天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

選んだ孤独は良い孤独

2024-09-06 15:23:57 | 世相

下の本からの引用と思われる池澤春菜さんの標語

                   



讀賣新聞は8月下旬に「stop自殺♯しんどい君へ」というインタビュー企画を行った。著名人がいま悩む子供や若者に向け、色紙にメッセージを寄せるとともに小文を綴った。
その標語は、
みんな意外と『助けて』を待ってるよ――――大東駿介(俳優)
ちゃんと休もう――――兒玉遥(俳優)
夢は叶う――――DAIKI(ダンサー)
一人じゃない! 味方は必ずいる!――――森保一(サッカー日本代表監督)
弱いところも見せていこう――――川田裕美(フリーアナウンサー)
自分をいたわり優しく――――斎藤環(精神科医)
などである。
単刀直入で効くのは、大東さんと森保さんのコピーであるが、これよりもっと深みを感じたのが、
選んだ孤独は良い孤独――――池澤春菜(声優・作家)
である。ずば抜けた深みがある。実際に出口のない悩みの真っただ中にいる人がこんなに深淵な文言に反応するかは疑問だが、小生には刺さる言葉である。
さて、池澤春菜さんは現在48歳。
讀賣新聞が彼女を以下のように伝える。
声優や作家として活躍する池澤春菜さんは中学時代、持ち物を隠されたり、避けられたりするいじめを受けました。学校に居場所がないと感じ、高校時代に留学したタイでは、ホストファミリーから食事を与えられず、さらにつらい経験をしました。しかし、留学やアルバイトでの経験を通じて、「くだらないことに付き合う必要はない」と割り切れるようになりました。子どもたちに「没頭できることや、心が逃げ込める場所を見つけてほしい」と呼びかけます。

しかし、彼女の掲げた「選んだ孤独は良い孤独」なるコピーは彼女自身のものではなく、おそらく、山内マリコ『選んだ孤独はよい孤独』からの引用であろう。
山内マリコの考えと小生はどこか似ている気がする。その本を読んでいないが彼女は孤独を肯定しているのではないか。小生も孤独にまつわる消極的な感慨を嫌い、孤高へのステップと見ている。引きこもりがなぜいけないのか、としばしば思う。外へ出たくないならば家の中にこもっていたっていい。だいたい日本人は協調性と人と和すいう価値を言い過ぎるのではないか。
人と付き合わない変人でどこが悪い。犯罪をおかしているわけじゃない。もっと一人の世界を尊重していいのではないか。みんなと同じようにという日本の風土と自殺の増加に通じていないか。
孤独に強い個人を涵養すべきではないのか。

二男が小学生だったころ通っていた小学校で30余年前、父が自殺について熱弁をふるったことがある。
気鋭の女性教師が二男の担任であった。彼女は外からさまざまな人を学級に呼んでは教壇に立たせた。小生は請われて俳句の授業をし、子供たちに句をつくる指導をしたこともある。
あるとき稲作がテーマになり教師は講師を求めた。二男がおじいさんが伊那のお百姓さんです、と手を上げ、父が東京見物かたがた勇んで上京して教壇に立った。そこまでは良かった。
しかし父が話しをし始めたら稲の話からあっという間に「君たち、自殺してはいけないよ」にテーマは変ってしまった。
二男は妙な成り行きにうしろに立つ担任や小生、妻や母の顔を見る。ぼくらは唖然として顔を見合うだけ。担任もどうしていいか見ているだけ。
父は夢中になって「自殺してはいけない」と言い続けた。
残り少ない時間を母が講師になって稲の話をし何とか収めた。後で担任を交え、父抜きで大笑いした。
けれどあの頃、父が大いに心配した自殺はずうっと抜き差しならぬ問題になってきている。父は時代を読んでいたともいえる。

俳句と付き合う、言葉を練る時間は孤独であるが自分を確立する時間かもしれない。
言葉と付き合うという機会も大事にしてほしい。自分が拠るもの、それは人だけではない、と思うことも大事であろう。若年層に俳句が浸透するのはむつかしい。俳句はどうしても年が行ってから身についてくる。
けれど俳句が孤独の自分を盛り立てて孤高へ誘ってくれる、ということは知っておいていいだろう。

           
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