天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

妻の昼飯作らない宣言から3ヶ月

2018-04-05 05:20:04 | 身辺雑記


妻がぼくの昼飯をもう作りません、と宣言してから3ヶ月が経つ。1月の末のことであった。
我慢に我慢を続けていたことであり、かわいそうであった。
妻と同棲期間を含めて43年暮らしているが夫の昼飯を作ったのは定年してからの6年である。
新婚のときはいそいそと半年ほど弁当を作ったが会社に食堂があるとわかるとそちらのほうが費用の効率がいいということになり終った。
したがって妻がぼくの昼飯にまで関与するのはここ6年のことである。

嫌ならもっとはやく言えばいいのに我慢して我慢して爆発した。
妻に言わせればぼくが気をきかして気づくべきとのこと。だが、妻には妻の尊厳というかプライドというのがあり、妙に気を利かせないほうがいいことも多々ある。
自分のフィールドへ人を容れたくないという心理と気を使ってほしいという気持ちがせめぎ合っていて、それはむつかしい生き方をしているのである。

妻の作っていたぼくの昼飯の材料は冷凍のラーメン、そば、うどんに適当な野菜を入れたものであった。そのくらいはぼくでも作れるし負担でもない。
もっともぼくが自分の昼飯をつくるようになってから冷凍の麺類をほぼ食べなくなった。
ご飯といわし缶、それに野菜いため、ないし蒸し野菜、茹で野菜ということが多くなった。
麺に入っている野菜は少ないと思うのだ。
自分で好きな食材を調達するほうがおもしろいのである。

妻が昼飯を作っているときは昼に家へ帰ることが義務づけられていたような感じであったがそうでなくなると帰宅しなくていいということになる。
自由だ。
掃除したアパートから自転車に乗ってあちこち出かけられる。行った先でうまそうなものを食うのもいい。
なんでもっと早く気づかなかったのか。それは妻が言う通りである。

鷹2月号のこの句が身にしみる。

桐一葉五十年家事熟したる  今野福子


「家事熟したる」は妻の気持ちでもあったのだろう。主婦はたいへんである。
何でも自分で引き受けないことも大事。それと妻と夫は縛り合って束縛しないことである。



写真:府中市黒鐘公園
コメント
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