麻田さんの自伝本とも言える「聴かずに死ねるか!小さな呼び屋トムス・キャビンの全仕事」を
読了。自分よりも上の年代の方々の知らない話は大好物ですので一気に読み終えた。
伝聞して既知のエピソードもあるが、時系列的に咀嚼して読むと理解も深まるというもの。
何よりもトムスの前後も休むことなく自分の興味を探求していた事に驚かされる。
個人的にはトムス以前のアメリカでの遊学時代の話に惹かれる。ゆったりした60年代での
ブレバタのお兄ちゃんとの同棲生活は何とも楽しそう。日本レストランでのバイトも時代です。
末尾のあしゅらさんの回想と麻田&バラカン対談が検証としての役割を果たしている。警鐘もか。
トムスのスタートの1976年はワタシは18歳になっていたが、日本のロックやハードロック等を
聴いていたので、まだまだルーツの奥の細道には入り込んではいなかった。
イーグルスやジャクソン、リンダ等のウェストコーストには到達していたけれど。
そんな具合で1977年のローリング・ココナツ・レビュー辺りから足を運ぶようになったはず。
ジヴォンが日本に来たのはこの時だけとあるが、80年代後半のバブルの時代にウドー招聘で
来ているはず。ワタシは札幌に飛ばされていたので行ってませんが。
記述にあるようにトムスの功績はホールでしかできなかった外タレ公演をライヴハウスで
やることにより敷居を下げたことだろう。地方公演、スタンディングを始めたのも大きい。
「赤字になるなら止める」とリスタートして、公演数は減りアーチストに偏りはあるものの
今も継続していることは賞賛すべきである。
本の副題にある「聴かずに死ねるか」と称しHPで来日希望アンケートを取っていた時期がある。
締切されランキング発表になった後に招聘したのがランキング外のブルーグラス・バンドで、
ついBBSに「アンケート取っておきながら関係ない人が来るのでガッカリ」的にカキコして
麻田さんに一括されたのを思い出します(汗)。頭で反芻してからしゃべらない鳥頭男ですので。
麻田さんの自分の好きなものを呼ぶってスタンスは徹底しております。嗚呼恥ずかしき我が身。
そんな具合でお見鰍ッしてもいつも素性を明かせないワタシです。
後日、Buffalo Recordのダグラスさんが呼んだSteve Forbertなんかはトムスで呼ぶべき
だったと思ったのですが......。
新宿の某ロックバーでも森山良子さんと一緒の姿をお見鰍ッしたことがある。
某ジーンズ会社から10万円しかスャ塔Tー料金もらえないなんて人づてに聞いていたので、
「良子さんにも助けてもらえばいいのに」なんて勝手に思っていた。
まあ、友人に金の無心はし難いのは理解できますが。頑固さなければ興行なんてできません。
先輩諸氏、楽しい逸話は記録として残していってください。ちゃんと新刊で買いますので。