天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

捨てられて散らかる米や町師走

2022-12-05 11:12:42 | 身辺雑記
             


今日アパートのゴミ置き場、燃やすゴミ袋の中にえらく重い物が入っていた。砂か、あるいはダンベルが三つくらい入っている感じ。しかしそれは米であった。北海道産「ゆめぴりか」5kg入りの袋が三つ。取り出そうとしたら一つの袋が破れてザアーっと零れた。その白いこと。一瞬、罪を犯したかと思う景色が出来した。
戸の行き来する溝の中に入った米は見るに忍びなく箒で掻き出した。百姓のせがれは米を捨てられない。うちに持って帰り妻に経緯を[話すと言下に「要りません」と言う。要らないにしてももう少しもったいながる素振りを見せてくれないかなあ、百姓のせがれを夫とした手前……そういう情があいつにはない。
捨てられた米に直面するとき掃除の仕事は嫌だと思う。何年か前、違うアパートでも米が出た。そのとき多摩川の掘っ立て小屋に住む人に持って行った。そのときの彼も「いただきます」とありがたらなかった。こいつ趣味でここに住んでいるのか、と憤りに似た気持ちであった。生れ育ったこところでは考えられないことが都会では行われている。
米は明日、もとのゴミ置き場へ戻すことになる。いやあ、燃やすのなら森林にでも撒いて肥やしにしたほうがいい。そうしよう。
現代は豊かなのか、貧しいのか。豊かでもあり貧しくもある。食べられるものがあるというのはまさしく豊か、それを捨てるという精神は貧しい、と言わざるを得ない。

カップ麺も出た。前に出たカップ麺がまだある。捨てないで食べるが、喜捨された物を食わなければならぬのも辛い。到来する食べ物に応対するのもたいへんである。


コメント
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