予想に反し、驚くほどつまらない短編集。
掉尾を飾る表題作「知られざる傑作」がようやく読み応えのある作品ですが、それを除けば、どうしてこんなものが書かれなければならなかったのか理解に苦しむ小説ばかり。こんなことを言うとバルザックファンから怒られてしまいそうですが、一般の短編小説にしばしば見られるプロットの妙もないしオチも弱い。「ざくろ屋敷」に至ってはそのオチすら全然ない。別にオチがあればいいとか、プロットに捻りが効いていればいいとかいうのではないですが、もしそれらがないなら他のところで勝負して欲しいのに、何も目立ったものがない。最初は延々とざくろ屋敷の描写に費やされ、ここは退屈極まりない。屋敷の構造や周囲の自然の有様を事細かに説明してみせるばかりで、類稀な比喩があるわけでも、耳目を引くエピソードが語られるわけでもなく、どこかの教室で無味乾燥な棒読みをひたすら聞かされている気分になります。
中盤から話が進展しますが、それもただ若い母親が亡くなって、子供を残す哀れとその子供の成長が淡々と描写されるのみで、何も目新しいものはありません。ストーリーが単調なのはまあいいとしても、胸に迫るような描写がないのが残念でなりません。
短編小説らしくプロットに捻りを効かせている「恐怖時代の一挿話」は、この短編集の中ではましな方ですが、最後の驚きに至るまでの過程が長すぎる。ページ的には短いのですが、最後の驚きを生かせるような伏線にもっと気を配るべきなのに、別のところにページが余計に割かれているような気がします。バルザックに小説の結構を説くほどぼくは身の程知らずではないつもりですが(仏陀に教えを説くというやつですね)、どうもバランスが悪いように思えます。また、最初の訳注で結末の種明かしを既にしてしまっているのは、いかがなものでしょうか。概してこの本(岩波文庫)の訳注は少し詳しすぎるようで、普通の読者にとってはほとんどが不要なものでしょう。
「ことづけ」は一見ユーモア短編のようで、特に最初と最後はそうなのだが、中盤は緊張感があり、小説のトーンが一様ではなくはっきりしない。何より、「ああ、死んじゃいやよ、あなたは!」という結びの文句に収束するような物語になっていない。死んだ男のことづけを頼まれた「私」がそれを婦人に知らせるという話で、もちろんこれを聞けば「死んじゃいやよ、あなたは!」という読者の叫びになるのだろうが、しかしこんなありふれた話がなぜわざわざ語られなければならないのか?軽妙に語られていればユーモア短編として楽しめるが、そうもなっていない。もし「死んじゃいやよ、あなたは!」で終わらせたいのなら、こういうありふれた物語ではなく、意外な、驚きをもって迎えられる話でなければ意味がないはずだ。
「沙漠の情熱」もその意味で「ことづけ」と似ている。これは、獣を調教する見世物について、獣があれだけ調教師になつくのには秘密がある、という打ち明け話が小説のベースになる。ところが、小説を読んでゆくと、そこには何の秘密もありはしないことが分かる。ただ、要するに両者(獣と人間)が理解し合えば調教も可能だ、ということなのだ。まるで肩透かしを食ったようになり、そしてこの気持ちが結局最後まで続くことになる。最後というのはこの小説の最後ではなく、この短編集の最後、「知られざる傑作」までのことだ。「沙漠の情熱」は巻頭に置かれている。
「知られざる傑作」はなかなか優れている。「芸術の使命は自然を模写することではない、自然を表現することだ」という信念を持っている画家フレンホーフェルの物語で、彼は絵画というものはただ対象を模倣するのではなく、そこに生命力も付与しなければならないと考えている。その信念の下、彼は一枚の女性の絵を描いているのだが、それは他人の目から見れば凡そ女性の姿をしていなかった、という話。結局、理想を達成できなかったことが分かった画家は、自殺してしまう。芸術を自然の模倣という呪縛から解き放とうとしているところは、ミメーシス論を念頭に置くと、その重大さが分かる。結局、その試みは小説では失敗に終わったわけだが、現実世界では、「模倣」というくびきから芸術とミメーシスを解放することができた。芸術が単なる自然の模倣ではないことはもはや誰の目にも明らかだろう。しかし、20世紀の芸術が果たしてバルザック(フレンホーフェル)の想定した芸術かというと、そうではないかもしれない。そこには「生命の過剰」が現れていなくてはならないからだ。
ところで、フレンホーフェルの絵が果たして失敗作だったかどうかは、判断が分かれるところかもしれない。それは別の画家から見ればなんでもないものだったが、よく目を凝らせば確かに女性の足、生きている足を見出すことができた。結局、フレンホーフェル本人によって、「なんにもない」とみなされてしまうのだが、しかしそれは確実に芸術の神秘に迫った絵ではなかったか。
とまあ、こんなふうに色々なことを考えさせられてしまう、滋味深い作品だ。
掉尾を飾る表題作「知られざる傑作」がようやく読み応えのある作品ですが、それを除けば、どうしてこんなものが書かれなければならなかったのか理解に苦しむ小説ばかり。こんなことを言うとバルザックファンから怒られてしまいそうですが、一般の短編小説にしばしば見られるプロットの妙もないしオチも弱い。「ざくろ屋敷」に至ってはそのオチすら全然ない。別にオチがあればいいとか、プロットに捻りが効いていればいいとかいうのではないですが、もしそれらがないなら他のところで勝負して欲しいのに、何も目立ったものがない。最初は延々とざくろ屋敷の描写に費やされ、ここは退屈極まりない。屋敷の構造や周囲の自然の有様を事細かに説明してみせるばかりで、類稀な比喩があるわけでも、耳目を引くエピソードが語られるわけでもなく、どこかの教室で無味乾燥な棒読みをひたすら聞かされている気分になります。
中盤から話が進展しますが、それもただ若い母親が亡くなって、子供を残す哀れとその子供の成長が淡々と描写されるのみで、何も目新しいものはありません。ストーリーが単調なのはまあいいとしても、胸に迫るような描写がないのが残念でなりません。
短編小説らしくプロットに捻りを効かせている「恐怖時代の一挿話」は、この短編集の中ではましな方ですが、最後の驚きに至るまでの過程が長すぎる。ページ的には短いのですが、最後の驚きを生かせるような伏線にもっと気を配るべきなのに、別のところにページが余計に割かれているような気がします。バルザックに小説の結構を説くほどぼくは身の程知らずではないつもりですが(仏陀に教えを説くというやつですね)、どうもバランスが悪いように思えます。また、最初の訳注で結末の種明かしを既にしてしまっているのは、いかがなものでしょうか。概してこの本(岩波文庫)の訳注は少し詳しすぎるようで、普通の読者にとってはほとんどが不要なものでしょう。
「ことづけ」は一見ユーモア短編のようで、特に最初と最後はそうなのだが、中盤は緊張感があり、小説のトーンが一様ではなくはっきりしない。何より、「ああ、死んじゃいやよ、あなたは!」という結びの文句に収束するような物語になっていない。死んだ男のことづけを頼まれた「私」がそれを婦人に知らせるという話で、もちろんこれを聞けば「死んじゃいやよ、あなたは!」という読者の叫びになるのだろうが、しかしこんなありふれた話がなぜわざわざ語られなければならないのか?軽妙に語られていればユーモア短編として楽しめるが、そうもなっていない。もし「死んじゃいやよ、あなたは!」で終わらせたいのなら、こういうありふれた物語ではなく、意外な、驚きをもって迎えられる話でなければ意味がないはずだ。
「沙漠の情熱」もその意味で「ことづけ」と似ている。これは、獣を調教する見世物について、獣があれだけ調教師になつくのには秘密がある、という打ち明け話が小説のベースになる。ところが、小説を読んでゆくと、そこには何の秘密もありはしないことが分かる。ただ、要するに両者(獣と人間)が理解し合えば調教も可能だ、ということなのだ。まるで肩透かしを食ったようになり、そしてこの気持ちが結局最後まで続くことになる。最後というのはこの小説の最後ではなく、この短編集の最後、「知られざる傑作」までのことだ。「沙漠の情熱」は巻頭に置かれている。
「知られざる傑作」はなかなか優れている。「芸術の使命は自然を模写することではない、自然を表現することだ」という信念を持っている画家フレンホーフェルの物語で、彼は絵画というものはただ対象を模倣するのではなく、そこに生命力も付与しなければならないと考えている。その信念の下、彼は一枚の女性の絵を描いているのだが、それは他人の目から見れば凡そ女性の姿をしていなかった、という話。結局、理想を達成できなかったことが分かった画家は、自殺してしまう。芸術を自然の模倣という呪縛から解き放とうとしているところは、ミメーシス論を念頭に置くと、その重大さが分かる。結局、その試みは小説では失敗に終わったわけだが、現実世界では、「模倣」というくびきから芸術とミメーシスを解放することができた。芸術が単なる自然の模倣ではないことはもはや誰の目にも明らかだろう。しかし、20世紀の芸術が果たしてバルザック(フレンホーフェル)の想定した芸術かというと、そうではないかもしれない。そこには「生命の過剰」が現れていなくてはならないからだ。
ところで、フレンホーフェルの絵が果たして失敗作だったかどうかは、判断が分かれるところかもしれない。それは別の画家から見ればなんでもないものだったが、よく目を凝らせば確かに女性の足、生きている足を見出すことができた。結局、フレンホーフェル本人によって、「なんにもない」とみなされてしまうのだが、しかしそれは確実に芸術の神秘に迫った絵ではなかったか。
とまあ、こんなふうに色々なことを考えさせられてしまう、滋味深い作品だ。