ人たち。アルキメデスが、もっとわかりやすく真意を伝えればよかったのでしょうか、あるいは世俗の人のように兵士の命令に従えばよかったのか・・・難しいところですね。
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兵士の命令 (ほり(管理人))
2006-10-13 22:59:59
森下礼さん、度々のコメントをありがとうございます。



「首尾一貫」自分でも、どうやらそうだと思います。文章を読み返すと、なんてクリアなんだ、と自分で驚くときがあります。(笑)この文章もその一つかな。

私の文章は、コトバの使い方がちょっと変な、或いは下手くそなところがあるので(笑)、そういうのに引っ掛かる人は意図と違うように解釈されますが、森下礼さんを始め、ウチにコメントくださる方はちゃんと読み取って下さり、書き手として大助かりです。これからもどうぞよろしくお願いします。



アルキメデスのことを教えて下さり、ありがとうございます。中学校の英語の教科書に、この話が載っていたような。(その時、from now onと言う表現が出ていたような。そうそう、それで、私、このonがわからなかったんだ。この頃、やたら細かいことを思い出すのは、トシをとったせい?笑)



アルキメデスは、徹底した学者だったんですね。養老先生が、学者と政治家は仲が悪い、学者は人間が最大限にできることを求め、政治家は誰でもできることを求める、というようなことを(コトバはちょっと違うと思うけど)おっしゃってます。

近頃の「偉い人」は、徹底した「政治家」ですね。学者まで「政治家」めいてるんじゃないかな。「誇り」は死語ですね。「兵士」の命令に従うこと甚だしいようです。(笑)

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商人 (森下礼)
2006-10-13 23:24:11
アルキメデスが徹底した学者であったことは確かですね。もっともこの人、当時にあっての「超兵器」を作り出す、ギリシャ神話ならヘパイストスのようなこともやれた万能人だったのですね。これだって、あくまで学者としてのスタンスの範囲でのことだったと思われます。言ってみれば「フェルマーの最終定理」を証明したひとが「原爆」を作るようなものだったかも知れません。

 現代の学者は、政治家という局面も持っていますが、商人であることも義務つけられているような気もします。なにかと「結果」(この場合ビジネス・チャンスを作ること)を求められるのです。だから前のコメントに書いたように、「起業」が学生にも、もてはやされるのですね。あまりいい傾向とは思えません。

 ほりさんのブログは、とっても面白いので、これからも訪問させていただきます。よろしく。



 
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拝金主義 (ほり(管理人))
2006-10-14 01:08:19
森下礼さん、コメントをありがとうございます。



まさに、商人。商売というのは、「数(顧客数)」を頼む世界ですからね。

大学が「営業」をしないとやっていけないというの、変です。生協で土産物を売っていたり、産学協同がもてはやされたり。基礎学問を十分に保護した上ならいいけど。そうじゃないのが問題ですよね。大分前の記事ですが、「多数決でロケットが飛ぶか飛ばないか」2005年11月1日で、似たようなことを書いてます。



お褒めの言葉をありがとうございます。

私のブログを面白いとおっしゃる方は、ものごとの階層構造を面白いと考える人だと思います。見た目でものごとを楽しむ方にはつまらないブログだと思いますよ。「なんだ、いつも同じことしか書いてないじゃないか」って。(笑)

数学で言うと、「いろんな定理や計算式を使って問題を解くのか好きだ」という人と「公理定理に遡る考え方をしたい」という違いで、私はもちろん後者です。

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追記 (森下礼)
2006-10-14 21:08:05
英語教師のほりさんに敬意を表して

学者はthe scholar、語源は「暇、暇人」であると記憶しています。あわせてサラリーマンは

the businessman、「忙しい人」になりますね。学者は間違えて試行錯誤をするのが仕事、サラリーマンは試行錯誤は許されず、結果だけが求められます。学者でありサラリーマンでもある存在って、一体どんなものなのでしょうね。学者は間違えるのが仕事だと言ってもいいように思います。



 ほりさんも「試してガッテン!」について書かれていますが、私も同時期に書いています。

http://d.hatena.ne.jp/iirei/20060619

ですけど、お暇ならご覧下さいませ。
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疑う疑わない (ほり(管理人))
2006-10-14 22:40:59
森下礼さん、コメントをありがとうございます。



>>学者は間違えるのが仕事だと言ってもいいように思います。



良いですね、こういう発想。まさにそうだろうし。

社会全般が、それだけの余裕を持ちたいものですね。

経済、経済と言って、適正に再分配ができれば、現代の日本なら、総量的にはそれほど食う寝る心配は少なそうなのに、うまくいってませんね。それで、競争ばかり煽ってどうするのでしょう。

皆さん、何を理想にしていらっしゃるのでしょう。近頃の疑問です。



「試してガッテン!」、早速拝読させて頂きました。

私もグルメ番組でも何でも、「柔らかくて美味しい」って変だと思ってました。じゃあ、柔らかいブロイラーが美味だということになりかねないし。固いものしかなかった時代のトラウマを引きずっているのでしょうか。

で、・・すみません。私、お魚を漬けた後のお味噌、捨ててます。。。

徒然草でしたっけ、味噌で酒を飲む話、ありましたね。貴重だったんですよね。



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