Light in June

文学やアニメ、毎日の生活についての日記。

Snow White 白雪姫

2008-12-18 23:14:12 | アニメーション
記念すべきディズニー長編第一作にして、世界アニメーション史上カラー長編第一作。ちなみに長編アニメーション第一作は1926年の『アクメッド王子の冒険』(ロッテ・ライニガー監督)。『白雪姫』は1937年です。カラーで且つ長編のアニメーションとしては『白雪姫』世界初だったということです。よく『白雪姫』は世界初の長編アニメーションだと勘違いをしている人がいるので、お間違えのなきよう。

ご存知『白雪姫』のストーリー。
白雪様がそのあまりの美しさゆえに継母である女王の嫉妬を買い、毒リンゴで眠らされてしまうが、やがて王子様のキスで目を覚まし、王子様といつまでもいつまでも幸せに暮らしましたとさ、というお話。

こんな単純な話で80分強ももたせます。映画の主な舞台となるのはドワーフの家。白雪姫が女王の魔手から逃れ、森の中で動物たちに案内されて見つけたのが7人のドワーフたちの家です。その家はものすごく汚れていて、蜘蛛の巣、ほこり、ほったらかしの食器、と今まで誰も片付けたことがないかのようなところなのですが、白雪姫はこの家にはお母さんがいなくて、子供たちばかりが暮らしているのだと思い込んで、勝手に掃除を始めます。家が小さかったので、子供たちが住んでいるのだと思ったわけですね。リスや亀や小鳥などと一緒に部屋をきれいに掃除するのですが、この描写が異常に長い。

やがてドワーフたちが仕事から引き上げてきます。あの有名な歌「ハイ・ホー」を歌いながら。♪ハイ・ホー、ハイ・ホー、仕事が好き…。彼らは部屋がきれいに片付いているのに仰天し、怪物が二階で寝ているのだと思い込みます。わざわざ人の家をきれいにする怪物なんて、おかしいですけどね。それはそうと、二階で眠っている白雪姫を見つけて、すっかり仲良くなってしまうドワーフたちと白雪姫。白雪姫はドワーフたちに食事を作ってやり、食べる前に手を洗いなさいと言いつけるのだが、今まで手なんて洗ったことのないドワーフたちは反対して、でも結局洗うことになり、そして食後は歌とダンス。この過程がもうドンちゃん騒ぎで、やっぱり異常に描写が長い。

女王が老女に変身して白雪姫に毒リンゴを食べさせてからは、あれよあれよという間に話は進みます。仕事に出かけたドワーフたちは、危険を察知した動物たちに家へ引き戻されます。老女が白雪姫に毒リンゴを勧めるシーンと動物の背に乗ったドワーフたちが家に急ぐシーンとが交互に挿入され、緊迫感を高めます。老女は仕事を済ませた後、家の前でドワーフたちに見つかり、崖の上まで追いつめられ、落雷のショックでそこから転落します。眠り続ける白雪姫をドワーフたちはガラスの棺に納めて時が過ぎてゆく…というナレーション。やがて王子がやってきて、白雪姫は目覚めます。再びナレーションが入り、終幕。いつまでも幸せに暮らしましたとさ。

どう考えても、物語の進行の時間配分がアンバランス。たぶん普通の作劇法であれば、ドワーフの家での描写(掃除をしたり手を洗ったり)はもっともっと削減されるはずです。変わりに重きを置かれるのは王子の描写。白雪姫が眠りについた後、主役の座をいったん王子に譲り、彼にカメラを合わせるはずです。彼が白雪姫に恋焦がれていること、白雪姫が眠りについているとの情報を知るところ、それから白雪姫の元へ馳せ参じるまでの旅、そうしたくさぐさを描写するはずです。しかし、それがない。その理由の一つはたぶん王子のアニメートが困難だったからでしょう。特典映像で語られていましたが、男性のアニメートの困難さゆえに王子パートはかなり削られたそうです。白雪姫が眠りについた後の「王子編」が存在しないのは、そういった事情があったからかもしれません。

現在の商業映画で見られるようなハイ・テンポなストーリ展開は『白雪姫』にはありません。だから今の観客は飽きてしまう可能性もあります。それに、どうせ誰でもよく知っている話です。では、どこを楽しむべきか。恐らく、白雪姫とドワーフのアニメーション表現です。分かりやすく言えば、「動きのおもしろさ」です。本当に奔放な動きをする、少し滑稽なドワーフたちと、滑らかで優雅な白雪姫。そのアニメーションは、いま見ても古びていないどころか、アニメーターの目標足りえています。すごいですね。

ところで、この映画にはのろまな愛すべき亀が登場しますが、これは手塚治虫の漫画に登場するやつとそっくりです。ディズニーファンだった手塚治虫はここから採ったのですね。彼の未完のアニメーション『森の伝説』などを観るとその影響は明らかですが。

1937年にこれほどの技術があったというのは正直驚きです。その頃の日本のアニメーションなんて、ほんとにつまらないものが多かったですからね。観るのにはかなりの忍耐を要しましたよ。かつて、確かにディズニーは偉大だったのでしょう。完全に群を抜いており、圧倒的ですね、これは。

特に感心した点。
1、鏡の主(?)の表情。炎がめらめらと鏡の中で燃え上がり、緑色の不気味な仮面のような顔が現れて、真実を告げる。あのゆらめき、CGがないのにすごい。
2、井戸の底から白雪姫を撮るカット。意表をつくカットですね。それに溜まった水の表現が秀逸で、水溜りなどもそうなのですが、じんわりとやはりゆらめいている。ああいうのは特殊な撮影技法で出せるのかな?専門家の解説を聞きたいところ。

タブッキ『インド夜想曲』

2008-12-18 00:00:00 | 文学
『動物農場』と『私のなかのチェーホフ』の間に読んだ本だから、アップする時間が前後してしまいましたが、やっとここに。タブッキの『インド夜想曲』です。

何年も前から読んでみようと思っていた本で、楽しみにしていたのですが、しかし結果はそれほどおもしろくなかったです。「僕」が失踪した友人を探してインドを旅して回る、というのが本筋で、各章ごとに色々なエピソードが語られるという構成が原則なのですが、魅力的なエピソードもあれば単なる状況描写の域を出ないようなエピソードもあり、連作短編集になり切れない長編、長編になり切れない連作短編集、のような曖昧な印象が残ります。もう少し強烈でどぎつい、もしくは儚げで切ないエピソードを連発すれば、読後感も違ったものになったことでしょう。

さて、その読後感ですが、この小説は最後に大どんでん返しが待っており、狐につままれたような気分になる人がたくさんいるはず。しかし、これに似たオチはボルヘス『伝奇集』の中の一編「刀の形」で既知のものであり(ぼくの場合はごく最近知ったのですが)、目新しさは感じませんでした。で、悪いことに、そればかりか、こういうからくりを使いたいのならこれほど話を長くしないで、ボルヘスのように短編の形で表現すればいいじゃないか、とすら思ってしまったのでした。オチに斬新さがなくても物語中のエピソードの豊かさで勝負ができていればこうは思わなかったでしょうが、先ほど述べたようにエピソードの力が弱いので、オチてなんぼ、という小説に感じられ、それだったら短編でいいよね、と思ってしまったわけです。

『インド夜想曲』は決して長い小説ではありませんが、さりとて短編の枠にも収まりません。短編の魅力を掴み損ねた、かといって長編の魅力も薄い、なんともアンバランスな小説になっているような気がします。

ここではちょっと酷評しているようですが、タブッキの評価は国際的にとても高いものと認識しています。また、『インド夜想曲』が他の多くの小説に比べて劣っているとも考えていません。ただ、ぼくにはそんなにおもしろくない小説だったということに過ぎません。今度、彼の別の小説にもチャレンジしてみるつもりです。それでぼくのタブッキへの評価が定まる…そんな気がします。