東京書籍『新しい算数3下』P.3の挿絵を示す。
木村重夫氏は『向山型算数教え方教室』2007年4月号で次のように書いている。
私の指示はこうだ。
A「魚の数を数えましょう」
違う言い方もあった。(B)
B「魚は何びきいるのかな」
どちらも同じか,違う。どちらがよいか。
Aは,「やること」を明示した指示だ。
Bは,「たくさんいる魚の数」を問うている。子どもにとって自然な問いはどちらだろう。後者だ。
これを参考にすると,指示は「入場券の数を数えます」ではない。次のようになる。
「入場券は何枚あるのでしょうか。教科書に数字を書いてもいい。図を書いてもいい。『何枚』と書いて持ってきなさい」
ここは算数的活動の場面である。
「1000の束を10個,丸で囲みなさい」
というような指示からいきなり入るのは,逐一指導にはならないだろうか。
2004年9月号で向山氏は次のように言う。
子どもは混乱していいんだ。混乱するのも大切な学習なのだ。
いつも,いつも温室で育ててはいけない。
ここで子供たちが混乱しそうなのは何か。1000の束である。
100の束が1つ,10の束が5つ,ばらが3枚で混乱する子はいない。
1000の束が24ある。これをどう数えればいいのかで混乱するのである。
もちろん初めから10ずつ囲んで24153解正解を出す子もいるだろう。
しかし,114153などと答える子,全く分からないという子も出てくる
混乱するからこそ学び甲斐がある。
分からなかったことが分かるようになったからこそ,向上的変容を実感できる。
一通り活動させた後で,
「1000の束を10個,丸で囲みなさい」
と指示する。
教師も一緒に板書して示すことで,配慮の必要な子への視覚支援になる。
「1000の束が10個でいくつですか」
既習事項であるから「一万」と答えられる。
「絵の下に『一万』と書きなさい」
「一万」が2つできる。
「一万と一万でいくつですか」
二万であることが理解できる。
木村重夫氏は『向山型算数教え方教室』2007年4月号で次のように書いている。
私の指示はこうだ。
A「魚の数を数えましょう」
違う言い方もあった。(B)
B「魚は何びきいるのかな」
どちらも同じか,違う。どちらがよいか。
Aは,「やること」を明示した指示だ。
Bは,「たくさんいる魚の数」を問うている。子どもにとって自然な問いはどちらだろう。後者だ。
これを参考にすると,指示は「入場券の数を数えます」ではない。次のようになる。
「入場券は何枚あるのでしょうか。教科書に数字を書いてもいい。図を書いてもいい。『何枚』と書いて持ってきなさい」
ここは算数的活動の場面である。
「1000の束を10個,丸で囲みなさい」
というような指示からいきなり入るのは,逐一指導にはならないだろうか。
2004年9月号で向山氏は次のように言う。
子どもは混乱していいんだ。混乱するのも大切な学習なのだ。
いつも,いつも温室で育ててはいけない。
ここで子供たちが混乱しそうなのは何か。1000の束である。
100の束が1つ,10の束が5つ,ばらが3枚で混乱する子はいない。
1000の束が24ある。これをどう数えればいいのかで混乱するのである。
もちろん初めから10ずつ囲んで24153解正解を出す子もいるだろう。
しかし,114153などと答える子,全く分からないという子も出てくる
混乱するからこそ学び甲斐がある。
分からなかったことが分かるようになったからこそ,向上的変容を実感できる。
一通り活動させた後で,
「1000の束を10個,丸で囲みなさい」
と指示する。
教師も一緒に板書して示すことで,配慮の必要な子への視覚支援になる。
「1000の束が10個でいくつですか」
既習事項であるから「一万」と答えられる。
「絵の下に『一万』と書きなさい」
「一万」が2つできる。
「一万と一万でいくつですか」
二万であることが理解できる。