考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

はじめに

 このブログは、ほり(管理人)が、自分の思考を深めるために設置したブログです。私のものの見方を興味深く思う方は、どうぞお楽しみください。 / 書かれていることは、ほりが思考訓練として書き連ねた仮説が多く、実証的なものでありませんが、読み方によって、けっこう面白いと思います。 / 内容については、事実であっても、時空を変えて表現している場合が多々ありますので、リアルの世界を字面通りに解釈しないでください。何年か前の事実をまるで今起こっているかのように書いたものもあります。 / また、記事をUPしてから何度も推敲することがあります。記事の中には、コメントを戴いて書き換えを避けたものもありますが、どんどん書き換えたものも交ざっています。それで、コメント内容との整合性がないものがあります。 / なお、管理人は、高校生以下の方がこのブログを訪れることを好みません。ご自分自身のリアルの世界を大事にしていただきたいと思っているからです。本でも、学校でも、手触りのあるご自分の学校の先生や友人の方が、はるかに得るものがありますよ。嗅覚や触覚などを含めた身体全体で感じ取る感覚を育ててくれるのはリアルの世界です。リアルの世界で、しっかりと身体全体で感じ取れる感覚や感性を育ててください。

名前

2008年12月10日 | 教育
 生徒の名前を間違えることがある。
 何百人もいると、どうしても、「似ている感じ」の生徒がいて、それで、なんとなく最初に覚え間違えをしたりすると、以降もタマに間違えて呼びかけたりする。それで、これが生徒に嫌われる決定的要因になることがある。
 しかし、生徒によっては、「もう~、先生、また間違えて~」と言う程度でそんなに、あるいは全く怒ってない場合がある。授業中だと、ざわつく場合と、間違えて指名されているのに自分のことだと認識してちゃんと答えてくれる生徒もいる。(なんて賢いのだろう。)

 「名前を間違える」なんて公の場で言うと、もの凄く怒る人もいると思う。(経験的に知っている。)
 「名前を間違えるなんて、最低だ!」で、「だから、学校の先生は・・・」と続きそうな気がする。

 多くの職業においては、「顔と名前を覚える」が最高のプライオリティに位置することだからだと思う。最高のプライオリティとは、最低限しなければならないことと同義だから、最低限のことが出来てないから最低だ、怒るに等しい、ということだ。
 だって、名前を覚えるのは顧客管理の第一だもの。営業の要だろう。で、集金力もそこで大きく変わる。誰だって名前を覚えて貰えば嬉しい。それが承認欲求の根幹に位置することだから。それで、名前を覚えられて購買力が削がれることは決してない。
 そんなこんなで、名前を間違えられたとき「人の名前を間違えるなんて最低だ」と言う生徒もいる。お家でそんな話がでたりするのだろうと思う。

 で、生徒の名前を間違えたとき、もちろんその子の性格は関わろうが、他との関係をどれくらい認識しているかに関わるのではないかと思う。
 間違えられても怒らない生徒は、先生は大勢の生徒を相手にしているから、自分の名前を覚えているとは限らない、また、間違えることだってあるだろう、と思ってくれているのだ。それで、卒業生が「先生~」と呼びかけてくるとき、街中だと「○○高校でお世話になった何々です」と言ってくれるときと、全くの自己紹介無しで話しかけられるときがある。

 いずれにせよ、先生は大勢の生徒を教えている、と言う前提で話しかけてきたり応じてくれる生徒は、間違うことや記憶の不確かさを前提に対応してくれるのである。一方の後者は、教員に鮮明で完璧な記憶を求めているように思われる。

 それで、奇妙に感じるのは(当たり前という気もするが)、(私が体験した限りにおいて)一般的に能力が高い生徒ほど、こちらの「間違い」に対する許容度が高いように思う。教員に対するリスペクト、或いは侮蔑が働くせいもあろうかと思うが、基本的には「私」と「その他大勢」の認識があるからではないかと思う。大げさに言うと、世界観の違いだと思う。
 私だって、同窓会であっても、恩師には「ほりです」と自己紹介する。自分が先生だからではないと思う。

 持ち物に名前を書くときも、生徒によって、「名」しか書かない生徒がいる。しかもひらがなで。「さとみ」と書いてあっても、何年何組の「さとみ」かわからない。聡美なのか、里美なのかもわからない。自分だけの世界なのかなと思う。それで、自分のことは、自分が知っている人も自分と同じように自分のことを知ってくれていると思っているのだろうと思う。やはり世界が小さいのだろうと思う。

 と、ここで「世界観」なんて書くと、「この先生は、世間一般の世界観(名前を覚える重要性)を知らない世界観の小さい先生だ」或いは、「そんな常識以前のことについて、世界観などと何を外れたことを言っているんだ」と思われるだろう。