SF(とりわけロシアのSF)が好きな人や、宇宙開発に興味のある人は、ツィオルコフスキーの名前を知っているかもしれませんね。この「ロケット工学の父」は、20世紀前半のロシアを生きた人物ですが、彼は不死の問題を取り上げ、人間は地球から宇宙へ飛び出してゆくべきであると唱えました。
人間を構成している原子は、死後分散してしまいますが、それを再び統合すれば人間は復活するというわけです。また、未来の人間、死を克服した人間は、独立栄養体となり、食物を摂取せずともよくなると言います。その生命体は球体となり、ただ太陽光のみがそこを通過する。
このような彼の思想に影響を与えたのがフョードロフであると言われています。ドストエフスキー、トルストイ、フレーブニコフ、プラトーノフらにも影響を及ぼしたとされる「伝説の司書」です。彼はキリスト教と科学の両面から復活事業について真剣に考察し、人間はそれを目指すべきだとしました。祖先を復活させるのです。フョードロフの理念の根本には、「祖先復活」と「自然統御」があると言われますが、それらは死の克服に還元できます。
自然統御というのは、通俗的な理解では、人間が環境を支配するというふうに解釈されがちですが、どうやら自然の法則性を統御するということのようです。自然の法則性とは何かというと、それがまさしく人は死すべきものという法則であり、他者を排斥する傾向であり、殺人を犯す(戦争をする)性質であります。
また、「父」に対し恩を受けている「子」は、それを何らかの形で贖わなければなりません。その恩返しが、祖先の復活事業なのです。祖先を、一人残らず文字通り復活させる。人間を構成している微粒子を再統合すれば、彼は蘇ることができると考えます。しかし復活した祖先たちで地上は溢れてしまうのではないか?だからこそ、人間は地球外へ、宇宙へと飛翔する必要性、否、必然性があるというのです。
フョードロフのこうした思想は、ありのままの現実を受け入れるのではなく、あるべき現実を創造しようという強い意欲と倫理観の表れだと考えることができます。現実とは「こういうものだから」それを受け入れるのではなく、現実とは「こうあらねばならない!」とよりよきものを志向するのです。
仮にフョードロフの思想を全面的に首肯できなくても、こういった激しい意欲や義務感は見習うべきかもしれません。われわれは現実追認に逃げてはいないか?と反省すべきかもしれません。
とはいうものの、フョードロフについて興味を惹かれるのは、その姿勢もそうなのですが、何よりも彼の特異な思想の方なのですよね。
『フョードロフ伝』と『ロシアの宇宙精神』という本がとりあえずよい導入書になると思われます。関心のある方は是非。ちなみに、フョードロフやツィオルコフスキーを部分的に扱った本なら他にもけっこうあるので、探してみるとおもしろいかも。
人間を構成している原子は、死後分散してしまいますが、それを再び統合すれば人間は復活するというわけです。また、未来の人間、死を克服した人間は、独立栄養体となり、食物を摂取せずともよくなると言います。その生命体は球体となり、ただ太陽光のみがそこを通過する。
このような彼の思想に影響を与えたのがフョードロフであると言われています。ドストエフスキー、トルストイ、フレーブニコフ、プラトーノフらにも影響を及ぼしたとされる「伝説の司書」です。彼はキリスト教と科学の両面から復活事業について真剣に考察し、人間はそれを目指すべきだとしました。祖先を復活させるのです。フョードロフの理念の根本には、「祖先復活」と「自然統御」があると言われますが、それらは死の克服に還元できます。
自然統御というのは、通俗的な理解では、人間が環境を支配するというふうに解釈されがちですが、どうやら自然の法則性を統御するということのようです。自然の法則性とは何かというと、それがまさしく人は死すべきものという法則であり、他者を排斥する傾向であり、殺人を犯す(戦争をする)性質であります。
また、「父」に対し恩を受けている「子」は、それを何らかの形で贖わなければなりません。その恩返しが、祖先の復活事業なのです。祖先を、一人残らず文字通り復活させる。人間を構成している微粒子を再統合すれば、彼は蘇ることができると考えます。しかし復活した祖先たちで地上は溢れてしまうのではないか?だからこそ、人間は地球外へ、宇宙へと飛翔する必要性、否、必然性があるというのです。
フョードロフのこうした思想は、ありのままの現実を受け入れるのではなく、あるべき現実を創造しようという強い意欲と倫理観の表れだと考えることができます。現実とは「こういうものだから」それを受け入れるのではなく、現実とは「こうあらねばならない!」とよりよきものを志向するのです。
仮にフョードロフの思想を全面的に首肯できなくても、こういった激しい意欲や義務感は見習うべきかもしれません。われわれは現実追認に逃げてはいないか?と反省すべきかもしれません。
とはいうものの、フョードロフについて興味を惹かれるのは、その姿勢もそうなのですが、何よりも彼の特異な思想の方なのですよね。
『フョードロフ伝』と『ロシアの宇宙精神』という本がとりあえずよい導入書になると思われます。関心のある方は是非。ちなみに、フョードロフやツィオルコフスキーを部分的に扱った本なら他にもけっこうあるので、探してみるとおもしろいかも。