一身二生 「65年の人生と、これからの20年の人生をべつの形で生きてみたい。」

「一身にして二生を経るが如く、一人にして両身あるが如し」

沖縄戦集団自決

2018年10月24日 | 社会

沖縄戦の集団自決について、岩波書店発行の書物『沖縄ノート』(著者:大江健三郎 発行:1970年)、『太平洋戦争』(著者:家永三郎 発行:1968年 文庫本として2002年に発行)及び『沖縄問題二十年』(著者:中野好夫、新崎盛暉 発行:1965年)で書いた内容が、当時の座間味島での日本軍指揮官梅澤裕(うめざわゆたか)および渡嘉敷島での指揮官赤松嘉次(あかまつよしつぐ)が住民に自決を強いたと記述し名誉を傷つけたとして、梅澤裕および赤松秀一(赤松の弟)が、名誉毀損による損害賠償、出版差し止め、謝罪広告の掲載を求めて訴訟を起こした。

2005年8月大阪地方裁判所に提訴され、2008年3月28日に第一審判決となった。判決では、「自決命令それ自体まで認定することには躊躇を禁じ得ない 」とする一方、「大江の記述には合理的な根拠があり、本件各書籍の発行時に大江健三郎等は(命令をしたことを)真実と信じる相当の理由があったと言える」として、名誉棄損の成立を否定し、原告の請求を棄却した。原告側は判決を不服として控訴したが、大阪高裁も2008年10月31日に地裁判決を支持して控訴を棄却し、原告側はただちに最高裁に上告した。

2011年4月21日、最高裁第一小法廷は上告を棄却。原告側の主張は却下された。


作家の大江健三郎氏と岩波書店を被告として、2011年4月まで、5年にわたって争われた裁判の記録。なぜ、誰によって提訴は行われたか。争点は何だったか。大江氏・岩波を勝訴とした地裁・高裁・最高裁判決の意義は何か。弁護団による詳細な裁判報告とともに、大江氏自身の論考、表現の自由をめぐる論考、沖縄現地の支援の動きなどをまとめる。
内容
二〇〇五年夏、突然始まったこの裁判は、二〇一一年春、被告である大江健三郎氏と岩波書店の勝訴で幕を閉じた。裁判は、住民に「自決を命じていない」と主張する座間味島の元戦隊長らを原告とする名誉毀損の民事訴訟だが、その実際は、沖縄戦における住民の集団死を「殉国」美談とするか否かをめぐる争いであった。本書は、その裁判記録であるとともに、歴史修正主義に対する闘いの記録でもある。