一身二生 「65年の人生と、これからの20年の人生をべつの形で生きてみたい。」

「一身にして二生を経るが如く、一人にして両身あるが如し」

新宿西口ホームレス

2017年04月11日 | 社会
新宿ダンボール村の火災とその後の経緯

 

'98年2月7日、早朝。新宿駅西口地下ダンボール村で火災があり、3人の方が亡くなり2人の方が重体で入院しました。(その後、重体だった1名も亡くなりました。)

 

物資倉庫だった「新宿の左目」前にロープを張る警官 ダンボール村に張りめぐらされたロープ

現場検証と復旧工事のため、新宿ダンボール村がある新宿駅西口地下インフォメーションセンター前はロープが貼られ立入禁止になりました。(写真は7日午前中、物資倉庫だった「新宿の左目」前にロープを張る警官と張りめぐらされたロープ)

張り巡らされたフェンス 祭壇

ロープが貼られた立入禁止区域はなぜか広がり、夕方にはロープがフェンスに変わり、インフォメーションセンターを囲む形で完全に閉鎖されました。

インフォメーションセンター前はダンボールハウスの住人と支援者との共同団体「新宿連絡会」が毎週日曜日の夜に炊き出しを行うなど、ダンボールハウスの住人が生き延びるための拠点としていた所です。

火災が及ばなかったところまで完全に囲ってしまうのは、「追い出し」ではないでしょうか?
フェンスの中では、焼失しなかったダンボールハウスも解体され、中身を調べられていました。
(写真は8日昼過ぎに撮影。張り巡らされたフェンスと新宿連絡会によって設置された亡くなった方を追悼する祭壇。その後フェンス内にはブルーシートの目かくしが張りめぐらされ、その中で何が行われているのかが見えなくされました。)

その後、新宿連絡会は行政と交渉の結果、14日に新宿駅西口地下から「自主退去」しました。今回の交渉の結果、東京都・新宿区と4月からの新宿区内複数箇所の「自立支援センター」設立に合意しました。

現在でも、中央公園に場所を移しての炊き出し、パトロール、福祉講堂、「なぎさ寮」などの施設の仲間との面会・交流行動を行っています。