今の今まで、書いてやろう!という気に満ち溢れていたのですが、突然、やる気が萎んでしまった・・・なぜ?
ところで、ジブリ美術館で上映されている作品についてはこれまでも何度か書いてきたことがあったと思うのですが、美術館そのものについては、ほとんど言及してこなかったような気がします。そこで、今日は美術館について感じていることを少々書いておこうと思います。
「映画の生まれる場所」という部屋が館内にあります。そこには無数のイメージボード風のスケッチが壁一面に張られていて、大変迫力があります。近年ではノルシュテインのスケッチも混ざっています。さて、その部屋の半分は西洋風にアレンジされていて、黒ずんで堅そうな木の机がでーんと置かれ、洋書が所狭しと積まれ、天上からは飛行機やプテラノドンの模型がぶら下がり、世にも奇妙な置物が至る所でその存在感を放っています。ほとんどの物は色褪せ、金属は鈍く光り、長い年月を経たことを思わせます。
ぼくはこの部屋がとても好きです。少年の夢、という名前がピッタリくるような、少年が、あるいは少年の心を持った大人が憧れを掻き立てられる部屋です。こんな家に住みたい、と誰が思わずにいられるでしょう!洋書の百科事典か全集を思わせる、埃の積もったシックな装丁の書籍の数々や、天体を観察するのに用いられるのでしょうか、巨大な観測器が、心を締め付けるようです。
この部屋の出口付近に、大きな宝箱が置かれています。ぼくは、この宝箱こそが、美術館の思想を端的に表現しているような気がしています。思想。ひょっとすると大仰な言葉かもしれませんが、しかしジブリ美術館は一貫した思想の下に設計され、人々を招いています。「迷子になろうよ、いっしょに。」という美術館のコピーは有名ですが、このコンセプトは、人々の探究心や冒険心に訴えかけているような気がします。整頓された作品を、整然とした道のりにしたがって巡視するのではなく、好奇心をもって順路も何も関係なく、作品を発見しようとすること。そういう気持ちを刺激し、煽ってくる。館内は迷宮のように入り組んでいる、というほどではないにしても、自分が何階にいるのかがやや把握しにくい構造になっており、否が応にも冒険心に火を付けられます。自分で探し、自分で見つける。欲する者には惜しみなく与える。迷子になりながらも、自分で活路を開き、そして自分だけの場所、自分だけの秘密、自分だけの作品を発見する。それをこの美術館は促しているのではないか、とぼくは思っています。
だから、ぼくは美術館を案内したりはしない。ぼくは何度もここに足を運んでいますけれども、訳知り顔に解説したり、隠れたお宝を教えるようなことはしない。それは自分で見つけるものであって、他人が教えてしまうことは、発見のチャンスを奪ってしまうことになります。宝箱があって、その中身だけを「どうぞ」と言って差し出すことは、ぼくにはできません。宝箱というのは、自分で見つけるべきなんです。そして自分で蓋を開けてみるべきなんです。宝箱の蓋は、閉じてあるべきなんです。
引き出しを開けたら本が入っていたり、手すりを支える棒に綺麗な球が埋め込まれていたり、壁の上に何気なく思いがけない絵が飾られていたり、驚きが隠れているのがジブリ美術館です。いや驚きは常にベールの奥にあるものです。
最後に、トイレについて。各階にトイレはありますが、この美術館のトイレは快適さを追求して凝っており、必要がなくても一度入っておくことをお勧めします。最もすばらしいのは地下1階のトイレで、男子用にはスラッグ渓谷(『ラピュタ』の舞台)が窓の向こうに見える仕掛けになっています。
ほら、もう一度行きたくなったでしょう?
ところで、ジブリ美術館で上映されている作品についてはこれまでも何度か書いてきたことがあったと思うのですが、美術館そのものについては、ほとんど言及してこなかったような気がします。そこで、今日は美術館について感じていることを少々書いておこうと思います。
「映画の生まれる場所」という部屋が館内にあります。そこには無数のイメージボード風のスケッチが壁一面に張られていて、大変迫力があります。近年ではノルシュテインのスケッチも混ざっています。さて、その部屋の半分は西洋風にアレンジされていて、黒ずんで堅そうな木の机がでーんと置かれ、洋書が所狭しと積まれ、天上からは飛行機やプテラノドンの模型がぶら下がり、世にも奇妙な置物が至る所でその存在感を放っています。ほとんどの物は色褪せ、金属は鈍く光り、長い年月を経たことを思わせます。
ぼくはこの部屋がとても好きです。少年の夢、という名前がピッタリくるような、少年が、あるいは少年の心を持った大人が憧れを掻き立てられる部屋です。こんな家に住みたい、と誰が思わずにいられるでしょう!洋書の百科事典か全集を思わせる、埃の積もったシックな装丁の書籍の数々や、天体を観察するのに用いられるのでしょうか、巨大な観測器が、心を締め付けるようです。
この部屋の出口付近に、大きな宝箱が置かれています。ぼくは、この宝箱こそが、美術館の思想を端的に表現しているような気がしています。思想。ひょっとすると大仰な言葉かもしれませんが、しかしジブリ美術館は一貫した思想の下に設計され、人々を招いています。「迷子になろうよ、いっしょに。」という美術館のコピーは有名ですが、このコンセプトは、人々の探究心や冒険心に訴えかけているような気がします。整頓された作品を、整然とした道のりにしたがって巡視するのではなく、好奇心をもって順路も何も関係なく、作品を発見しようとすること。そういう気持ちを刺激し、煽ってくる。館内は迷宮のように入り組んでいる、というほどではないにしても、自分が何階にいるのかがやや把握しにくい構造になっており、否が応にも冒険心に火を付けられます。自分で探し、自分で見つける。欲する者には惜しみなく与える。迷子になりながらも、自分で活路を開き、そして自分だけの場所、自分だけの秘密、自分だけの作品を発見する。それをこの美術館は促しているのではないか、とぼくは思っています。
だから、ぼくは美術館を案内したりはしない。ぼくは何度もここに足を運んでいますけれども、訳知り顔に解説したり、隠れたお宝を教えるようなことはしない。それは自分で見つけるものであって、他人が教えてしまうことは、発見のチャンスを奪ってしまうことになります。宝箱があって、その中身だけを「どうぞ」と言って差し出すことは、ぼくにはできません。宝箱というのは、自分で見つけるべきなんです。そして自分で蓋を開けてみるべきなんです。宝箱の蓋は、閉じてあるべきなんです。
引き出しを開けたら本が入っていたり、手すりを支える棒に綺麗な球が埋め込まれていたり、壁の上に何気なく思いがけない絵が飾られていたり、驚きが隠れているのがジブリ美術館です。いや驚きは常にベールの奥にあるものです。
最後に、トイレについて。各階にトイレはありますが、この美術館のトイレは快適さを追求して凝っており、必要がなくても一度入っておくことをお勧めします。最もすばらしいのは地下1階のトイレで、男子用にはスラッグ渓谷(『ラピュタ』の舞台)が窓の向こうに見える仕掛けになっています。
ほら、もう一度行きたくなったでしょう?