Aプログラムを見てきました。Bはほぼ全て見ているし、レイトショーなので今回は遠慮することにします。Aだって半分くらいは見ているんだけど、もう一度ハーツフェルトの作品を見たかった。
頭山
スキゼン
愛と剽窃
タッドの巣
ルシア/ルイス
このマンガはお前の脳をダメにする
RGBXYZ
きっとすべて大丈夫
おなたは私の誇り
これがAプログラムの内容。「タッドの巣」と「ルシア/ルイス」は、監督を含めて今回初めてその存在を知りました。前者はちょっと怖くて、後者は超怖い。
さてさて。山村浩二の「頭山」は久々に見ましたが、これほどの傑作だったとは、と驚きました。男が自分の頭にできた池に飛び込んだという落語を基にした話ですが、これはよく考えると、映像化が難しい。自分の頭に池ができる、という事態は奇怪ですが、しかし映像化するにはそれほど困難ではありません。けれども、そこへ自ら飛び込んでしまう、という事態に至っては、奇怪を超えて、言語遊戯であるように思われます。言語遊戯ですから、映像化は不可能ではないのか。ところが、山村浩二はこれをものの見事にアニメーション化してしまう。水面を覗き込む男が無限に現われるループを作り出すことによって、そして水面に夜空の星星を反映させることによって、まことに夢幻的な映像を創出することに成功しています。観客のぼくまでが眩暈し、そのままくらくらしながら水の中へ落ちたことに気が付く。冒頭から、男の目線で描かれた本作は、そのアングルがラストの(落語的に言うならば)「サゲ」(つまり入水)の伏線になっており、構成もよく練られ完璧と言ってもいいほど。同時に、作画の表現もすばらしく、思いっきりアニメートしている。天晴な出来と言っていいでしょうね。
と、こんな調子で書いていったら字数が多くなりすぎるなあ。
「スキゼン」は、ぼくにはそれほどの作品だとは思えなかった。人間関係の距離感や、人間の本質的孤独を露わにした作品、と言うしかないような内容で、あんまりおもしろくない。確かにそういった人間の存在論的孤独をユーモアもて描いた手腕は高く評価されてしかるべきなのでしょうし、その表現の奇抜さも興味深い。でも、なんというか、せっかくの設定のおもしろさを生かし切れていないような気がしたのです。テーマの奴隷になってしまっていて。ぼくは、もっとはっちゃけていいと思った。もっと荒唐無稽にしていいと思った。要するに、大人しすぎる気がしたのです。とはいえ、優れた作品であることは変わりません。
ヒュカーデの「愛と剽窃」は、ネットで見たことがありましたが、大きなスクリーンで見た方が断然いい。迫力が違います。ぼくはこの作品好きだなあ。メタモルフォーゼが好みというのもありますが、それがとても気持ちよくて、印象的な音楽とも相まって、アニメーションの快楽とはこういうものか、と体感させてくれます。
超怖いと書いた「ルシア」及び「ルイス」の二部作は、しかし今回最も印象に残った作品。話されている言語はスペイン語か知ら?もしそうだとすれば、スペイン語を解する人はこの作品を見ない方がいいですよ。たぶん3日間くらい寝られませんね。うなされますよ。呪詛の言葉をえんえんと唱えながら終幕するこの作品、暗い怨念をこれでもかと吐き散らし、ぶつけ、炸裂させる。部屋はみるみるうちに廃墟と化し、土で汚れ、恐怖の顔が壁一面に出現する。どういう物語なのか、というのはよく分からなかったのですが、とにかくルシアとルイスとの間で何事かがあったらしく、それで恨みと恐れとが渦巻いているようです。また特筆すべきは声優の囁き声。これが怖いのですよ。子供の声で、耳元で囁くようにして口をきく彼女/彼は、地獄に誘い込む使いのようで、本当にぞっとする。
「このマンガ・・・」はやはりよい。ビックフォードもまたメタモルフォーゼを思うままに扱いますが、煙のような描線がもくもくと次から次へと新しい形を取る様は、最高に気持ちいい。目の前で物が別の姿に変わる、というのはやっぱり不思議で、一種の視覚トリックであるパラパラアニメを思い出させてくれます。アニメーションの基本原理を説明するのにこのパラパラアニメはよく用いられますが、ある線が違う線と交わり、ほつれ、結びつき、いつの間にか新しい形を作っていることに気が付くのは、一瞬一瞬で世界を新しく見つめることと同等で、これはひょっとするととんでもなく稀有で貴重な体験なのではないかと思うのです。
最後の二作はハーツフェルトの三部作のうちの最初の二つですけれども、これについては既に書いたことがあります。今回見ていて気が付いたのは、ビルは死んだわけじゃないんだなってこと。自分の空想の中で死んだシーンがあっただけで、本当に死んだわけではない。それを勘違いしていました。三作目が完成したら、またまとめて見て、そしたらそのときに改めて感想を書きたいと思います。けれどもこれだけだとそっけなさすぎるから、最後に付け加えておきます、この二作はものすごい傑作だと思う、と。
頭山
スキゼン
愛と剽窃
タッドの巣
ルシア/ルイス
このマンガはお前の脳をダメにする
RGBXYZ
きっとすべて大丈夫
おなたは私の誇り
これがAプログラムの内容。「タッドの巣」と「ルシア/ルイス」は、監督を含めて今回初めてその存在を知りました。前者はちょっと怖くて、後者は超怖い。
さてさて。山村浩二の「頭山」は久々に見ましたが、これほどの傑作だったとは、と驚きました。男が自分の頭にできた池に飛び込んだという落語を基にした話ですが、これはよく考えると、映像化が難しい。自分の頭に池ができる、という事態は奇怪ですが、しかし映像化するにはそれほど困難ではありません。けれども、そこへ自ら飛び込んでしまう、という事態に至っては、奇怪を超えて、言語遊戯であるように思われます。言語遊戯ですから、映像化は不可能ではないのか。ところが、山村浩二はこれをものの見事にアニメーション化してしまう。水面を覗き込む男が無限に現われるループを作り出すことによって、そして水面に夜空の星星を反映させることによって、まことに夢幻的な映像を創出することに成功しています。観客のぼくまでが眩暈し、そのままくらくらしながら水の中へ落ちたことに気が付く。冒頭から、男の目線で描かれた本作は、そのアングルがラストの(落語的に言うならば)「サゲ」(つまり入水)の伏線になっており、構成もよく練られ完璧と言ってもいいほど。同時に、作画の表現もすばらしく、思いっきりアニメートしている。天晴な出来と言っていいでしょうね。
と、こんな調子で書いていったら字数が多くなりすぎるなあ。
「スキゼン」は、ぼくにはそれほどの作品だとは思えなかった。人間関係の距離感や、人間の本質的孤独を露わにした作品、と言うしかないような内容で、あんまりおもしろくない。確かにそういった人間の存在論的孤独をユーモアもて描いた手腕は高く評価されてしかるべきなのでしょうし、その表現の奇抜さも興味深い。でも、なんというか、せっかくの設定のおもしろさを生かし切れていないような気がしたのです。テーマの奴隷になってしまっていて。ぼくは、もっとはっちゃけていいと思った。もっと荒唐無稽にしていいと思った。要するに、大人しすぎる気がしたのです。とはいえ、優れた作品であることは変わりません。
ヒュカーデの「愛と剽窃」は、ネットで見たことがありましたが、大きなスクリーンで見た方が断然いい。迫力が違います。ぼくはこの作品好きだなあ。メタモルフォーゼが好みというのもありますが、それがとても気持ちよくて、印象的な音楽とも相まって、アニメーションの快楽とはこういうものか、と体感させてくれます。
超怖いと書いた「ルシア」及び「ルイス」の二部作は、しかし今回最も印象に残った作品。話されている言語はスペイン語か知ら?もしそうだとすれば、スペイン語を解する人はこの作品を見ない方がいいですよ。たぶん3日間くらい寝られませんね。うなされますよ。呪詛の言葉をえんえんと唱えながら終幕するこの作品、暗い怨念をこれでもかと吐き散らし、ぶつけ、炸裂させる。部屋はみるみるうちに廃墟と化し、土で汚れ、恐怖の顔が壁一面に出現する。どういう物語なのか、というのはよく分からなかったのですが、とにかくルシアとルイスとの間で何事かがあったらしく、それで恨みと恐れとが渦巻いているようです。また特筆すべきは声優の囁き声。これが怖いのですよ。子供の声で、耳元で囁くようにして口をきく彼女/彼は、地獄に誘い込む使いのようで、本当にぞっとする。
「このマンガ・・・」はやはりよい。ビックフォードもまたメタモルフォーゼを思うままに扱いますが、煙のような描線がもくもくと次から次へと新しい形を取る様は、最高に気持ちいい。目の前で物が別の姿に変わる、というのはやっぱり不思議で、一種の視覚トリックであるパラパラアニメを思い出させてくれます。アニメーションの基本原理を説明するのにこのパラパラアニメはよく用いられますが、ある線が違う線と交わり、ほつれ、結びつき、いつの間にか新しい形を作っていることに気が付くのは、一瞬一瞬で世界を新しく見つめることと同等で、これはひょっとするととんでもなく稀有で貴重な体験なのではないかと思うのです。
最後の二作はハーツフェルトの三部作のうちの最初の二つですけれども、これについては既に書いたことがあります。今回見ていて気が付いたのは、ビルは死んだわけじゃないんだなってこと。自分の空想の中で死んだシーンがあっただけで、本当に死んだわけではない。それを勘違いしていました。三作目が完成したら、またまとめて見て、そしたらそのときに改めて感想を書きたいと思います。けれどもこれだけだとそっけなさすぎるから、最後に付け加えておきます、この二作はものすごい傑作だと思う、と。