氣楽亭 日乗

大阪生まれで奈良県広陵町の長閑で氣楽な田舎暮らしの氣功師が氣ままに綴る懐かしい昭和の年代記です。

お化け屋敷

2005-07-01 10:33:03 | 懐かしい商売
昭和20年代の後半には大阪市内中心部にも空襲の焼け跡があちこちにあった。
千日前の大劇の角(南海通り)までは鰻の出雲屋など店が沢山ありました。
南海通りを過ぎて南へ行くと道具屋筋までは焼け跡の原っぱだった。
現在のNGK(吉本のなんばグランド花月)の場所だ。
NGKの以前は吉本ボールというボーリング場だった・・・
その前は・・・記憶が曖昧なのだか焼け跡の原っぱに繋がるのです。

夏になれば小屋掛けのお化け屋敷や見世物小屋が幾つも並んで興行を打っていた。
夏場以外は見世物小屋が主体で小サーカスなどもあったように思う。

メインは夏のお化け屋敷で不気味で気味悪い泥絵の具の看板が客の気を引いた。
呼び込みのオジサンのだみ声が恐怖を引き立てる。
足場丸太で組み立てキャンバス地でテントを作ってあった。
通路の仕切りはゴザやムシロで悪ガキは裏や横から入り放題だった。

なかは四谷怪談の場面や本所七不思議の場面など伝統的な趣向だった。
場面を繋ぐ通路が曲者で便所(作り物の演出)を通らないと次に行けないのだ。
汲み取りトイレの便器を跨がないと進めない。
跨ぐとトイレの下から骸骨の手が出てきて足をなぜる・・・
本当に怖かった、怖くて小便を漏らす子供も居た(私では有りません)し引き返す大人の女性も居た。(これは私の母親と従姉妹です)
母は引き返し「入場料を返せ」と入り口でもめていた。
入り口でトラブルと客が入らないのでオジサンは困り母に謝っていた。
そして裏でお金を返してもらいテントの横から出てきた。
私は次の日から母達が出てきた従業員の通用口からコソコソと無賃で入るようになった。
シーズンパスを貰ったようで得意になって友達を沢山連れて入った。
「お化け屋敷のオジサンただ入りしてごめんなさい」
楽しい夏の思い出です。

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2 コメント

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小屋がけの芝居、映画 (yho)
2005-07-01 22:28:53
物心ついてから昭和30年(11歳)まで、京都府I町の母の実家近くの借家に住んでいました。なんと家の前の家主の畑にテント小屋ができ、芝居や映画の興行がよくあったのを思い出します。店子の子どもということもあったのか、5mも離れていない家の子への配慮だったのかさだかには忘れましたが、いつもタダで観ていたのは間違いありません。

もう一つ余禄がありました。その小屋で上映される映画のロケが、近くの木津川でよくあったのです。ほとんど時代劇で、子役の頃の美空ひばりも見たことがあります。あと嵐寛十郎、東千代ノ介は間違いなく、中村錦之助(萬屋錦之助)の記憶はちょっとあいまいです。映画や芝居の内容は覚えていませんが、芝居で目に焼きついているシーンはいくつかあります。
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Unknown (氣楽亭呑氣)
2005-07-01 23:08:57
yhoさんコメントありがとうございます。

小屋掛けの興行って郷愁をさそいますね。

日常の変哲の無い空き地や畑が一夜にして非日常の空間に姿を変える。

イベントに心を躍らせました。



映画の都、京都らしい良い思い出でうらやましい限りです。

木津川の木造の橋の近くでしょうか?



頃日は午後のBS2の「懐かし映画劇場」にはまっています。

大友柳太郎の「怪傑黒頭巾」が良かったです。松島知子が綺麗でした。

美少女が成人して美人になるとは限らないのですね。

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