Light in June

文学やアニメ、毎日の生活についての日記。

レーモン・クノー『地下鉄のザジ』

2008-12-20 00:54:49 | 文学
きのう0時過ぎにブログを更新したはずなのに、表示がどういうわけか1時間ずれて、23時台になっている。それともこっちの勘違い?う~む…

さて、レーモン・クノー『地下鉄のザジ』を読みました。しかし、なんとも感想を書きにくい小説です。レーモン・クノーは『文体練習』で有名なあのレーモン・クノーその人であり、ヌーヴォー・ロマンの代表的存在。ヌーヴォー・ロマンというと、言語実験に終始した筋がないつまらない小説、といった印象がありますが、「ザジ」はいちおう筋があります。それにほとんどが会話文なので、すらすらと読むことができます。翻訳からでは言語実験の実体を明確に知ることはできませんが、定評ある生田耕作訳によって、俗語の言い回しと高雅な文体のないまぜが際立ち、また表現そのもののおもしろさも現れてきています。いつも「けつ喰らえ」を付け足すザジや、いつも「おしとやかに言う」マルスリーヌなどの例は、言葉によるその発話者の性格の形成を意味しているのと同時に、反復による言葉自体の魅力をも表現しているでしょう。「おしとやかに」しかものを言わないマルスリーヌは「おしとやか」以外の性格を剥ぎ取られ、類型的/漫画的な人物に固定されていますが、最後の最後にそのアイデンティティが揺さぶられます。これはまさに言葉によって構築された堅牢な建物(人格)を、言葉によって突き崩す行為だと言えます。最後、マルスリーヌの口調によって、読者は彼女の正体を察するわけです。

取るに足らないような出来事を会話の応酬で描写してゆく前半に対し、後半は得体の知れない人物がついにヴェールを脱ぎ、登場人物たちを混乱に陥れます。終盤には大乱闘もあり、前半に比べて読者を惹き付ける展開になっています。

鳥と人間とがチェンジする純粋な言語遊戯(急にオウムだかインコだかが人間の言葉を話し、人間がその鳥の口癖を言う)などは楽しめますが(ハルムス的ですね)、総じて判断するならば、それほどおもしろい小説ではなかったです。フランスでは刊行当初、ベストセラーになったそうですが、ちょっと信じられません。読み易いことは確かですが、途中で何度も退屈しました、ぼくは。少女ザジの奔放でほとんど破廉恥な言葉使いが爽快感を生むと評判になったようですが、今ではそんなに目新しくはないですからね。こういう、「子供が大人に反発する」式の小説は、よっぽどのことでなければすぐに古びてしまうということでしょうか。『ライ麦畑でつかまえて』などは永遠の青春の書のように謳われていますが、ぼくにはギャップがありましたし。読んだ時期が悪かっただけかもしれませんけどね。