Light in June

文学やアニメ、毎日の生活についての日記。

松本清張『点と線』

2008-12-25 00:10:43 | 文学
探偵小説はめっきり読まなくなってしまいました。小学生の頃は、あの怪人二十面相シリーズを愛読していて、全46巻を読破したのですが。中学に上がってからは読まなくなり、今に至ります。ただ、小学生の頃は探偵小説は好きだったので、たぶん潜在的にはこういうのが性に合っているのかもしれません。

『点と線』を手に取ったのは全くの偶然で、図書館でぶらぶらと適当に文庫コーナーを眺めていたら松本清張の本が目に入って、そういえばこの人の小説は一冊も読んだことがないな、と思ったことに由来します。一番有名な『点と線』くらいは読んでおこうと決めて、アーサー・クラークの『幼年期の終り』と一緒に借りました。SFにしろ探偵小説にしろ、(最近の)ぼくには縁のなかったものばかりですが、まあ好奇心ですね。

『点と線』、おもしろかったです。会話も多くて読みやすいですし。適宜挟まれる人物の描写も簡潔にして的確。映像の喚起力が強いですね。まるで刑事ドラマを観ているようでした。ただ、幾つか欠陥というか、論理の弱いところもありました。それは、第一に、文庫の「解説」で平野謙も指摘している箇所なのですが、ホームで列車を見通せる4分間に目撃者がそこに到着するのはよしとしても、肝心の目撃される側がその時間にぴったりホームを歩いているというようなことがありえるのか、という点。犯人が色々と工作したのかもしれませんが、説明がなかったので疑問が残ります。ここは読んでいる最中ずっと気になっていたのですが、解説で指摘されているところを見ると、やはり皆同じように感じるのですね。

そして第二に、お時の行動心理。彼女は何のために列車に乗ったのか、ということです。彼女も殺人計画の片棒を担いでいたのか、それとも単純に旅行しようと誘われたのか。後者だとかなり奇妙な旅行になるので疑問が湧いてくるはずだからちょっと考えにくいですし、だからと言って前者だとすれば彼女も悪者になってしまい、またそうならばしかるべき説明が作者から施されてもいいように思えます。結局のところ、理由が分からないのです。

更に第三に、都合のよい出来事が起きすぎていること。刑事がその出来事からヒントを得て推理し問題を解決するのですが、そんなに丁度よく起きるものでしょうか。かなり作為的なものが感じられます。作者の手が目に見えすぎています。

これらが探偵小説としての欠陥に思えました。それと、これは仕方のないことですが、この小説のトリックは現代日本では通用しません。ただそれは残念と言うより、時代を感じさせてかえっていいかもしれません。見せかけの情死という発想も盲点を突いていて、おもしろいですね。時代といえば、五右衛門風呂が出てきたり、改札で駅員が切符を切っていたり、父親の物言いが高圧的で口数が少なかったりと、昭和33年に刊行された小説らしく、懐かしさを覚えました。ぼくはその時代に生まれていませんけれども、なんとなく「昭和」という感じがして、和みますね。

それと、列車がきっかり時刻表どおりに駅に入ってくることを前提としているこの小説は、極めて日本的と言えますね。ただ、いくら日本でも4分くらいの誤差はかなりあるので、ちょっと厳密すぎるかな、という気がしますが。