老化に”あらがう”じゃなくてと”うまくつきあう”サイクリング
サイクリングを始めてしばらくのあいだ、「軽いギアでクルクルまわせ」と先輩方にアドバイスされても、ひそかに自己流の方が絶対楽だと頑なに信じていた。さらに坂道に行けば、「先にフロント落として軽くて」なんて言われても、逆にできる限り頑張って、少しづつギアを軽くして脚を温存しようと思っていた。だいたいおやぢ世代は、素直に他人のアドバイスを聞かない。おやぢを手なずけるのは厄介なのだ。こんな輩を改心させるためには、文字化されたそのエビデンスが示されて、ようやく自分の間違いに気が付いて納得するのだ。
先輩のおやぢ達に幾度も辛酸を舐めさせられて、そのエビデンスとやらも教えられ、どうやら人間のエネルギー源には大きくわけて2種類あって、片方のエネルギー源はダメな乗り方では半日もしないうちに枯渇してしまうということが解ってきた。サイクリングの帰途にヘロヘロになる理由はコレだと確信を持つようになった。その2種類とは・・・・
・糖質(グリコーゲン)
・脂質(脂肪)
糖質は、個人差はあるが平均的に体内に1000kcal前後しか蓄えられないらしい。一方脂質は、1㎏で約7000kcalある。体重70㎏で体脂肪率が20%のひとは14㎏の脂肪があるので、7000kcalx14=98,000kcalものエネルギーを理論上は持っていることになる。この脂肪エネルギーを利用することで、糖質を温存すれば帰路にヘロヘロにならないらしいということが解った。ここら辺の話は、マフェトン理論とかATP回路とかミトコンドリア云々とか深いので触れないが、運動おやぢ達が好きなネタでもある。
(参考までに体重70㎏の人がフルマラソンをはしると約3000kcal前後の消費カロリーだ)
この脂肪を効率的に使えれば、エネルギーが枯渇することもなく一日を楽しくサイクリングすることが出来るワケだ。さらに不健康おやぢの友、内臓脂肪を減らすこともできる。特に正しいポジションでのペダリングは、大腰筋類を多用するので内臓脂肪を減らしやすいと言われているのだ。
前述したように坂道でも踏める限りの重いギアを選択し、ギリギリのところで1段軽くする。辛く苦しいこの方法は、頑張ってスポーツしている自己陶酔感を味わっていたように思う。軽いギアを最初から選択したら運動にならないのではと思うおやぢの心理は・・・・
重いギア(高負荷)=頑張る=善 ⇒ 運動とはそもそもそういうものだという先入観
軽いギア(低負荷)=楽する=悪(さぼってる) ⇒こりゃ運動とは言えないという先入観
初めの頃はこんな考え方に支配されていたのだろう。いまでは理解しているが、前者は既往症をもっているおやぢ達に突然死のリスクを高めることになる。さらに、重いギアを踏むような高負荷運動の為のエネルギー源は、糖質が優先して使われる。これは無酸素運動といわれている。一方、脂肪を効率的にエネルギー源として使うには、重いギアでなくて軽いギアを選択するべきなんだ。だから軽いギアでペダルとクルクル回すということが、だんだん経験をつみ学習して解ってきた。持久力はエネルギー源を脂肪とする有酸素運動が重要なんだ。それに頑張りすぎることは既往症を持つおやぢにとっては、時として危険であるばかりか、憎き内臓脂肪を効率よく減らせないということだ。
低負荷の有酸素運動から徐々に運動強度をあげるとだんだん無酸素運動が優位になっていく、すなわち低負荷の段階では脂肪がエネルギー源につかわれ、強度が上がるにつれて糖質をエネルギー源として使う割合が増える。その分かれ目を乳酸閾値(LT値)といい、心拍計でデーターをとって記録しているとだいたい〇〇〇くらいの心拍数が乳酸閾値だろうという事が解ってくる。
健康の為にサイクリングするなら、そんなに頑張る必要はない。逆に既往症があった場合は、頑張りすぎることはリスクが高くなる可能性もある。
若い頃は、競争に勝ちたとか、ライバルには負けないぞとか、ここで遅れたらかっこわるいとか・・・・そんなことを理由にモチベーションを維持したときもあったように思う。でも既に老化してしまった肉体を持つ身としては、ライバルは自分自身の過去だ。それといかに健康的に旨いもの飲んで喰ってピンピンコロリの人生物語をエンディングさせることがモチベーションになって来たような気がする。
つづく・・・・
本日のツボ
☆頑張りすぎるのは危険かも
☆頑張りすぎると脂肪は燃えない
☆ライバルは自分自身の過去、周囲は関係ない
☆サイクリングして旨いものを飲み食いしよう
写真はさいたま市の”秋ヶ瀬富士見の土手” 撮影は山口和幸氏 後ろに富士山が見える、こんどはモルゲンロートの富士山をバックに撮影したいな(笑)
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