一身二生 「65年の人生と、これからの20年の人生をべつの形で生きてみたい。」

「一身にして二生を経るが如く、一人にして両身あるが如し」

河野千鶴子(1946年-2013年5月23日)

2013年07月28日 | 登山家

河野千鶴子(1946年-2013年5月23日)は日本登山家七大陸最高峰8000メートル峰5座に登頂した。日本勤労者山岳連盟理事も務めた。2013年5月23日ダウラギリで遭難死した。

Kouno
残された手記には、病院で管理職として働き、家庭では妻、3人の子どもを育てる母親から、山で解放された心境が綴られていた。男尊女卑の気風の鹿児島で育ち、生きにくさを感じながら、自分を模索していたところ、旅行で行った尾瀬から始まり、岩登り、雪山、ネパールの海外登山と、努力が男女平等に報われる世界に魅せられてのめり込んでいった。山岳会で体力を不安視されアタックから外されたのを機に、単独で登るスタイルに切り替えた。

感想
ヒマラヤの美しい映像を見たかったが、下界での生き方がメインだった。
山に求めるものは、人それぞれだが、河野さんの場合は女性の解放が動機だった。山に急激にのめり込む裏側に、それまでの人生の鬱屈があったかと思うとやるせないものを感じる。
50代女性で少人数スタイルでも8000mも7サミットも行けたのは、登りやすい環境になっているのも背景にあるのだろう。1996年のエベレスト大量遭難を描いたジョン・クラカワーの「空へ」に、「ピート・ショーニング(1953年のK2遠征の"The Belay"、ガッシャブルムIと南極ヴィンソン・マッシーフ初登頂で有名)のようなクライマーをメジャーリーグのスター選手に例えれば、わたしの仲間の顧客たちは、わたしも含めて全員、小さいけれど礼儀正しい町のソフトボール選手の寄せ集めみたいなもので、それが賄賂でワールド・シリーズにのこのこ出かけてきたようなものだ。(文庫版p.144)」とあったのを思い出す。