考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

はじめに

 このブログは、ほり(管理人)が、自分の思考を深めるために設置したブログです。私のものの見方を興味深く思う方は、どうぞお楽しみください。 / 書かれていることは、ほりが思考訓練として書き連ねた仮説が多く、実証的なものでありませんが、読み方によって、けっこう面白いと思います。 / 内容については、事実であっても、時空を変えて表現している場合が多々ありますので、リアルの世界を字面通りに解釈しないでください。何年か前の事実をまるで今起こっているかのように書いたものもあります。 / また、記事をUPしてから何度も推敲することがあります。記事の中には、コメントを戴いて書き換えを避けたものもありますが、どんどん書き換えたものも交ざっています。それで、コメント内容との整合性がないものがあります。 / なお、管理人は、高校生以下の方がこのブログを訪れることを好みません。ご自分自身のリアルの世界を大事にしていただきたいと思っているからです。本でも、学校でも、手触りのあるご自分の学校の先生や友人の方が、はるかに得るものがありますよ。嗅覚や触覚などを含めた身体全体で感じ取る感覚を育ててくれるのはリアルの世界です。リアルの世界で、しっかりと身体全体で感じ取れる感覚や感性を育ててください。

対談本・内田VS橋本

2008年12月26日 | 教育
 内田先生と橋本治氏の対談本を読んでいる。
 で、これがけっこう、面白いのである。最初、期待しなかった。でも、面白い。でも、理由がわからない。

 私は橋本治は好きでない。「考える人」等の連載を読んでも、私は文章がくどい気がして好みでない。桃尻語訳枕草子は出たての頃に読んだ。窯変源氏は何巻か持っている。(ほとんど読んでない。文学は好きでない。特に、男女関係の云々は好みでない。)セーターを編むとか、イラストを描いているのも知っていた。

 橋本さんは、とても頭の良い人だと思っていたが、そうなのかなとかも思ってしまった。(重要な注・自分は棚に上げているから、ファンの方お許しを。)
 で、何が面白いのかまだわからないけど、なにかしら、この対談は、うん、面白い。

 なぜなのだろう? なぜ、私はこの対談を面白いと感じるのだろう。目下の疑問である。

公衆衛生と学力増強の共通点

2008年12月26日 | 教育
 大正時代、平均寿命が大きく伸びた。人が死ぬのは病気は事故である。平均寿命を上げるには、病人を見たら、早く治す、そのためには、十分な医療体制を整えることが有効である。実際、そうであろう。常識的な、ふつーの考え方である。これは、具体的に言うと、人の命を「個」の観点で捉え、Aさんも、Bさんも、Cさんも、小さいときから皆の一人一人にに十分な医療を提供できる環境を整えれば、命を落とす心配が少なくなるという考えに基づいている。Aさんが、栄養失調の症状を示したなら、栄養を改善させるべく治療を行う、ということである。癌なども重病であっても同様である。そのようにして一人一人の命を大切にする。しかるに、もう一つ、全く異なる方策がある。良い例が、かつても東京市長後藤新平さんという偉い人がしたことである。インフラの整備で、水道の塩素消毒を実施したことである。(養老先生の受け売り。)当時、乳児死亡率が高かったらしい。これには、あまり清潔とは言えない水と、井戸の水汲みなどの重労働、もちろん、子を産み育てる女性の仕事--が関与していた。塩素消毒の水道水の普及で、清潔な水が手近にあり若い母親が重労働から解放されたことで平均寿命が上がったと言う。

 学力についても、同様なことが言えよう。
 現場にいても、確かに今の生徒の学力は、知識、思考力とも、20年前の生徒と比べて落ちていると、私は生活感覚で思う。それで、言いたいのは、これは、個別の問題ではない、ということである。例えば、「ウチの子、学校の成績が悪くて、困ってるのよ。」という嘆きは、「個別」のものだから、宿題をきちんとさせる、場合によっては、塾や家庭教師、と言う手だても考えられる。なぜなら、学力不足が個別の問題だから、個別に対応をすれば良いということである。
 しかし、今、おそらく問題になっているのは、--大学で高校や予備校の先生を呼んで補習指導を行わなければならない状況は、個別の問題でない。マスの問題である。
 それで、高校までの学校教育に関して、一人一人の学力を上げるべく、「個別指導」「少人数指導」が喧伝され、昔に比べて、一定数の生徒に割り当てられる先生の数が増えた。この意味では、「十二分に対策が取られている」わけである。それでも、効果が見えてこない。
 ならばどうするか。
 答えは、マスを対象とする↑「公衆衛生」に学べばよいと言うことになる。
 個別指導や少人数指導は、医療体制の充実によって平均寿命を上げる方策に似ている。なぜなら、「個」に対応する方策だからである。しかし、これが抜本的な対策にならないのは、「個」に対応する策でしかないからだ。間違えて貰っては困るが、「国家規模」で行ったとしても、所詮「個」への対処法にしかなりえない。
 しかるに、「水道の塩素消毒」は、個に対応する策ではなくて、マスに対しての方策である。英語で言うと、eveyと、allの違いで、水道の塩素消毒はallに処する策である。「一人一人」に目が行くのがeveryの見方で、それらの要因を皆ひっくるめて大きく俯瞰的に見る見方がallだからだ。(よって、複数になる。「見えない線」で集団をくくり、その枠内に複数のものがある、という見方だからだ。)公衆衛生は、この点で、みんなひっくるめて見ている。(で、日頃から思ってるのだけど、日本語の「みんな」は、everyの感覚であって、allの俯瞰的な感覚はないのではあるまいか。)

 で、結論だが、教育に関しても、allの感覚「みんなひっくるめて」を大事にしたらどうだろうか。
 今の教育は、一人一人の先生を頑張らせることで、つまり、質を高めることで(不適格的確教員の排除もこれの一種である)教育の質をあげようとしている。しかし、私は、どんなに一人一人の先生が頑張っても、塾の先生が頑張っても、全国レベルで、例えば、街なかで「近頃の子って、何かしら、いろんなことを良く知っているわね。私たちが学校で習ってないようなことまで当たり前のように話してるわね。よく物事を考えているようにも思うし、感心するわ。」という言葉が人の口から出ることは絶対にないと思う。
 一人一人の学校の先生、塾の先生の努力は、「自分が教えてやった生徒」のレベルにおいて効をなす。しかし、効をなすのは、自分が対応しきれる生徒だけである。その先生に習った生徒の友達や、そのまた友人知人までもが感化を受けて成長、発展するということは決してない。逆に「おまえは、○○先生で良かったなぁ。オレは、××先生だから、はずれだ。」と、マイナス要因になる場合も起こりうる。(人間同士だから、合う、合わない、と言う問題もあって、ホントは、私にとっての良い先生が必ずしも、あなたにとっても良い先生にならないのである。個が個を越えることは決してない。「本校の合格率○○%」あるいは「本校の素晴らしい教育」は、決して近隣の学校や塾、隣県の生徒まで生き生きとさせたり、生徒の向上心を高めたりはしないということである。で、こうした方策をとる場合、それで、「競争」などをさせれば、逆に、「近隣や自分が関わらない生徒まで伸びては困る」という場合の方が多くなろう。競争とは、見える範囲内での相対的なものでしかなく、自分が優れることを示すことは同時に、他が自分より劣っていても十分に成り立つ図式である。それでも、十分に「競争」は機能するのである。

 教育における「公衆衛生」や「予防医学」が何になるかの研究をした方が、余程良いのではないか。その方が、ずっと安上がりで、効果もあるぞ。マイナスは、「生徒の学力が上がったのは私の成果である」と、教える側が自分の能力を誇示できなくなることである。「ウチの塾にくると成績が上がる」とか「私は大変指導力がある教員である。他の先生と違うのだから(オレの給料を上げろ)。」などの「宣伝」ができなくなる、ということである。一部の人にとって、これは「人生を賭けて困ったこと」になるだろう。

 で、「二十四の瞳」の大石先生である。先生の問題ではなく、「瞳」の問題である、ということである。--その意味で、今、気が付いたが、このタイトル、実に上手くできている。象徴的である。大事なのは、大石先生ではなく、生徒の「瞳」だということだ。「子供が先生をどのような瞳で見つめていたか」ということだ。大石先生は、基本的に関係ない。
 
 子供にこのような「瞳」を持たせると良い。
 えっ? 「どんな瞳ですか?」ですって。そんなのわかりきったことですよ。

 基本は「子供のあなたは、人間として無力である。だから、学ばなければならないのです。そのために、親の言うことを聞きなさい。学校では先生の言うことを聞きなさい。」という自覚を国家規模で(マスコミをつかって)子供に促すことです。

 えっ? 何ですって? ろくな親も教師もいないから、そんなこと言えないですって?
 それはね、あなた自身の「人間の大人としての自信のなさ」の表れですよ。それと、心の底に、「私」の存在を子供にアピールしたい気持ちがあるのですよ。親であろうとどこの先生であろうと。「私に注目して。私の存在を認めて。私は良い親で、良い先生なのだから。あなたが今あるのは、私のお陰でしょ。」そんなのは、捨ててしまいなさい。今まで以上に「自由」になれますよ。

 そういえば、以前、「公立学校教員の透明性」という記事を書いたなあ。読み直してないけど、たぶん、同じことだと思う。(「個性はいらない」という話だった。自信があれば、個性なんて、いらないのよ。)

suchの発音

2008年12月26日 | 教育
「すっち」と言ったから、最初、何のことかわからなかったよ。これで、旧帝大のどこかは受けるだろうし、受からなかったら困る子だから、・・・大学の先生も大変だ。
(今日は、お休み♪ 明日は仕事!)