百のこの随筆は、ロシアの思い出とも重なっています。ぼくはロシアで、この本を読みました。
ロシアでは、外出するでもないしレッスンを受けるわけでもない、という暇な時間が思ったよりもたくさんありまして、生活に慣れてくると次第に退屈するようになりました。ある日、ぼくはちょっとお腹の調子が悪くて家で一日中横になっていたのですが、そのときあんまり退屈で退屈でしようがなかったので、日本から持参した百の本を読むことにしました。
実におもしろい。日本にいるときは、これほどまでじっくりと読書するということがなくなっていたので、そのせいもあって本当に楽しめました。百のこの随筆は、ぼくに読書の楽しさを教えてくれました。
家にいるときは、読むスピードのことだとか自分には時間があまりないことだとか日本語の本を読んでいる暇などないことだとか、そんな様々なことが気になって、碌に読書に集中することができないでいました。読み始めたらとにかく早く読み終えることを目標として、内容なんて頭に入っていなくてもどんどん先に進んでいました。でも、これでは読書の楽しさなんて味わえるはずがなかった。実際、ぼくにとって読書は既に苦痛以外の何物でもなくなっていました。
ところが、早く読むことがむしろ損になるような状況、暇を持て余していてなるべくゆっくりと本を読み進めたいような状況においては、ぼくの読書スタイルは一変しました。一言一句を見逃さないように、何度も言葉を反芻して、味読する。そしてそのような要求に見事にこたえてくれたのが、百の随筆でした。いやあ、ちょっと昔の日本語の表現っていうのは、なんとすばらしいのでしょうか。読んだとしても無味乾燥な論文だったり、最近の翻訳だったり、としばらくの間は現代日本語にしか接していなかった人間にとっては、久しぶりに読んだこの昭和初期に刊行された随筆ないし小説は、本当に新鮮で、瑞々しく、滋味深く、雄渾であり且つ飄々とし、けれども風格があり、語彙が豊富で、絢爛たる言葉の大伽藍でありました。絶賛ですよ、そうです、絶賛です。しかも、内容がめちゃくちゃおもしろい!借金話のくだりや森田草平とのやりとりなど、声を出して笑いたいくらい。
後半はちょっとユーモアが薄まった感があり、ぼくは前半(ちょうど真ん中くらいまで)の方が好きです。昔から彼の短編に惹かれていましたが、もはやぼくは格別な思いで百を見ることになるでしょう。読書の楽しさを文字通り思い出させてくれた作家として。そしてそれが百でよかったとぼくは思うのです。
それにしても、日本でも同じように読書を楽しめるかなあ。
ロシアでは、外出するでもないしレッスンを受けるわけでもない、という暇な時間が思ったよりもたくさんありまして、生活に慣れてくると次第に退屈するようになりました。ある日、ぼくはちょっとお腹の調子が悪くて家で一日中横になっていたのですが、そのときあんまり退屈で退屈でしようがなかったので、日本から持参した百の本を読むことにしました。
実におもしろい。日本にいるときは、これほどまでじっくりと読書するということがなくなっていたので、そのせいもあって本当に楽しめました。百のこの随筆は、ぼくに読書の楽しさを教えてくれました。
家にいるときは、読むスピードのことだとか自分には時間があまりないことだとか日本語の本を読んでいる暇などないことだとか、そんな様々なことが気になって、碌に読書に集中することができないでいました。読み始めたらとにかく早く読み終えることを目標として、内容なんて頭に入っていなくてもどんどん先に進んでいました。でも、これでは読書の楽しさなんて味わえるはずがなかった。実際、ぼくにとって読書は既に苦痛以外の何物でもなくなっていました。
ところが、早く読むことがむしろ損になるような状況、暇を持て余していてなるべくゆっくりと本を読み進めたいような状況においては、ぼくの読書スタイルは一変しました。一言一句を見逃さないように、何度も言葉を反芻して、味読する。そしてそのような要求に見事にこたえてくれたのが、百の随筆でした。いやあ、ちょっと昔の日本語の表現っていうのは、なんとすばらしいのでしょうか。読んだとしても無味乾燥な論文だったり、最近の翻訳だったり、としばらくの間は現代日本語にしか接していなかった人間にとっては、久しぶりに読んだこの昭和初期に刊行された随筆ないし小説は、本当に新鮮で、瑞々しく、滋味深く、雄渾であり且つ飄々とし、けれども風格があり、語彙が豊富で、絢爛たる言葉の大伽藍でありました。絶賛ですよ、そうです、絶賛です。しかも、内容がめちゃくちゃおもしろい!借金話のくだりや森田草平とのやりとりなど、声を出して笑いたいくらい。
後半はちょっとユーモアが薄まった感があり、ぼくは前半(ちょうど真ん中くらいまで)の方が好きです。昔から彼の短編に惹かれていましたが、もはやぼくは格別な思いで百を見ることになるでしょう。読書の楽しさを文字通り思い出させてくれた作家として。そしてそれが百でよかったとぼくは思うのです。
それにしても、日本でも同じように読書を楽しめるかなあ。