一身二生 「65年の人生と、これからの20年の人生をべつの形で生きてみたい。」

「一身にして二生を経るが如く、一人にして両身あるが如し」

横田めぐみ 1977.11.15

2017年12月10日 | 社会
(1) 拉致された13歳の少女 横田めぐみさん(前編)

今から30年以上前の昭和52年(1977年)11月15日-----
日本海に面した新潟の町から一人の少女が忽然と姿を消しました。

その日の朝、横田めぐみさんは、いつものように、お父さん、お母さん、双子の弟とにぎやかに朝ご飯を食べ、中学校へ出かけていきました。そして、これが家族にとってめぐみさんを見た最後になってしまったのです。

めぐみさんが帰ってこない!!

その日の夕方、クラブ活動のバトミントンの練習を終えて帰ってくるはずのめぐみさんは、いつもの時間になっても帰ってきませんでした。家族は、心配になって、必死でめぐみさんを探しました。警察も、誘拐や事故、家出、自殺などあらゆることを想定して捜査を進めました。けれど、目撃者も遺留品さえも見つかりませんでした。

その夜、めぐみさんは-----

ずっと後になって出てきた証言によると、お父さんとお母さんが必死でめぐみさんを探していたとき、めぐみさんは北朝鮮の工作員に連れ去られ、40時間もの間、北朝鮮に向かう船の中の真っ暗で寒い船倉に閉じこめられていたというのです。めぐみさんは、「お母さん、お母さん」と泣き叫び、出入口や壁などあちこち引っかいたので、北朝鮮に着いたときには、手の爪がはがれそうになって血だらけだったと言われています。

明るくて元気なめぐみさん

めぐみさんは、明るく朗らかな少女でした。家族にとって、まるで太陽のような存在でした。歌うのも、絵を描くのも大好きで、習字やクラシックバレエも習っていました。
めぐみさんがいなくなる前日の11月14日はお父さんの誕生日。めぐみさんは、お父さんにくしをプレゼントしました。「これからはおしゃれに気をつけてね」という言葉とともに。

家族の悲しみの日々

めぐみさんがいなくなった日から、家族の生活は一変しました。にぎやかだった食卓は火が消えたようになりました。
お父さんは毎朝少し早めに家を出て海岸を見て回りました。お母さんも、家事を終えると町のあちこちを歩き回り、めぐみさんの名前を呼びながら海岸を何キロも歩きました。
夜になると、お父さんはお風呂で泣きました。お母さんも、家族に分からないように一人で泣きました。どうしてこんな悲しい目にあうのだろう、もう死んでしまいたい、とも考えました。

そんな悲しみと苦しみの中、手がかりもないまま時は流れました。---

(1) 拉致された13歳の少女 横田めぐみさん(前編)
(2) 拉致された13歳の少女 横田めぐみさん(後編)
(3) 拉致された人は何人いるの?
(4) 北朝鮮とは? なぜ拉致をしたの?
(5) 北朝鮮による日本人拉致問題とは?
(6) 解決のためにできることは?