天地わたるの俳句道
第1回「そもそも俳句のおもしろさとは」は、以下をクリックすればいい。
https://youtu.be/p6yODUsVWIU
この番組をつくるにあたり打ち合わせをしたとき聞き手、米倉八潮が話し手の小生に「風情を感じない場所」の典型としていまごろの田んぼをあげた。
写真は武蔵府中税務署横の東京農大の田んぼであるが米倉は妻の実家筑西市の風景に言及し、だだーっと田んぼが広がるめりはりのない景色で俳句は詠めるのかと問うた。ここで彼が「何もないところで」といわなかったことにぼくは安堵したのであった。車寅二郎ではないが「それを言っちゃあおしまいよ」である。
人がどこかへ旅行なり出張を終えて帰ったとき「何もないところでさ」というのを聞いて妙なことをいうなあといつごろからか強く感じるようになった。37歳ころから俳句をするようになってからますますそう思うようになった。
世の中に「何もないところ」なんてあるのだろうか、という疑問が充満していったのである。
岡本おさみが作詞した「襟裳岬」の「襟裳の春は何もない春です」はこれを逆手にとった衝撃的なものであった。「襟裳岬」は全体として人工物の少ない素朴な風土と人情を謳歌する内容であるが、出張から帰ったAさんBさんが平気で「何もないところでさ」というのを聞くと、あなたは人間であることを放棄するのか、あなたには感じる心とかものを見る目というものがないのかという腹立たしい気持ちになったものである。
同時に自分自身が「何もないところ」といっていないかも反省した。それをいったら人間失格じゃあないのか。
YouTubeでは俳句の意義などというきまじめなところへ話が行かないようにしたが、俳句をやっていると「世の中に何もないところなんてない」と実感するようになる。これが自分と世界を肯定することであり、前を向いて生きることであり、俳句の意義ではないかと思うのである。