考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

はじめに

 このブログは、ほり(管理人)が、自分の思考を深めるために設置したブログです。私のものの見方を興味深く思う方は、どうぞお楽しみください。 / 書かれていることは、ほりが思考訓練として書き連ねた仮説が多く、実証的なものでありませんが、読み方によって、けっこう面白いと思います。 / 内容については、事実であっても、時空を変えて表現している場合が多々ありますので、リアルの世界を字面通りに解釈しないでください。何年か前の事実をまるで今起こっているかのように書いたものもあります。 / また、記事をUPしてから何度も推敲することがあります。記事の中には、コメントを戴いて書き換えを避けたものもありますが、どんどん書き換えたものも交ざっています。それで、コメント内容との整合性がないものがあります。 / なお、管理人は、高校生以下の方がこのブログを訪れることを好みません。ご自分自身のリアルの世界を大事にしていただきたいと思っているからです。本でも、学校でも、手触りのあるご自分の学校の先生や友人の方が、はるかに得るものがありますよ。嗅覚や触覚などを含めた身体全体で感じ取る感覚を育ててくれるのはリアルの世界です。リアルの世界で、しっかりと身体全体で感じ取れる感覚や感性を育ててください。

君たちもノーベル賞を取りなさい

2008年12月12日 | 教育
と言ったら、理系のクラスでうけた。冗談だと思ったようだが、私は本気で言っている。だって、先のことなんてだれにもわからないではないか。

 でもね、ノーベル賞を取る方より、ノーベル賞を与える方がえらいんだよ。だって、「これは、ノーベル賞に値する」と自分で判断しなければならないのだから。受ける方は受け身である。与える方は能動である。どっちが動的かと言えば、与えることに決める方に決まっている。それには自分で価値判断をする、という物差しを持っていなければならないと言うことである。じゃあ、どうやって、物差しを持つのか。○○さんが良いといっているからそう決めるのか。じゃあ、○○さんの言うことがなぜ正しいと判断するのか。いつも自分に好物のお菓子をくれるからか。そうではないだろう。いいかい、君たちが勉強をするのは、それが本当に正しいかどうかがわかるようになるためだよ。○○さんの言うことを信じて良いかどうか、見る目を持つためだよ。別に君たちがノーベル賞の選考委員ならなければならない、ということではない。今の時代は情報が溢れている。それらが一体本当に正しいのか、そうでないのか、それを判断するのは君たち自身なんだよ。ある意見を言っている人がカッコイイから正しいだろう、というのではないだろう。みんながそういっているから正しいだろう、と言うのでもないだろう。君たちが勉強をしなければならないのは、正しい判断ができるようになるためだよ、そのために勉強をするんだよ。だから、みんな、一人一人が勉強をしなければならないんだよ。

 ってなことをモタモタしゃべったら、「おー、かっこいい」と言ってくれた。ありがとね。