稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

件名が携帯のメルアドで差出人が「いしかわ」

2020年07月16日 | 詐欺、迷惑、防犯、防災、危機管理
3通続けて届いたメールである。
おかしいと思ってパソコンのアドレス宛てに転送してみた。

その内容がこれ。

-------------------------
iPhoneから送信

転送されたメッセージ:

差出人: いしかわ
日時: 2020年7月15日 22:45:11 JST
件名: *.*****@docomo....







ちなみに、転送したメールが、メールソフトに表示されない。
おかしいと思って調べたら、ブロバイダ側(nifty)で自動的に迷惑メールとして処理されていた。
メールソフトに届く前にブロックされていたというわけだ。

ちなみにniftyの迷惑フォルダを開けてきたら、今回のメール以外に6通のメールが弾かれていた。



このうち、
3行目の「LINE緊急問題は、不正サイトへの“誘導メール”である。
5行目の「お支払い方法の情報を更新」は、amazonを語る“なりすましタイプの誘導メール”である。

これについては改めて紹介し警告することにしたい。
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四條畷の道標でバイクが転倒(停め転け)

2020年07月15日 | バイク・クルマ
ついやってしまった。

前から気になっていた道標の写真を撮ろうと、
あまり考えないでバイクを停めたのが道標の脇の坂。
停めて道標に向った数秒後にバイクはズルズルと滑って左ハンドルを下にコケてしまった。

場所は国道163号を奈良から大阪方面に清滝トンネルを抜けたすぐの左側。


(googlemapから)(左手のワンボックス車の右前に道標がある)

20数年前にも坂道でバイクを停めて同じ失敗をしたのに、
「まあこれぐらいなら大丈夫だろう」と思ったのが失敗だった。
後ろのボックスに重い剣道具一式が入っていたのと、地面がぬかるんでいたせいもある。
いずれにしろ不注意が原因である。
普段、「健全な危機感を持て!」と言ってるわりにはドジな話である。

バイクのハンドルは写真では大きく歪んではいないのだが、
またがって両手でハンドルを握ると明らかに左ハンドルが折れ曲がっている。
回りは気づかないかも知れないが、運転する側としたら違和感が大きくて耐えきれない。

下は右ハンドル端に後ろ向きに取り付けたドラレコの動画からのキャプチャ。


(バイクを停めようとしているところ)


(バイクを停めてスタンドを出して)


(さて写真を撮りに行こうと・・・)


(ズル・)


(ズルル・・)


(ズルルル・・・)


(ガシャ~ン!と横倒し)


(慌てて駆け寄りバイクを起こす)

バイクを停めてから横倒しになるまで4秒だった。
バイクを停めなおして道標の写真を撮ったのが下の写真。


(停めなおしたバイク)







不思議なことに全部ピンボケだった。
霊など信じないが、何かこの付近に、得体の知れないものが住み着いているのかも知れない。
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三菱スターワゴン、エアコン不調で長期入院中

2020年07月14日 | バイク・クルマ


この何年、車を洗ったことが無いので本当の車好きでは無いのだと思う。
けれど外観以外はけっこう気にしていて、定期的なオイル交換はもちろん、
少しでも不調があれば職場近くの車屋さん(東大阪加納・辰巳自動車さん)に相談しに行っている。

デリカスターワゴンのエアコン故障(2020年3月28日)
https://blog.goo.ne.jp/kendokun/d/20200328/

本日はこの3月28日の続きである。

タイマーコントローラー、TIMERCONTROLLER CAD501A001 の中古品をヤフオクで手に入れた。
交換しても駄目で、さらにもう1つ落札して交換しても駄目だった。
エアコンは治らないのだ。どうする?廃車する?

結局、エアコンはスイッチとコンプレッサーを直結してもらい「スイッチを入れたらオン」となった。
もう自動でオンオフしないというわけだ。仕方が無い。

しばらく使っていたが、今度は後部のエアコンが効かなくなった。
時々忘れた頃に冷気が出ることもあるが、暑い日でも基本的に冷気は出ない。
運転席の冷気も心なしかさほど冷えてはいない。
元々あまり冷えなかったので「こんなものか」と使っていたが、
真夏を迎えるにあたって後部が冷えないのは致命的である。

で、入院。


(修理の見積もり作業中)

診断の結果、何とかというエアコン側の部品が悪いのと、配管自体の詰まりもあるらしい。
バラバラに分解するので工賃もかかり、見積もりでは15~20万円はかかるらしい。

「修理してください」って言ったら「本当にやるんですか?」と言われた。
昨年の車検時もエンジン回りのオイル漏れから何とかという配管の接合部の欠損も見つかり、
かなりな金額の修理をしたばかりである。
手に入れてからの数々の修理、そして今回の修理を含めると、
すでにこの車をもう一台買えるだけの修理代を継ぎこんできているはずである。
先日も車屋で知人に会い、「もういい加減買い換えたら?」って言われた。

ちょっとためらったけど「大修理は今回で終わり」と宣言し修理を決定。
ただし、今度何か壊れたら、もう廃車する!と決心した次第。


(修理が始まってバラバラ状態)


(同じく)

旧車の怖いところはこれで完全に治る保証も無いこと。
さらに別の箇所が致命的な故障をしている可能性もあるということ。

でもねえ。買い替えるたって現行の車で乗ってみたい車は無いんだよねえ。
いまの電気シェーバーのようなデリカD5だけはご免こうむりたい。
三菱に限らず、いいなあ~と思うのは全部旧車なんだよねえ。



本当は欲しい、ランドローバー ディフェンダーの旧車。
でも、すでに旧車だし、燃費は悪いし高い(500万ぐらい?)し非現実的なのだ。

ああ困ったもんだ。
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件名「初めまして」という藤川朋美からのメール

2020年07月13日 | 詐欺、迷惑、防犯、防災、危機管理


今回の迷惑メール。
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件名:初めまして
差出人:"yazawaakemi0622" <admin@a5.paypayjgp7.com>
本文:こんにちは、私は藤川朋美と申します。私の母はシンガポール人で、父は日本人です。父に付いて日本に来ました。初めて日本に来たので、日本語がわからないし、日本についてもよく知らないけど、日本が好きです。日本に来たばかりですが、あなたと友達になりたいです。日本についても知りたいです。あなたのlineを教えてくれませんか? ID:yazawaakemi0622
----------------------

仕事柄、また剣道や剣術をやっている関係上、
毎日、知らない人からメールが来ることがけっこう多い。

しかしいきなり「友達になってください」的なメールはまず無い。
まあそれが普通だろう。

このメールを見て「まずあんたの父親に聞けよ!」って笑ってしまった。

いちおう、IPアドレスを調べると、
発信元のサーバーは、(北アメリカおよびサブサハラ・アフリカ)だった。

IPアドレスは、メールのヘッダを開けるとわかるので不審メールはチェックするようにしている。
発信元が中国だとか東南アジア、南米など、諸外国の場合はまず迷惑メールの類である。
いや国内であっても安心は出来ないので、取りあえず疑ってみるに越したことは無い。

LINEなど教えて乗っ取られても大変である。
こういうのは怪し過ぎるので無視するに限る。

くれぐれも気をつけられたい。

追記:名前を使われた藤川朋美さんは大変だと思います。
ここに使われたお名前を公表したのは誤解を解く意味もあります。
このブログの投稿をご理解ください。
コメント (3)
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長正館理事会、あと、生駒市武道館宝剣会(2020年7月11日)

2020年07月12日 | 剣道・剣術

(理事会は東住吉のファミレスで・・・)

15時からは東住吉で長正館の理事4名で会議。
意見を出し合い、審議の結果、秋までは稽古の自粛を継続することになった。
限られた時間で床を含め、徹底した消毒を行うには無理だし、
万が一の時に、学校や学校関係者に迷惑をかけるわけにはいかないと判断したのだ。

----------------------------

夜は奈良の生駒市武道館で宝剣会の稽古。
先週(7月4日)から稽古を再開していたのだ、先週は仕事が詰まっていて欠席したのだ。
ここは開始時間がよくわからない。行ったら稽古が終わりかけていたということもある。

出席は5名(七段3名、五段2名)。
ストレッチ、準備運動、空間打突。
面を着けて切り返し、基本稽古、あとは地稽古。
ストレッチ以外は以前と同じ稽古内容である。
「マジで?」と正直思った。マスク稽古は大丈夫か?

本日から、ここでもアクションカメラを設置。
画像は動画のキャプチャから切り取ったものである。


(ストレッチの前)


(空間打突の稽古)


(地稽古、左の組は大畑×粕井、右は中村×林田)


(左は石丸×林田、右は粕井×中村)


(左は石丸×大畑、右は粕井×林田)


(左は石丸×粕井、右は林田×中村)


(面を打とうと右足を出し始めたところ)


(返し胴を取られ「では一本」と言われたところ)


(終了後は離れて立ち礼)


【感想・反省点】

動画は正直である。
見ていて反省点があまりに多いことに気がついた。

足が出ないとか、身体が止まってしまうとか、元気が無いとか・・・
それは四か月以上も稽古していなかったから納得も行く。

問題は構えが思っていたより変だということ。
前から見るとそっくり返っているようにも見えるのが不思議。
右足を不用意に出しているせいかも知れない。
いや右足を出した時の重心と力点の掛け方がおかしいのかも知れない。

打とうとした瞬間は右足裏が丸見えになっているし、
思っていたより左のヒカガミもかなり曲がっている。
結果的に、打つ前、打つ時、打ったあとでの体勢がバラバラで安定感が無い。

つまり、動かない身体を無理して動かそうとして見苦しいのである。
手先と竹刀捌きで誤魔化そうとしている場面も数多くあった。

これでは駄目だ。もう一度原点に戻らなければならない。
木曜会の基本稽古が待ち遠しい。あれが一番効果的なのだ。
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№124(昭和63年2月15日)

2020年07月11日 | 長井長正範士の遺文


熱水の化学変化によって生まれた単細胞の生物が、その始まりだとか、隕石と共に宇宙から来たというような説がありますが、いずれにせよ、私達の生命のもとは、他の生物と共に、大自然の中で生み出された一産物と言えます。然も今日まで大自然の法則、摂理によって、他の動植物や自然と共に生かされて来たのであります。太陽や、空気、水などの大自然の恩恵が無ければ、命をつなぐことは出来ません。今、韓国の話題で持ちきりですが、その韓国のある方が次のように述べています。

「私達が毎日頂いている食物は、どれもこれも皆、生命のあるものばかりである。今日も食卓に並べられた魚や肉、それに野菜やご飯が私に向って『ワタクシノ、ニクタイト、イノチヲ、アナタニサシアゲマショウ、アナタハ、ソノ、ニクタイト、イノチヲ、ダレニアゲマスカ』と問いかけてくるのです。私はその遺言状の前に頭を垂れ、「わかりました。私もこの生命と肉体うぃ自分のためにではなく、人々のために捧げます」と、誠に心にひびく感動の言葉ではありませんか。

私達はこのように動植物の生命の犠牲によって生かされている事を思えば、食物に対する感謝の気持も自然に沸いてきますし、、決して自分の命を粗末に出来ないと思います。野菜などの植物類には、肉や魚のような生命感をさほど感じない私達ですが、作家の村山リウ氏は、かってあるテレビ番組で『観葉植物に水をやる時、人間の子供を育てるのと同様にやさしく声をかけてやると、不思議なくらい生き生きとしてくるのですよ』と植物の生命のあかしを実感されています。

曽て、私がタネや苗の店をやっておりました時代、折りにふれて、その季節のタネや苗をもって吉田先生が畑で作物を作っておられるので、持って行ってはよく話合ったものでした。吉田先生は『種を播くのでははない、タネを土にあずけるんだ。そしてタネは土に保護され、太陽と水の恩恵によって芽を出し育ってゆく。その愛らしさ、俺はそのタネや苗の成育と共に俺の心をそれ等に寄せ愛をそそいで作ると、ちゃんとそれ等が感じとり、俺の愛を感謝しつつすくすくと立派に育ってくれるんだ。

然し又一方、俺の余り好きでない野菜には愛情が薄く、冷たい態度で仕方なしに世話をしていると、その野菜はちゃんと心得て育ちが悪く病気にもかかり、又虫もついて、しまいには枯れてしまう。見るに見かねて俺は心の中で、すまんとつぶやいて鍬でけずって石灰をふりかけ消毒してやり、又新たに植えるんだ。もの言わぬ野菜だが、ちゃんと俺にものを言っとる。ここだ、大切なことは。』とよく言われたものです。

私達はすべての植物がもの言わず、黙々として生長し、大地に根を張っている姿を見て、それだけでよいのであろうか、じーっと静かに観てその植物の生長を愛をもって、いや愛だけでなく、むしろ植物のお陰で私達の命をささえてくれているんだという感謝報恩の念をもって植物の心と一体になるよう温愛の情をそそいで行ってこそ、この世に生を受けた人間としての資格があると思います。そして私達は又、実社会の多くの人達の尊い生命の犠牲の上に生活させて頂いている事を忘れてはなりません。例えば東京から博多まで1,170キロの新幹線敷設工事中に失われた人命は417人にものぼっていると聞いております。これ等の尊い命をかけてやって下さった公共施設のお陰ですべてが支えられている事に感謝せねばなりません。以上
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木曜会定例稽古(2020年7月9日)

2020年07月10日 | 木曜会(誠先生の剣道教室)
四條畷市立四條畷西中学校の体育館。
木曜会(誠先生の剣道教室本部稽古)20時から21時15分まで。
今年9回目。参加人数20人ほど。蒸し暑く、マスクの下は水蒸気まみれ。

本日も先週と同じくアクションカメラを設置。
画像は動画のキャプチャから切り取ったもの。

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まずはストレッチから。ストレッチは遠い所からするのが良い。
肩のストレッチの話(八段先生の殆どが肩の筋を切っている)が印象に残った。



竹刀を持たずに足捌き。
1)右手で手刀を作って、ゆっくり12の足捌き。
 右足は爪先が床を擦るように。左足の踵はなるべく上げないように。
 左のヒカガミは曲げない。丸太棒のように真っ直ぐ。
2)ゆっくり123の足捌き。
 2の左足の引き付けは右足の踝(くるぶし)付近まで。
 3の右足を出すときは「いつでも打てる体勢」になっていること。



3)ゆっくり123の足捌きだが、3の時に膝攻め。
 3で、膝を出して左踵を下げる。いつでも打てる体勢で。
 右足の出し加減と、次の右膝の出し加減で攻めと溜めが効く。
4)同じく123の足捌き+膝攻めだが、1をさらにゆっくり行う。
 い~~~ち、にぃ、さんのように。1は距離では無い。
 足主導という考え。
 足で準備して、足で攻めて、足で溜めて、相手の守ろう打とうとするところを打つ。



竹刀を持って素振り。
1)まずは竹刀の柄の握り方から。柄頭いっぱいに握る。日本刀とは異なる。
2)構えは一足一刀の間で剣先は相手の左眼頭。
 両眼の間(中央)では攻めが強すぎ左眼では構えが緩む。左眼頭で適度な圧迫感を作る。
3)「相手を動かす」ということは、相手も自分も動いていない状態をまず作る必要がある。
 自分勝手な攻めではなく相手との和から始まる。
4)左拳の位置が大事。臍はやや左を向いている。その左に向いた臍の前に左の親指の第一関節が来る。
 左拳の位置が少しでも上がってしまうと(はたから見ても)安定感が無くなる。
 構えが出来ていないだけで昇段審査では半分が落ちる。
5)構えはまずは上虚下実、一眼二足三胆四力、昔の本では一眼二左足三胆四力と書いてあるものある。
 123でいつでも打てる構えを作る。
 立ち上がって右に出てしまうと右足に体重が乗ってしまい勝ちなので左に出る先生が多い。
 両腕を上にあげ、大きな水瓶を大きく抱えるようにして構えを作る方法もある。



6)両拳を付けて打つ素振りでは、打った時に両方の肘が広がらないように。
 打った時は「あごを引く」というより「頭を後ろに」という意識で。


【感想・反省点】

足捌きが特に勉強になった。湿気が高く、滑りにくい床の上でいかに右足をスムーズに滑らすか、
左足を引き付け、右足あるいは右膝を出す時の重心と力点のかけ方など、安定して行うのは難しい。
「いつでも打てる体勢」を作ることは頭で理解していても身体はなかなか覚えられないものだ。

アクションカメラは非常に役立った。
動画の画面は小さく音声も小さいが、あとで復習するに支障は無い。
次回はもう少し大きな三脚を持っていこうと思う。


(今回使ったアクションカム SJCAM SJ6 LEGENO)
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熊本の洪水被害は「コンクリートから人へ」が生んだ災難だ。

2020年07月09日 | 政治や歴史など



経緯を簡単に述べる。
2009年に民主党政権が生まれが、そのマニフェストには
「川辺川ダム、八ツ場ダムは中止。時代に合わない国の大型直轄事業は全面的に見直す」と明記されていた。

そして鳩山由紀夫内閣が生まれ、国土交通大臣の前原誠司も、後任の馬淵澄夫も川辺川ダム中止の方針を踏襲した。
民主党政権は群馬の八ツ場(やんば)ダムも、熊本の川辺川ダムも、ムダな公共事業のシンボルに仕立て上げた。
そして現場の声も聞かず、建設中止を表明したのだ。

「コンクリートから人へ」は当時の民主党が掲げたスローガンである。

その後、東京都知事石原慎太郎を始め地域6県の知事は、
「八ッ場ダム建設事業の継続」の決断を求める緊急声明」を発表。
結果、八ッ場ダムの建設事業再開を決定した。

そして、その結果、昨年(2019年)の台風19号では、
試験的に水を貯めていた八ツ場ダムのおかげで下流の利根川での氾濫が回避できたのだ。



片や熊本では、蒲島郁夫が2008年に熊本県知事に就任し、
直後、国が五木村に建設を予定していた川辺川ダム計画の白紙撤回を求めた。
つまり、八ッ場ダムは地元の知事たちが必要とし、川辺川ダムは地元の知事が不要としたのだ。


(蒲島郁夫・かばしまいくお・熊本県知事)

蒲島知事はこの7月5日に、川辺川ダム中止の決断は県民の意向とした上で、反対の方針に変わりがないと強調した。
大きな被害に「大変なショックを受けた」、「ダムによらない治水を目指してきたが、費用が多額でできなかった」と述べた。
さらに「ダムによらない治水を極限まで検討する」と話したが具体的な方策に言及はなかった。

この人には呆れた。
結局、対案無き反対をしてきただけだ。
そしてこの12年間、何一つしてこなかったのだ。

「ダムによらない治水」って何だ?
川幅を広げる?川の底を掘り下げる?川筋に堤防を延々と作る?

そんな代案はハナから無理なのだ。
費用も手間も時間も恐ろしいほどかかってしまう。

結局、コストパフォーマンスに一番優れているのは治水ダムの建設しか無かったのだ。
決壊による被害額は、ダムの建設の費用とは比較にならないぐらい大きいということを考えてなかったのだ。

ここに来てまだ「ダムによらない治水を極限まで検討する」と言ったのは無能で無責任の極みでは無いのか?
なぜ「ダムの建設も含めて、防災への取り組みを根本から見直し検討する」と言わないのか?

今回の熊本の洪水被害は、無能な民主党政権と無能な知事とのコラボによる人災である。
思慮浅はかで根性の無い人物が知事や大臣になればこのようなことになる。
悪夢の民主党政権を誕生させたのはマスコミだった。
民主党が正義で自民党が悪のような報道ばかりだった。
テレビのワイドショーや朝日などの偏向新聞しか見ない人はみんな騙されたのだ。

我が国は地震が多く台風の被害も出やすい。
健全な土木技術集団を常に育成しておくことが自然災害への取り組みに不可欠なのだ。
国土の基盤を整備してくれるのが土木建設企業だということを忘れてはならないのだ。

箱モノ政治には大反対だがインフラ整備は国家の根幹と考えたい。
道路、橋、トンネル、河川、港、そして各種通信(NHKだけは不要)、電力網、鉄道網、
これらは「かくあるべき」という姿を描き、直接的間接的に、
国家と自治体、そして企業が責任を持って整備し続ける必要がある。

土木建設企業を「悪者化」し、「コンクリートから人へ」という、
馬鹿げたスローガンを掲げる民主党政権が誕生したことを我々は恥じなければならない。
国民は常に健全な危機感を持たねばならない。心地よい言葉に酔いしれてはならない。

同時に熊本県民も「ダムによらない治水」とは何なのか確認することもなく、
蒲島知事に投票し続けてきたこの12年間を恥じなければならない。

自分的には、中断している川辺川ダムの建設を再開するか、
最低限の治水整備だけを行い、「まさかの時はあきらめて下さい」と正直に説明するしか無いと思う。

「ダムによらない治水を極限まで検討する」なんて馬鹿な話をこの知事はあと何年も続けるのだろうか?
「検討した結果はどうなんですか?」と、今後毎月、熊本県民とマスコミは問うてみよ!と言いたい。

---------------------

【追記】
ここまで書いたあとで蒲島知事の「ダムによる治水も検討する」と発言訂正のニュースを見た。
ここでダム反対と言うのは分が悪いと判断したのだろうが、今後の蒲島知事の言動を見守りたい。
コメント (1)
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不審メール「5000万円の受取権利があるからこそのご連絡です。」

2020年07月08日 | 詐欺、迷惑、防犯、防災、危機管理


普段、あまり携帯をいじらないので野放しにしていたのだが、
この数日、連日のように続けて入った不審なメールの紹介と警告である。

見た瞬間、これは詐欺メールと判断し受信拒否に設定した。

同様のメールを受け取った方、けっして返信してはいけない。
これは立派な誘導詐欺メールであり気をつけなくてはいけない。

下に、1~5通を開示しておくのでご参考まで。



1通目
------------------------------
差出人: "asyui_f54ty@nhdnzmgig.jp"
日時: 2020年7月4日 15:33:29 JST
件名: テステス…応答願います。

ジャンボくじ当選の件です。連絡を入れておりましたがご確認頂いておりますでしょうか?
5000万に見事当選しお受け取りの権利がある状況なのですが、
受け取りされますか?受け取りされませんか?
受け取る、受け取らないのお返事だけで大丈夫です。ご連絡をどうか宜しくお願い致します。



2通目
------------------------------
差出人: "asyui_f54ty@nhdnzmgig.jp"
日時: 2020年7月4日 21:08:57 JST
件名: 5000万円の受取権利があるからこそのご連絡です。

ジャンボくじ当選中・・・お振り込み可能です!!
5000万振込の権利がありますがご確認されてないですよね?
番号を照合しますので3376とこのまま御返事くださいませ。
お忙しい中と思いますが他当選者様もお待ちです。何卒よろしくお願い致します。



3通目
------------------------------
差出人: "asyui_f54ty@nhdnzmgig.jp"
日時: 2020年7月5日 0:09:03 JST
件名: 存在してますか?

3376と送り返すのみです。
3376ですよ。読めますか??意思の疎通は可能でしょうか。不要なら不要だと連絡してください。このままでは抹消すらできないです。



4通目
------------------------------
差出人: "asyui_f54ty@nhdnzmgig.jp"
日時: 2020年7月7日 9:56:02 JST
件名: ☆★現金5000万円が当選しております。当選番号のご確認をよろしくお願いします☆★

ジャンボくじ当選中・・・お振り込み可能です!!
5000万振込の権利がありますがご確認されてないですよね?
番号を照合しますので3376とこのまま御返事くださいませ。
お忙しい中と思いますが他当選者様もお待ちです。何卒よろしくお願い致します。



5通目
------------------------------
差出人: "asyui_f54ty@nhdnzmgig.jp"
日時: 2020年7月7日 15:57:11 JST
件名: 5000万円は要らないということですか?

お振り込み可能です
5000万円振込の権利がありますがご確認されてないですよね?
番号を照合しますので3376とこのまま御返事くださいませ。
お忙しい中と思いますが他当選者様もお待ちです。
------------------------------

以上。



【追記の関連記事】
これと同じ類のメールが数分おきに届くようになった話。

一晩で170通も届いた迷惑メール(2020年7月23日)
https://blog.goo.ne.jp/kendokun/d/20200723/
コメント (3)
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習近平の国賓来日中止

2020年07月07日 | 政治や歴史など


2020年 07月03日 22時40分提供元:読売新聞
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自民党は3日、外交部会などの役員会で、香港での国家安全維持法(国安法)の施行を受け、中国の習近平(シージンピン)国家主席の国賓来日の中止を求める決議案をまとめた。 6日に部会などの合同会議、7日に党政調審議会で議論し、首相官邸に申し入れる予定だ。ただ、二階幹事長は周辺に「ここまでつないできた先人たちの努力を何だと思っているんだ」と反発しており、今後、表現が弱まる可能性もある。 決議案は、同法に基づき大量の逮捕者が出たことに触れ、「傍観することはできない。強く非難する」と表明。習氏の来日を巡っては、政府に対し「中止を要請する」と明記した。5月29日にまとめた決議の「再検討も含め、慎重に検討」という内容からさらに踏み込んでいる。
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香港の問題は中国共産党の悪事のほんの一角でしかない。
なぜ香港人が命の危険を冒してまで国家安全維持法(国安法)に反対するのか?

それは中共(中国共産党)が今まで行ってきた殺戮と同化政策を知っているからである。
モンゴル、満州、チベット、東トルキスタン、これらは支那とは異なる国であるにも関わらず、
軍事力を背景に、文化や宗教、そして民族そのものを滅ぼしているのだ。

いや、自国民でさえ、法輪功信者のように徹底的に弾圧され、
生きながら臓器を抜かれ、眼をえぐり出され、拷問され殺されている人々がいるのだ。
中共の悪事を知らない人は下記のリンクをぜひ観て欲しい。

生体臓器狩りで死亡、証人による証言:法輪功学習者・徐真氏さん
https://www.youtube.com/watch?v=-xgDZzBr_Ug

「これは現実だ」FOXニュースが法輪功迫害について詳細報道 | US NEWS | 海外
https://www.youtube.com/watch?v=TVe5RBUjw2c

国民が最低限知るべき、中国の実態 「東トルキスタンからの手紙」Tragedy of the Uygur
https://www.youtube.com/watch?v=Uax9_zdRZdQ

Tiktokに少女の勇気ある投稿「中国がウイグル弾圧」(19/11/28)
https://www.youtube.com/watch?time_continue=88&v=YYljYQezgKk&feature=emb_logo

【閲覧注意】ウイグル、チベット問題って何?【中国人残酷物語】 ウイグル人の逆襲!!!聖戦だ!!! NAVER まとめ
https://www.youtube.com/watch?v=_F5xE0nQzsI


日本のマスメディアは芸能人のどうでも良いスキャンダルは連日報道しているが、
中共の悪事など、これっぽっちも報道しない。(だから私はテレビはほとんど見ない)

こんな世界一非人道的な中共を、私はとうてい認めることが出来ない。
あの習近平を国賓待遇などあり得ないし、天皇陛下に会わせるとは言語道断である。

国賓来日に賛成する議員の一覧はどこかに無いのか?
自民党は親中派と反親中派に分党して欲しい。

野党は駄目だ。この時点でまだダンマリを決め込んでいる。

ともかく二階や、二階派の連中を早急に排除することが、まっとうな政治の第一歩だと思う。
和歌山県人はこんな男を国会議員にして何を考えているのか。「恥を知れ!」と言いたい。
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自宅のノートブックPCに酒飲ませてしもた~!

2020年07月06日 | つれづれ

(7年前に買ったVOSTRO3560)(画像はDELLのサイトより)

テレビは嫌いなので、もっぱらパソコン中心の生活である。
DELLのノートパソコン、VOSTRO3560は、2013年10月に自宅用に買ったパソコンで、
食卓の私の定番席の前に置いて、毎日使っているパソコンである。



食卓の定番席は、食事したり、youtubeやamazonプライムで映画観たり、猫写真撮ったり、仕事したり・・・

先日、amazonプライム観ていて、何をした拍子か、日本酒の5合瓶を倒してしまった。
不運な事に、瓶の蓋は開けっ放しで、倒れた方向がパソコンだった。
慌てて瓶を起こしたが、キーボードの上にたっぷりとお酒をこぼしてしまったのだ。

すぐに電源コードを外し強制終了させる。バッテリーを外す。
ひっくり返すと大量のお酒が流れ出てきた。

あああああ・・・! (悲痛な声)

どうしてよいかわからず、パーツクリーナーを吹きかけ、
エアダスターで水気を飛ばしてみる。
(今から考えれば、この時点で水洗いしておけば良かったのかも知れない)

あとは濡れ雑巾で拭いてみるが気休めの感はぬぐえない。
仕方がないので、扇風機の風を一晩当てて翌日に持ち越すことにした。

このVOSTRO3560は、少し画面が暗い(というよりコントラストが甘い)ので、
少し不満だったが、画面は15インチで、速度もそこそこあったで使いやすかったのだ。
昨年、windows7を10にインストールし直したが、不自由も大きな不満もなく動いていた。

後悔先に立たず。
自分で飲む酒をパソコンにたっぷり飲ましてしまった。

翌朝電源を入れてみたら立ち上がるがキーボードが操作出来ない。
職場に持っていき、DELLのサポートに電話してみたら、
すでに3560のキーボードの在庫が無く、修理は不可能とのこと。

ノートパソコンは出張時に使うものでもあり、さっそく新しいものを注文した。
注文はDELLの営業に電話して質問攻めの上で納得して決めた。
電話して良かった。ネットだけで注文すると、少し不満なスペックの機種を買うところだった。
決めたのは同じVOSTRO系のVOSTRO7500。ちょっと高いけどSSDだし良い感じ。

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で、酒飲みの3560(無理やり飲ましたのだが)、
どうせ廃棄ならダメもとで洗ってみようと思った。


(キーボードを取り外し・・・)


(お湯かけて・・・)


(しばらくお湯に漬け込んで・・・)

数時間、お湯に漬け込んで酒は抜けたようだ。
充分に乾かしてから組み立てて電源を入れてみる。

結果は駄目。反応しないキーボードがある。

キーボードの部品内に酒が入り込んだらしく、
12時間も経過したためにお湯でも完全に酒が抜け切れてなかったようだ。

新しいパソコンは3週間ほどかかるらしい。
今さらパソコンが無い生活には戻れない。

困ったこまった・・・


(再度、洗ってみたが同じだった・・・) (いずれ廃棄する予定・・・)
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剣道の切り返しにおいての体当たりについて。

2020年07月05日 | 剣道・剣術

(「腰を中心にした体当たり」の写真はあるが、説明の箇条書きに体当たりは書いていない)

先日の事だが、初心者に指導している剣友から
「切り返しの体当たりについて教えてください」と質問があった。

彼が言うに、切り返し時に体当たりをするよう教えると、他所で指導を受けている者から
「切り返しで体当たりはしないようにと教わりました」と言われたのだそうな。

今から半世紀も前の、私が高校生(生駒高等学校剣道部)の時、
切返しは面に打ち込み、思いっきり体当たりして元立ちを後ろに弾き飛ばせと教えられた。
弾き飛ばして元立ちを下がらせ、その面を左右に打って切り返しを続けろというわけだ。

軽く体当たりでもしようものなら
「なんだそれは!そんな勢いでは体当たりにはならん!相手をふっ飛ばしてしまえ!」と叱られた。
同時に元立ちも「そんな軽い体当たりで後ろに下がるな!」と竹刀で叩かれたものだった。

当時はそれが当たり前だと思っていた。
正しく大きく伸び伸びと・・ではなく、勢いよく強く力任せに・・みたいな切り返しを教わった。

今から思えば随分と乱暴な指導方法で(初心者指導としては)大間違いも良いとこなのだが、
ぶつかり時の強弱はあっても、当時はどこに行っても切り返しには体当たりがあったと記憶している。

いつの頃に変ったのかは知らないが、今は「相手の練度に合わせて体当たりを入れる」となっている。
つまりは「切り返しの時、基本的に体当たりはしない」ということになるのだ。

確かに体格の違う者同士は危険だし、初心者同士の場合も力加減がわからず、
怪我防止の観点から体当たりは止めた方が無難だろう。

全日本剣道連盟の「剣道指導要領 平成25年6月1日版」の68頁には、
(前略)初心者・初級者の段階においては、ゆっくりと大きく正確に、伸び伸びと行うことが望ましいが、
錬度に合わせて「体当たり」を入れるなどの工夫により、さらに高い効果を期待することができる。(後略)とある。

で、剣友の質問への返事(ちょっと加筆訂正しました)は、
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体当たりは体勢が崩れないことが大事で、
懸かり手も腰から体当たりが出来るよう、受け手も腰で支えられるようにしなければなりません。
まずは体当たりだけの稽古をして、体当たりに慣れる必要があるでしょう。

切り返しの中に体当たりを入れる場合は、「きょうの切り返しは体当たりを入れる」と宣言して指導をしたら良いでしょうね。
初心者には事前に体当たりだけの稽古をしておきましょう。
腰からの体当たりが出来るようになって体勢が崩れなくなったら切り返しに体当たりを入れましょう。

切り返し時の体当たりは、原則として受け手に合わせることです。
受け手が体当たりOKのタイプならドンとぶつかっていって構いません。
つまり練度が上がれば、お互いに、瞬間的に相手に合わせられるようにすることが大事だということです。
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切返しに限らず、半世紀以上も剣道稽古をしていると、昔と考えや解釈が異なることも出てくる。
たまには指導法講習会に出て学ぶことも大事だし、少しでも変だと思ったら、
全日本剣道連盟の「剣道指導要領」を読み直さなければならないと思った次第。

「あの先生、言う事変だよなあ~」と思われたら指導者失格です。
「俺は昔、こう習ったんだ」は通用しないのです。特に私より年配の先生方、気をつけてください。
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転載 ねずさんのひとりごと「漢字渡来以前」

2020年07月04日 | 政治や歴史など
先日の「」の(私にとって)続きの記事になります。
これも面白い!

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ねずさんのひとりごと「漢字渡来以前」
https://nezu3344.com/blog-entry-3640.html



日本には漢字渡来以前には文字がなかったと言っている人たちがいます。
どこを見ているのかと言いたくなります。
ヒエログラフとも言いますが、欧米の学者さんたちの中には、むしろ日本が古代文字発祥の地ではないかとして研究している人もあるくらいです。
あるいは、古事記・日本書紀以前の史書や文字は、古代大和朝廷によって消されたのだという人もいます。
要するに古代の日本に激しい対立や殺し合いが行われたのだと言いたいようなのですが、ぜんぜん違うと思います。

少し脱線しますが、以前に「江戸しぐさ」をこのブログでご紹介したことがあります。
ところがその「江戸しぐさ」について、これを普及しようというあるNPOがあります。
普及してくれようとするその目的はたいへんありがたいのですが、そのNPOがなんと言っているかというと、そのまま転載するとどこと特定されてしまうので要約しますが、
「幕末戊辰戦争のときに、江戸庶民が大虐殺されて江戸っ子はほぼ全員死んでしまった。
 自分たちはそのなかで生き残った僅かな江戸っ子で、江戸しぐさを継承する唯一の団体である」
と、このように主張しているわけです。
いったい、いつ江戸庶民が虐殺されたというのか。
まったくもってファンタジーとしか言いようがありません。

ちなみにその幕末期、まさに江戸で開業医をしていた「庶民」のひとりに、手塚治虫さんの祖父がいます。
我が家の曾祖父も、幕末から明治初期まで江戸住まいです。
もし本当にそのような虐殺があったのなら、手塚治虫の曾祖父も、我が家の曾祖父も生きていません。
あまりにも荒唐無稽なファンタジーですが、要するに何かを主張する際に、
1 自分たちは被害者である。
2 唯一正当な本家ないし元祖である
と、必ずそのように主張してファンタジーを繰り広げるのは、日本人のような顔をして日本に住んでいて日本語を話すけれど日本人でない人たちの、まさに伝家の宝刀です。
千年前の刀伊の入寇の時代から現代に至るまで、あまりにも彼らの言い草は毎度同じパターンすぎて、相手にするのも馬鹿らしい。

さて実は、日本には漢字渡来以前には文字がなかったという説の延長線上に、カタカナは漢字から派生したという説もあります。
これなども、あまりにも馬鹿らしい説です。
たとえば「ア」は漢字の「阿」のつくりの部分の「可」から生まれたなどとしているのですが、それならば「阿」である必要がありません。
最初から「可」を用いれば良いだけのことです。
ところが「可」では都合が悪い。
なぜなら「可」は「か」とは読みますが、「あ」とは読まないからです。
同様に「カ」は「加」の篇の部分の「力」から生まれたのだと言いますが、漢字の「力」は音読みが「リキ」、訓読みが「ちから」であって、「か」とは読みません。
要するに、これらもまた作り話でしかないということです。

では、そもそもカタカナはどこから生まれたかといえば、神代文字であるカタカムナから生まれたという説が、いちばん合理性があるように思えます。

カタカムナ文字とカタカナの派生


カタカムナが発見されたのは昭和24年(1949年)のことで、この文字は、他に八鏡文字(はっきょうもじ)とか化美津文字(かみつもじ)、あるいは上津文字(うえつもじ)とも呼ばれます。
その信憑性を疑う人もいますが、頭ごなしに否定してかかるというなら、いまの「常識」である「漢字からカタカナができた」という説も、かなり疑わしいものです。
それなら、可能性は可能性として探っていくのが良いと思います。
そもそも「漢字以外は文字として認めない」というのは、日本の戦後の敗戦利得者となった日本人のような顔をして日本に住んでいて日本語を話すけれど日本人でない人で、幸か不幸か学者となった人たちの身勝手な言い分にすぎません。

決めつけは、政治です。
探求するのが学問です。
学者の仕事は政治ではありません。

神代文字には、実に様々な種類があります。
みなさまよくご存知のホツマ文字、カタカムナ文字、アヒル(阿比留)文字の他にも、
上津文字、化美津文字、伊予文字、出雲石窟文字、トヨノ文字、山窩文字、豊国文字、春日文字、アソヤマ文字、越文字、アジチ文字、守恒文字、斎部(インべ)文字、惟足(コレタリ)文字、筑紫文字、重定石窟文字、ヤソヨ文字、阿奈伊知文字、マニナ文字、六行成文字、肥人文字、イスキリス文字 、タネマキ文字、種子文字、アイヌ文字、対馬文字、阿比留草文字、日文草書、薩人文字、阿波文字、天狗文字等々、名の知られた文字だけで34種類もあります。
探せば他にももっとたくさん出てくることでしょう。

これらの神代文字は、それぞれ毎に、文字のカタチがまったく異なります。
まるでハングルのように見える文字もあれば、円弧の向きが意味を持つ文字もあります。
まるでメソポタミアの楔形文字のようなものもあれば、アラビア語のような文字もあります。
まるで多種多様なのです。
けれど、それら神代文字に共通しているのが「五十音である」という点です。
つまり、「五十音である」という点で、神代文字は一致しています。



日本は、縄文時代から続く、とてつもなく古い歴史を持った国です、
どのくらい古いかというと、縄文時代のはじまりが今から約2万年前。
弥生時代になるのが約3千年前です。
つまり、縄文時代だけで、1万7千年も続いているのです。

もっというなら日本では、
11万年前には、石器が使われ
3万年前には、加工した石器(磨製石器)が使われ、
1万6500年前には、世界最古の土器がつくられ、
1万3000年前には、人の形をした土偶がつくられ、
1万2500年前には、漆が栽培され、使われていたのです。

漢字渡来とされる西暦552年から今年(現代)まで、まだ、たったの1463年です。
文科省指導による歴史教科書では、日本の近代を明治維新以降、現代を戦後と区分していますが、明治維新から現代まで、たったの150年です。
万年の単位にまでなる日本の歴史からみたら、明治維新はつい昨日のことでしかないし、1500年前もわずか10日前のことでしかないのです。

日本がそれだけ古い時代から続いているということは、同時にそれだけ古い時代から、様々な文字が研究され、使用されてきた可能性を否定できないということです。

めずらしく「私は」という語を使わせていただきますが、私は「だから文字は日本で生まれた」とは思っていません。
万年の単位で考えるとき、その途中にはいまとはまったく異なった地形図があったといえるからです。
近いところでは、いまから1万8000年前には、氷期の寒冷化のピークが訪れています。
そしてこの時期の海水面は、いまより140メートル前後も低かったことが知られています。

そうなると、現在、大陸棚となっているところの多くは、地上に露出します。
黄海、東シナ海、タイランド湾などの大部分は地上に露出し、日本列島も大陸と陸続きになります。
つまり海岸線が、いまとはまったく違った様子になります。

人は食べなければ死んでしまうし、縄文時代の遺跡を見れば、人は海に面したところで生活をしていた(貝塚)ことがあきらかで、しかも氷期でいまよりずっと寒くて人口も少なかった時代であれば、人々はより住みやすい南方に長く住んでいたであろうことは、十分に合理的に説明ができることです。
そしてそれが万年の単位であれば、そこで行われていた占いから文字が生まれたとしても、何ら不思議はありません。

ところがその居住地が、温暖化によって次第に海に沈む。
そうなれば、人々は、いまある海岸線の位置にまで後退して住むようになり、これによって、日本列島、琉球諸島、China、フィリピン、インドネシア、ベトナムなどに、人々が別れて住むようになったであろうことは、これまたごく自然な成り行きであったのであろうと思うのです。

そういう次第ですから、私は、「日本人がどこからきたのか論」には疑いを持っています。
日本列島には、北から来た種族と南から来た種族がいた云々という渡来説には、「なぜわざわざ渡来したのか」という素朴な疑問への答えがないからです。

むしろ、もとはいまある海上のどこかに住んでいた(ひとつだった)ものが、海岸線の変化によって分断され、自然とそれぞれの地域に分かれて住むようになったということのほうが、はるかに説得力があるように思えるのです。
そしてもとがひとつであるのなら、文字ももとはひとつであったはずです。
それが長い年月間に、地域ごとに使いやすいようにいろいろと工夫され、発達していった。
記号を組み合わせて会意文字とする(漢字にする)ということを考えた人たちもいた。
記号そのものを、もっと書きやすく筆記体化させていった人たちもいた。
記号の持つ意味を探求して、パターン化していった人たちもいた。
そしてそういうものの、すべてが、太古のままに生き残ったのが「日本に残されている」ということなのではないかと思うのです。

つい最近まで(というか最近でも)地方ごとに方言が異なるように、かつてはそれぞれの地方ごとに、その地方の文化を伝えるのに適したいわば「地方文字」もしくは「方言文字」として、様々な「神代から続く文字」があったと考えて、なんら不思議はないのです。

ここまできて、古事記序文に書かれた天武天皇の御言葉、「諸家が持っている帝紀や本辞」の意味が明らかになってきます。
諸家が、それぞれ異なる神代文字で書き残していた史書を指しているということです。
地方ごとに豪族たちが、独自の文字で文書記録を残していたと考えるべきなのです。
それらはすべて五十音である点は共通しています。
けれど文字のカタチが全然違う。

古事記の編纂を命じた天武天皇は、兄の天智天皇の改革路線を踏襲した天皇です。
その兄の天智天皇の即位は、唐と大規模な戦闘(白村江の戦い)があったわずか10年後です。
また再び、戦いがあるかもしれないのです。
実際、唐は日本遠征計画を具体的に立てていましたし、この時代(7世紀)には、鉄は倭国オリジナルではなくなっています。

古事記にある天武天皇の「いまその誤りを改めなければ、幾年も経ないうちに日本はなくなってしまうであろう」という言葉は、共通の文字を確立して日本国内の意思伝達をひとつの言語で行なうようにしなければ、日本に唐が攻め込んできた時に、日本そのものがなくなってしまうという、強烈な危機感なのです。

だから天武天皇は、太安万侶に古事記の編纂を命じたのです。
古事記は、全部、漢字で書かれています。
けれど、その漢字は、漢文として書かれたのではなくて、漢字の音だけを用いた、つまり漢字をカナとして用いたところが随所にあります。というか、むしろその方が多いくらいです。
古事記では、その都度漢字の横に「以音」と、注釈がしてあります。
「以音」というのは、漢字は使っているけれど、音だけを採用していて、その漢字には意味がないという意味です。
つまり漢字を「カナ」として用いているのです。

この時代、地方ごとに異なる文字が使われていた一方で、漢字は外国語として日本全国に共通に普及していました。
だから共通語として、外国語である漢字を使って、全国各地の神代文字で書かれた史書を統一したのだと考えるのは、ごく自然ななりゆきです。

このことがわかると、古事記と同時期に編纂された日本書紀が、なぜ綺麗な漢文で書かれたのかも説明がつきます。
日本書紀が美しい漢文で書かれ、これが子供達の教科書になれば、子供達は自国の歴史や道徳を学べるだけでなく、外国語である漢文を、普通に読み書きできるようになります。
日本に攻め込もうとする唐の人々には、日本語はわかりません。
ところが日本人は、唐の国の文書を誰もが読み書きできるのです。
これは戦略上、国防上、ものすごく有利な国家インフラです。

古事記の文章の構造を読むと明らかなのですが、常に「問題提起」した後に「その回答を示す」という書き方になっています。
つまり、すべてにおいて「目的を持ってはじめる」という姿勢が一貫しているのです。
それが日本的思考です。

外国語を共通語にするということについては、おもしろいエピソードがあります。
明治時代、大山巌は、会津藩の大山捨松に一目惚れし、二人は結婚しました。
ところが、大山巌は極端な薩摩弁、捨松は極端な会津なまりです。
両者とも日本語で話しているのに、二人はまったく言葉が通じない。
そこで二人は、大山巌が英国に、捨松が米国にそれぞれ留学経験があり、両人とも英語に堪能でした。
そこで二人は、初デートのとき、なんと英語で会話しながらデートしたのです。

古事記の時代、天智天皇、天武天皇の時代というのは、
一方に、日本語の表記が、各地方ごとに全部バラバラで、異なる神代文字が使われているという状況があり、
一方に、他国侵逼の国難が迫っているという、
国家緊急時の時代です。
そのようなときに、どの神代文字を我が国の共通語にするかで、国内で喧々諤々やっていては、もう間に合わないのです。

であれば、「外国語」として国内に広く普及している漢字を、この際、共通文字として日本語表記に使ってしまえ!というのが、実は、古事記における初の試みであったわけです。

つまり、ひらがなも、カタカナも、もともと神代文字があったからこそ生まれた文化なのだと考えた方が、明らかに歴史を合理的に説明できるのです。
そして日本に、漢字渡来以前に、すでに高度な文化文明が栄えていた事実も、これによって裏付けることができます。
神代文字は、縄文時代の土器や、弥生時代の石版や、銅鏡、銅矛にも、たくさん見出すことができます。
いまは、それらが「意味不明のただの模様」として扱われていますが、実は、それが神代文字である可能性が高いのです。

古事記には序文があります。
そこには、天武天皇の詔(みことのり)として、次の記載があります。
「天武天皇は申されました。
 『諸家が持っている帝紀や本辞は、
  事実と異なるし、
  またその多くに虚偽の記述がある。
  いまその誤りを改めなければ、
  幾年も経ないうちに、
  日本はなくなってしまうであろう。
  歴史は国家の大本です。
  そこで巷にある様々な帝紀から撰録し、
  旧辞を取捨選択して、
  偽りを削り、まことを定め、
  後の世に伝えたいと思う。』」

この詔が発せられたのは西暦681年のことであったと、これは日本書紀にはっきりと特定があります。
つまりこれは事実であったということです。
そしてこの詔には、重大な事実の指摘があります。
「古事記の前に、諸家ごとに、さまざまな史書が伝えられていた」
という指摘です。

このことは、実は「古事記以前に書かれた史書があった」というだけにとどまりません。
古事記以前に書かれていた史書が、諸家ごとに、それぞれの地に古くから伝わる神代文字で書かれていた可能性を示唆するからです。

一般に、上代の人々には文字がなく、人々は口伝で歴史を伝えたとされています。
漢字が伝わったのは、仏教伝来と同じく、西暦552年のことであったといいます。
だから、
「それまで日本には文字がなかった」
「カタカナやひらがなは、漢字を変形させて作ったのだ」
といわれています。

しかし、仮にもしそうであるならば、
「なぜ日本語には「ア」から「ン」で終わる五十音があるのか」
「日本語の五十音は、いつどのように形成されたのか」
という素朴な疑問に、合理的な説明を行うことができません。
なぜなら漢字には50音という思想はないからです。

実は50音というのは、非常に不思議な分類といえます。
なぜなら、日本語には「が」や「ば」のような濁音もあれば、パピプペポのような半濁音もあります。
ギャ、ギュ、ギョのような拗音、他にも破裂音、摩擦音、鼻音、はじき音(巻き舌でラと言う時など)、ヤ行、ワ行の子音のように母音に近い接近音もあります。
つまり、日本語の発音は、50音だけには収まらないのです。

このことは、裏返しにいえば、50音には、音声の発音とは別に、何か特殊な用途があったことを示唆します。
このことについての合理的な説明としては、やはり古代において盛んに行われ、古事記にもその事実が記載されている鹿骨占いや亀甲占いが挙げられます。
鹿骨占いや亀甲占いは、日本に限らず広く東南アジア全体に普及していた占い手法で、鹿の骨などを焼き、このときにできるヒビ割れのパターンで、様々な御神意を得るというものです。
ヒビ割れのパターンは、「ー」であったり「|」であったり「/」であったり「\」であったり「・」であったり、様々な模様が生まれます。

長い歳月占いで用いられれば、次第にそのヒビ割れのパターンが類型化され、それぞれに名前が付いても何らおかしくありません。
そしてそのパターンが記号化されることは、ごくあたりまえに起こることです。
そして当然、ひとつひとつのパターンには、「音」での名が着いたことでしょう。
つまり、パターンに「音」が着くようになる。
すると、今度は、音をパターンで表すようになることも、ごく普通に起こりうることであろうと思います。

こうして50種の音による記号が完成する。
その完成された50の音が、それぞれの地方ごとに、図形化されて文字になる。
これもまたごく自然な行動といえます。

つまり論理的に考えれば、鹿骨占いがあり、そのヒビ割れ模様がパターン化され、そのパターンごとに一音が割り当てられることで、今度はその記号が、文字として活用されるようになると考えることができるわけです。

漢字は、象形化された記号の組み合わせによって成り立っている文字ですが、ということは漢字が生まれる以前に、「亻」なら人を表し、「尹」は手にムチを持っている姿という記号化が先に生まれ、普及していなければならないはずです。
このように考えれば、漢字以前に、一音で何らかの意味を表す記号化されたものを文字として扱う文化が、どこかで先に生まれていなければならないはずなのです。
そしてそれこそが、日本に残る神代文字なのではないかと思います。

そもそも「西暦552年の漢字渡来まで、日本には文字がなかった」という説にも疑問があるのです。
なぜなら、日本に文字を扱う文化がなかったのなら、日本に「金印」が贈られることはありえないからです。
「漢委奴国王」と記された金印は、江戸時代に福岡県の志賀島で発見されました。
この金印は、西暦57年に倭国にある奴国の国王が漢に使いを送り、漢の皇帝が授けた金印です。
このことは、Chinaの史書である『後漢書』に明確に記されています。
漢字渡来とされる年より、500年近くも前の出来事です。

みなさまよくご存知の『魏志倭人伝』にも、魏の皇帝が「親魏倭王」と記した金印と、銅鏡100枚を倭国に贈ったと記載されています。
魏が成立したのは西暦220年、滅亡が265年、つまり3世紀の出来事です。
ということは、魏から日本に金印が贈られたのは、間違いなく3世紀の出来事です。
そして「印」というものは、文書に押印するためのものです。
つまり、1〜2世紀の日本で、文字が存在しなければ、漢の皇帝も、魏の皇帝も、日本に「金印」を贈ることなどありえないのです。

とりわけChinaにおいて、金印というのは特別な意味を持っています。
Chinaの印には、玉印、金印、銀印、銅印の区分があります。
玉印は、象牙でできた印であり、これはChina皇帝だけが用いるものです。
金印、銀印、銅印は、Chinaの皇帝が下賜する印です。
これには明確な序列があります。
オリンピックのメダルと同じです。
金印をもらえる国は、一等です。それはChinaと対等もしくはそれに近い国力を持った国です。
銀印をもらえる国は、二等です。それはChina皇帝の傘下にあって郡長程度の国力のある国です。
銅印をもらえる国は、三等です。それは村長さん程度の国です。

漢や魏が、倭国を文字も扱えない遅れた国だと認識していたなら、日本には、良くて泥印しか与えられなかったことでしょう。
そもそも日本に文字を操る文化がなかったのなら、そもそも印を授ける理由さえありません。
つまり金印が贈られたということは、Chinaの王朝にとって、日本がChinaと対等な国力と文化を持った国であると認識されていたということです。
残念ながら、Korea半島では、歴史を通じてChina皇帝から金印を下賜されたことは一度もありません。
Korea半島は、ずっと銅印だけが下賜されました。
つまり、歴代のChina王朝からみて、歴史を通じてKorea半島は、明確に日本よりも劣る国とみなされていたということです。
それは、詰めていえば、文化レベルの低い国とみなされていたということです。
文化レベルの低い国が、はるか高みにある国に向けて「文字を教えてやった」とか、ありえないファンタジーです。

ちなみに、古代においては、Korea半島の南半分は倭国の領土です。
つまり倭国とChinaの大帝国は、陸続きでした。
陸続きであるということは、侵略の危険と常に隣り合わせにある、ということです。
だからこそ、贈り物をし国交を保ち、敵対したり侵略されたりすることがないように、倭国はChina王朝に気をつかっていたのです。

そしてChinaの王朝もまた、倭国と敵対することがないよう、金印を贈って倭国を懐柔していたのです。
つまり、金印授与は、対等なパートナーシップの証であり、当時のChinaにとって、倭国は「征服征圧するより、国交を持ったほうが得である」と認識されていたということです。

何が「得」だったのでしょうか。
魏志倭人伝の「魏」は、みなさま大好きな『三国志』に出てくる「魏・蜀・呉」の「魏」です。
その「魏」には、有名な曹操がいました。
三国志は、魏の曹操を、憎らしいほど強い奴として描いています。
つまり、それほどまでに、曹操の軍事力は強かったのです。

なぜ強かったのでしょうか。
理由があります。
魏軍は、鉄製の剣や楯を用いていたのです。
孫権の呉や、劉備玄徳の蜀は、青銅器製の武器です。
青銅器の剣と、鉄製の剣が打ち合えば、青銅器の太刀はポキリと折れます。
圧倒的に鉄製の武器が有利なのです。
魏軍の兵士は、呉や蜀の軍隊を、武器ごと真っ二つに切り捨てることができたし、青銅器でできた楯を、鉄の槍で貫き通すことができたのです。
強いわけです。

では、なぜこの時代に魏だけが鉄製の武器を持っていたのでしょうか。
これもまた理由があります。
倭国が鉄を産したのです。
倭国は、国内でも鉄を掘りましたが、同時にKorea半島の南部でも、さかんに鉄を掘っていました。
鉄は岩を熱して溶かし出します。
これを行なうには、高温をあやつる高い技術が必要です。
そして高い技術は古来、日本のお家芸です。

倭国は、鉄を生活用品に用いましたが、魏は、倭国から輸入した鉄を武器に使いました。
魏の国力をもってすれば、Korea半島を奪うことも可能であったかもしれません。
けれど魏がKorea半島と隣り合っていながらそれをしなかったのは、魏が半島を奪えば、鉄が補充できなくなるからです。
つまり鉄の生産技術は、倭人たちだけのものだけであったということです。

Korea半島南部の倭人たちを脅かして、倭人たちが海を渡って本土に帰ってしまえば、魏は鉄の補充ができなくなります。
それは魏の軍事力の弱化を意味します。
「ならば、征服するより、対等なパートナーとして付き合うほうが良い」
というのは当然の帰結です。
だから金印を贈ったのです。

この時代のKorea半島に倭人以外で棲息していたのは、濊(わい)族です。
濊というのは、臭くて汚なくて人間分類することがおこがましい種族という意味です。
なぜなら濊は、糞尿を意味する汚穢(おわい)の濊であり、しかもそれがサンズイです。
どれだけ汚くて臭かったかということです。
果たして、そんな濊族に文化を教えてもらわなければならないような国に、魏は金印を送るでしょうか。

要するに「漢字渡来まで文字がなかった」と考えるほうが、明らかに不自然です。
そうではなく、独自の文字を操る文化があったから金印が贈られたのです。
そして独自の文字があったからこそ、日本には五十音があるのです。
もっといえば、漢字渡来よりも先に文字があったからこそ、日本語には五十音があるのです。
それが「神代文字」です。

神代文字は、文字ではないという人もいるかもしれません。
しかし伊勢神宮には、稗田阿礼や菅原道真、あるいは源義経などが、まさにその神代文字で奉納した弊が残されています。

もっと身近にもあります。
少し古い神社に行ってお守札をいただくと、その中の紙片に、まさに神代文字が書かれています。
神代文字はファンタジーなどでは決してなく、実際にあったし、いまなお使われている文字なのです。

お読みいただき、ありがとうございました。

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Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
連絡先: nezu3344@gmail.com
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんのひとりごと」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「奇跡の将軍樋口季一郎」、「古事記から読み解く経営の真髄」などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長?倭塾 塾長。
日本の心を伝える会代表?日本史検定講座講師&教務。
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木曜会定例稽古(2020年7月2日)

2020年07月03日 | 木曜会(誠先生の剣道教室)
四條畷剣友会の稽古も始まった。





2月20日ぶりの木曜会である。
数えてみたら18回抜けたわけだ。

20数名が集まった。けっこう涼しい。
体温と名前を出席簿への記入が新しいルール。

気の付いたことのみ記す。


(本日のマスクは、PITTAマスク)


(右足と左手の連動)


(振りかぶった時も振り下ろした時も体軸がブレないように)




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小森園正雄先生の本「冷暖自知」の話があった。
水の冷暖は自分で飲んでみて知るように、真の悟りは修行を積み重ね、自分で会得するものであることのたとえ。

正確な動作は頭で無く筋肉で覚える。

左手は唐傘を握るように。
柄頭いっぱいに握るか半掛けにする。
小指を半掛けにすると竹刀の先が走るようになる。
小指から、43211の力加減。

右手は鍔から指一本分(甲手の厚み分)離すこと。
あまり離し過ぎると駄目。
小鳥を逃がさず殺さずの力加減。

左手は力点であり支点。
右手は竹刀操作の巧緻性。

構えた時に、手の握りをパカパカ開けたり閉めたりしないこと。

振り上げた時、肘と肩が相手のほうを向くように。(=肘を開かないように)

打った時は左肘が出来るだけ伸びるように。

打った瞬間に、右手の力が入るのと抜くのが同時となると手の内の冴えが生まれる。
振りかぶった時に、いかに力を抜くかが重要。究極の柔らかさからの打ち。(これ宿題)


(動画のキャプチャ-その1)


(動画のキャプチャ-その2)


(動画のキャプチャ-その3)


【感想・反省点】

すり足で、手を前後に大きく振り、体育館を3周したが、ふくらはぎがパンパンになった。
マスクをして素振りをすると、湿気でマスクの中が蒸れてくる。
こういうのはどんなマスクをしても同じだろう・・と思う。

一本ずつの素振りをして気がついたが、手のほうを意識していると足がおろそかになり、
特に構えた時の重心と力点の配分がいい加減になってくるのを感じた。
確か「重心は真ん中、力点は左が7、右が3、打とうとする時のは左が8、右が2」だったかな?

いずれにしろ、左足ふくらはぎがパンパンになってしまった。
腕の筋肉はさほど衰えていないが、足はかなり衰えているのだろう。

本日、アクションカメラを設置して撮影してみた。
内部の充電電池が途中で無くなった。
再生してみたら音量が小さ過ぎるようだ。
やはりこういう固定撮影にはビデオカメラのほうが良いみたいだ。
活用方法を考えてみたい。
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転載 ねずさんのひとりごと「朝鮮の歴史と日本」

2020年07月02日 | 政治や歴史など
コリアン(朝鮮民族、韓国人・北朝鮮人)が認めたがらない歴史的事実一覧
https://blog.goo.ne.jp/kendokun/d/20170501/

の、コメント欄に書き込むためにネットで調べていたら、またもや「ねずさん」の記事に当ってしまった。
なるほどなあ・・・と思うことも多く、ここに転載しておきます。

『ねずさんのひとりごと』 縄文人の反乱 日本を大事に
https://blog.goo.ne.jp/s6990714726/e/ea7a979905087e998749f74b45ffe49f

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『ねずさんのひとりごと』  「朝鮮の歴史と日本」

韓国では、日本の伝統文化はすべて「韓国が教えてあげた」ことになっています。
古代の日本には、文化は何もない野蛮な状況であり、すべての文化は韓国が教えてあげたものなのだそうです。...
実際、その通りに韓国の学校で使用する国定教科書にそのように書いてあります。

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【韓国 国定中学用国史教科書(1985)】
三国(百済、高句麗、新羅)は、互いに対立し競争する中で活発に文化を交流させた。
中国とも交流しつつ独自の美術を発展させる一方で、海を渡って日本に文化を伝え、彼らの文化の基礎を固めた。
百済では阿直岐(あじつき)と王仁(わんいん)が日本に渡って儒学を教え、段楊爾(たんやんい)、高安茂(こうあんむ)らも学問を教えた。
聖王の時代には仏教を伝えてやり、百済と高句麗の僧侶も多数、日本の仏教界を指導した。
儒学や仏教以外にも、美術、音楽、歴史、医学や農業などさまざまな技術を教えた。
ことに雲徴(たむじん)は紙、筆、墨、硯(すずり)の作り方を初めて日本人に伝え、法隆寺の壁画も残した。
日本が飛鳥文化を興し、古代王朝へと発展することができたのは、三国の文化が伝えられたからである。
(別技篤彦著『理解されない国ニッポン』祥伝社)
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時代考証も記述も、よくもまあここまで嘘を書き立てれるなあと逆の意味で感心してしまう記述ですが、これが韓国の義務教育(義務教育ということは、全国民が受ける教育ということです)で実際に使われている教科書であり、こういうデタラメが子供のうちから刷り込まれるわけですから、彼の国の国民が、確信犯的におかしな国民になってしまうのも無理からぬことです。哀れなことです。

そもそも朝鮮半島に、書かれている三国(百済、高句麗、新羅)時代から、すでに「活発で高い文化があった」というなら、その遺跡(遺物や遺構)が韓国に残っていなければなりませんが、残念ながらひとつもありません。

偉そうに「仏教や漢字を教えてあげた」というけれど、仏教も漢字も韓国が発祥ではありません。つまり韓国オリジナルではありません。
「教えた」というのなら、そこに韓国そのもののテイストが入らなければならないのですが、そうしたテイストもありません。

仏教伝来は、538年(日本書紀では552年)で、百済の聖明王の使いで訪れた使者が、欽明天皇に金銅の釈迦如来像や経典、仏具などを献上したのが渡来のときとされています。
朝鮮半島の百済から献上され、渡来したのは事実です。

ところがこの頃の百済(くだら)は、日本の属国です。
国王の世継ぎの王子を日本に人質に出してもいました。
このことは、日本書紀だけでなく、朝鮮半島の史書である三国史記にも繰り返し出て来ます。

世継ぎを人質に出していたということは、どうみても、平等な関係ではありません。
なぜこのようなことになっていたかというと、百済は対立する新羅や高句麗から常に軍事的脅威にさらされていました。
ですから日本に常に、政治的、軍事的、経済的な庇護を求め、むしろ積極的に属国になっていたのです。

百済王は、そのための証に、我が子を人質として差し出していたわけです。
本来、庇護を受けるだけなら、謝礼として、自国の文物や特産品などを献上すれば良いのです。
ところが百済には、産業もなければ産物も特産品もない。
だから、そこで百済王が日本に差し出したのが、自分の息子だったし、支那で流行していた異国の仏教の教典や仏像だったわけです。

ということは、538年に百済が日本に「金銅の釈迦如来像や経典、仏具などを献上した」という事実が物語るのは、当時の百済には、異国の仏像や教典、仏具以外に、献上できるだけの物産が「なにもなかった」ということです。
それを、「俺たちが日本に教えてやった」とは、おこがましいにもほどがあります。

ちなみに日本は神道の国です。仏教国ではありません。
ところが日本は海洋国であり、多神教国ですから、遠い異国深い内陸部にあるネパールあたりで生まれという「ありがたい教え」の教典や仏像、仏具などは、興味津々です。
日本人の好奇心の高さというのは、昔も今も変わりません。

ちなみに好奇心が強い国民性というのは、知的水準の高さを示しています。
好奇心が旺盛ということは、異なる文化に対しても寛容で、吸収力が高いということを意味するからです。
ですから、欽明天皇をはじめ、当時の日本の高官たちが、たいへんに喜んだであろうことは、容易に想像ができます。
けれどだからといって、仏教も、仏具も仏像も、韓国で生まれたものではないのです。

漢字や紙、筆、墨、硯(すずり)にしても、韓国が日本に「教えてやった」というけれど、彼らが言う「教えてやった」という時代は6世紀です。
ところが日本には、「漢委奴國王」の金印があります。
この金印は、後漢書の「卷八五 列傳卷七五東夷傳」に記述があり、後漢の光武帝が西暦57年に奴国からの朝賀使へ金印を贈ったとされています。
西暦57年といえば1世紀です。

印鑑というものは、行政書類に押印するために使われるものです。
文字が使用されていなければ、印は不要です。
金印が証明していることは、すでにこの時代に日本では、文字も漢字も使われていたということです。

ちなみに、支那の歴代王朝は、日本には「金印」を贈っていますが、朝鮮半島の王朝に対しては「銅印」(泥印ともいいます)しか渡していません。
金銀銅の順番は、現代オリンピックの勝者の順番だけでなく、古代においてもまったく同じです。
それだけ支那は日本に重きをおき、逆に朝鮮に対しては露骨に見下していたわけです。
それだけの国力しかなかったからです。

また、片部遺跡から出土した墨書土器は、4世紀前半のものですが、そこにはくっきりと墨痕鮮やかに「虫」という文字が墨書されています。
土器に墨で筆で書かれているのです。
悪いけれど、百済が成立したのが西暦346年で4世紀の中頃ですから、百済成立よりも以前に、日本では墨で書いた文字が出土しているわけです。

さらにいえば、種子島の広田遺跡から出土した貝札は、これは2世紀頃のものとされているのだけれど、そこにも鮮やかに「山」という字が刻まれています。
つまり、346年という4世紀どころか、それよりもはるかに古い2世紀には、日本に漢字は入って来ていて、しかもそれが使われていたということです。

そしてそういう教養と文化の下地があったからこそ、支那でヒンズー語を漢字に翻訳した仏教教典の値打ちを日本人は理解したし、遠く離れた内陸部の異国の文化を、喜んで迎え入れたわけです。

つまり、何を言いたいかというと、冷静に考えれば、「日本が百済に漢字を教えてあげたことはあったとしても、その逆はあり得ない」ということです。

そもそも朝鮮から日本が教わったことって、何があるのでしょうか。
儒学も仏教も、朝鮮で生まれたものではありません。
最近になって儒学の始祖である孔子は、朝鮮人だったなどと韓国の学者が言い出して、支那から総スカンを食っているくらいのことでしかありません。
それ以外の美術、音楽、歴史、医学、農業などにしても、日本と支那との間での様々な文化交流は確認できるものの、朝鮮発の朝鮮オリジナルの文化として日本に渡来したものは、なにひとつありません。

朝鮮半島の歴史を振り返りますと、歴史上、最初に朝鮮半島に登場するのは、衛氏朝鮮(えいしちょうせん)です。
この「衛氏朝鮮」というのは、紀元前195年頃に建国された(いちおう)国とされているもので、山東半島のあたりに生息していた実は盗賊集団です。

支那では、それ以前(紀元前403~221)の時代がいわゆる戦国時代で、有名な魏、蜀、呉(楚)や趙、斉、燕、秦、韓、櫓、宋、周、などの諸国がまさに群雄割拠して争っていました。
これを最終的に統一したのが秦の始皇帝だったわけです。
ちなみに、ここに登場する韓という国は、支那の内陸部にあったチベット系の遊牧民族で、朝鮮半島とは何の関係もない国です。

秦が初めて支那を統一したとき、山東半島のあたりにいた燕(えん)の国王は、秦の始皇帝によって、遼東半島のあたりに封じられたのですが、ほどなく秦が滅び、前漢が統一王朝を建てるわけです。これが紀元前202年のことです。

このとき、燕の末裔たちは、漢に追われて朝鮮半島北部の遼東半島の根本あたりで盗賊団を形成し、朝鮮半島を経由して漢と交易しようとする旅人を襲って飯を食っていました。
それが「衛氏朝鮮」(紀元前195~108)です。

ここで問題になるのが、衛氏朝鮮が襲って食い物にしていた旅人というのが、いったいどういう人たちだったのだろうか、ということです。
当時の朝鮮半島に住んでいたのは、「濊族(わいぞく)」と呼ばれる人たちです。

支那という国は、古来周辺民族の名に、ろくな漢字を充てていません。
たとえば、日本人なら背が低いから「倭」です。これは背の低い人とい意味です。
ですからだいたい、あまり良い字ではないけれど、同時にその国の民をもっとも良く象徴できる字を、その地方の民の名称としてあてがっていたわけです。

では、支那が朝鮮半島にいた人々を「濊族(わいぞく)」と呼んだ、その「濊(わい)」というのがどういう意味の漢字かというと、これは汚穢(おわい)の「穢」です。
汚穢(おわい)というのは、糞尿のことです。
要するに「濊」というのは、糞尿まみれの不潔で汚い奴らという意味です。

しかも、ご丁寧に、支那人たちは朝鮮族について、本来、汚穢の穢なら禾偏(のぎへん)なのに、あえてサンズイで「濊」という字を充てています。
どれだけ汚い奴らと思われていたかということです。

そして濊族たちと前漢の間の国交を示す記録は、どこにもありません。
普通に考えても、汚穢族のような不潔な連中と交易など誰もしたいと思わないし、ということは、衛氏朝鮮も、襲う相手は、どう考えても汚穢族が対象ではなかったといえます。

では、衛氏朝鮮は、いったいどういう人々を襲っていたのでしょうか。
実は、当時の朝鮮半島の南部、いまの韓国の南半分のあたりは、倭国の一部でした。
倭国は、それよりもずっと古い昔から、勾玉(まがたま)を加工して支那に献上できるほどの高い技術力を持った国でした。

このことはとても重要なことで、魏志倭人伝に出てくる魏の国に、日本は勾玉(まがたま)を献上しているのだけれど、その勾玉は、主にヒスイでできています。
ヒスイは硬度が6.5もある硬い石で、鉄の5.5よりもはるかに硬い石です。
その鉄より硬いヒスイの原石を、まだ鉄器がなかった時代に、日本は丁寧に加工して、穴まであけて、勾玉にし、これを物産としていたわけです。
ですから、勾玉はたいへん貴重なもので、倭国が魏に献上した勾玉も3つくらいしかありません。
勾玉は、それほどまでの古代における精巧な加工宝玉だったのです。

そうした倭人たちは、当時のことですから、当然、陸路で、支那に向かいます。
彼らは、まさに宝玉財宝を持った旅人たちです。
衛氏朝鮮は、これを襲っていたわけです。

時代はこれよりもずっと後になりますが、遣隋使、遣唐使の時代、毎回大型船を4〜5艘仕立てて、日本の文物財宝、特に日本は古来、世界有数の金の産出国でしたから、大量の金などを積み込んで、支那へと派遣していたわけです。
そして記録によれば、その成功率は、3割程度で、あとはみんな途中で船が沈められています。

沈んだのは嵐のせいだとかいろいろな説がありますが、嵐のこないシーズンを選んで出国し、九州から、朝鮮半島の沿岸伝いに支那まで行くわけです。
縄文時代には、すでに遠洋航海の技術を発達させ、倭国の時代には朝鮮半島南部を倭国の一部としてさかんに海上での人の行き来があった日本です。
朝鮮半島の沿岸伝いの航海が、「危険な航海であった」ということの方が、実は異常です。

ではなぜ、朝鮮半島沿いの航海が危険なものだったかと言えば、記録にはないけれど、ひとことでいえば、朝鮮族に襲われたとみることがいちばんの正解です。
それ以外に、航海の成功率の低さを納得させることができだけの理由がないからです。

ちなみに、遣唐使、遣隋使の成功率の低さが、外洋船舶の造船技術が未達だったという説を唱える学者がいますが、馬鹿なことを言わないでいただきたいものです。
弥生時代の日本産の黒曜石の分布などをみても、日本は日本海を経由して満洲あたりと盛んに交易をしていますし、外洋ルートで、北は青森から南は沖縄まで、盛んに海上交易をしているのです。
時代をもっとさかのぼれば、縄文時代には南米のエクアドルまで交易の足を伸ばしていた形跡があります。

つまり、それだけの造船技術を持っていながら、遣唐使遣隋使が不成功だったという背景には、もはや人為的な不成功原因しか考えられないということです。
そして旅人を襲って利得を図るというのは、紀元前2世紀の衛氏朝鮮もさりながら、大東亜戦争終戦直後の朝鮮半島において、多くの日本人女性が酷い目に遭わされたり、財物を奪われたり、それこそ、着ているものをふんどしまで剥がして奪ってしまう濊族の行動に、そのまま現れています。

もうひとつ、衛氏朝鮮が、誇り高い燕の国の末裔たちであるにも関わらず、遼東半島あたりで、なぜ「旅人を襲う」盗賊団を営んでいたかという点についても触れて置きます。

どいうことかというと、旅人などを襲わなくても、本来なら自分たちで農業を営み、あるいは狩猟採取、放牧などを営み、あるいはもっというなら近隣の民家を襲って食物などを提供させればよかったはずなのです。
にも関わらず衛氏朝鮮が盗賊をしていたということは、2つの理由以外あり得ません。

その2つとは、ひとつは、近隣を含むそのエリアに、略奪に足るだけの集落が育っていなかった(汚濊族では
話になりません)、もうひとつは、燕の復権を望む衛氏にとって、盗賊する旅人たちは、お家の復興のために役立つだけの充分すぎるほど十分な財宝を所持していたということです。

では、その財宝を所持していた旅人たちというのは、どこの人たちでしょうか。
ひとつは、前漢の使者たちでしょう。
それなら、国交交易のために、豊富な財物を持っていたとしてもおかしくはありません。

しかし、その前漢の使者たちが、どこに行こうとしていたかが気になります。
少なくとも、その交易相手が汚穢以外に産物の何もない濊族であるとは、到底考えられません。
ということは、使者たちの交易相手は、濊族ではない、ということです。

しかも衛氏朝鮮があったのは紀元前2世紀です。
朝鮮半島に百済や新羅が誕生するのは、衛氏朝鮮よりもずっと後の4世紀です。
高句麗は、少し早い時代ですが、それでも成立したのは紀元前37年で、衛氏朝鮮が滅んだ、ずっと後の時代のことです。

結局言えることは、いまの韓国の南半分が倭国であったこと。
その倭国との交易には、常に高価で素晴らしい献上品が漢と倭国の相互に行われていたこと。
つまり、倭国との国交上の使者を、衛氏は襲っていたということ以外には、考えられないのです。

そして、その大切な倭国との交易に、邪魔な衛氏朝鮮は、ついに漢によって紀元前108年に討伐軍が差し向けられ、完全に滅んでいます。
要するに衛氏朝鮮は、滅ぼされても仕方ないほどの、悪行を重ねていたということです。

私がこうした説明をすると、
「いやそんなことはない。朝鮮半島には衛氏朝鮮よりも前に、箕子朝鮮(きしちょうせん)や、檀君朝鮮(だんくんちょうせん)があったではないか」という人がいましたが、これこそ大爆笑です。

「箕子朝鮮(きしちょうせん)」というのは、紀元前1122年から紀元前194年、つまり衛氏朝鮮が誕生するまで、約千年続いた朝鮮王朝だというのだけれど、そもそも「朝鮮」という名称は、明の洪武帝(こうぶてい)から李氏朝鮮が与えられた名前で、これは14世紀になってからの出来事です。

では、三国志魏志伝に書かれた「箕子朝鮮」は何かというと、これあ遼東半島にいた鮮卑(せんぴ)の一族のことを指します。つまり、朝鮮半島とは何の関係もない地域にあった王朝というわけです。
もっというなら、朝鮮半島のお隣に、たまたま古代に「朝鮮」と呼ばれていた種族がいたから、これをちゃっかり拝借しているだけの話でしかありません。

さらに檀君朝鮮(たんくんちょうせん)に至っては、建国されたのが5011年前とのことですが、これは、日本でいったら明治時代に朝鮮半島で捏造された神話にすぎません。

当時、明治維新による近代化を成し遂げ、日清戦争にも勝利した日本には、支那からたくさんの留学生がやってきました。
当時の日本は、神武天皇以来2500年を皇紀として使用していました。

これに影響を受けた支那人留学生たちが、じゃあ、自分たちの国にもそういう歴史を作ろうじゃないかということになって、突然、降って湧いたように言い出したのが「中国5千年の歴史」です。
日本が2500年だから、とりあえずその倍くらいにしとけ、といって言い出しただけのものです。

そしてこれに刺激を受けた朝鮮の学生たちが、中国が5000年なら、俺たちはそれよりも11年早く、5011年の歴史にしよう、と言い出して捏造したのが壇君神話です。
なぜそこで+11年にしたのかわかりませんが、同じ嘘でも、「日本の二倍にしとけ」という、ある意味雄大な(笑)支那に対し、たった+11年という”せこさ”は、いかにも朝鮮族らしいといえるかもしれません。

要するに、「箕子朝鮮(きしちょうせん)」も、「檀君朝鮮(たんくんちょうせん)」も、捏造でしかないのです。
そして歴史上、朝鮮半島に、最初に登場する国が、泥棒国家の「衛氏朝鮮」であり、これを漢が滅ぼしたというのが歴史の事実です。

そして、衛氏朝鮮を滅ぼした(紀元前108年)漢は、朝鮮半島内に、楽浪郡(らくろうぐん)、新番郡(しんばんぐん)、臨屯郡(りんとん)、玄菟郡(げんとぐん)という4つの郡庁を置いています。
ところが、楽浪郡以外の3郡は、またたくまに閉鎖され、遼東郡よりも南側には、楽浪郡だけになってしまいます。

この楽浪郡が、どこにあったかというと、いまは北朝鮮の首都となっている平壌で、どうやら郡庁ですから、城塞都市が、ここに形成されたようです。
この城塞には、年中、濊族が攻めて来たと記録されています。

戦というものは、戦えば、たいていは双方に捕虜ができたりして、そこに一定の文化交流がなされるものなのですが、不思議なのは、平壌の城塞内からは、たくさんの文化的遺物が発見されるのに、その城外からは、支那の遺物に相当するものが、まったく発見されていないことです。

これが何を意味しているかというと、汚穢族がたむろしている未開の野蛮地帯に前漢が城塞都市を築いた。
すると、その城塞には、年中汚穢族が攻めて来た。
けれど、その都度、楽浪郡庁は、汚穢族を完全に撃退していた、ということです。
もっというなら、それほどまでに大きな文化的ギャップが、楽浪郡庁と、周辺の汚穢族の間にあった、ということでもあります。

そして、しばらくすると、この楽浪郡庁の南側に、帯方郡庁が置かれました。
これがいまのソウルです。
ここでも、やはり、周辺との文化交流の痕跡はありません。

しかし、これまた不思議なことです。
盗賊をしようと襲撃を繰り返し、その都度撃退されているだけの汚穢族しかいないエリアに、どうして漢は、郡庁などをわざわざ設置したのか、という疑問です。

その答えが、冒頭の図にある馬韓、弁韓、辰韓です。

この馬韓、弁韓、辰韓のあったあたり一体を、古代においては伽羅(から)といいました。
そしてその伽羅は、倭国の領土で、倭人たちが入植するエリアだったのです。

倭国というのが九州一帯にあったことは、いまでは疑いのない事実です。
そしてその倭国の領土は、魏志倭人伝などの記述を正確に読むと、帯方郡の南にあるとされているわけです。
海は渡りません。
馬韓、弁韓、辰韓のあたり一体、つまり伽羅も倭国であり、その倭国は海を隔てた南側に四方を海に囲まれた大きな陸地にまたがると記述されているのです。
つまり、それは九州であり、つまり、伽羅から九州にかけての一帯が、倭国だったわけです。

おもしろいことに、現代においても、朝鮮族の人たちは、自分たちのことを「韓族」と呼びます。
その「韓」は、「漢」と同じ音です。
けれど、彼らは同時に、じぶんたち民族のことを「KARA」とも呼びます。
「KARA」は、漢字で書けば伽羅です。
これは韓とは音が違います。

後に馬韓の一部に百済ができ、辰韓の一部に新羅ができますが、百済は新羅に滅ぼされ、高句麗もまた、支那と結んだ新羅に滅ぼされています。
そして新羅は、支那の属国となり、その属国が高麗、李氏朝鮮と変化して、いまの南北朝鮮となっています。

つまり、支那(漢)族の武力によって、エリアの支配をし続けてきたから、自分たちのことを「韓族(漢族)」といまだに読んでいます。
けれど、同時に、6世紀には滅んでしまった伽羅を、いまだに民衆レベルでは懐かしんで、自分たちのことを「KARA(伽羅)」とも読んでいるわけです。

現代韓国では、前朴大統領のときに漢江の奇跡を実現し、朴大統領は暗殺被害にまで遭っているけれど、いまだに国民経済に富みをもたらした前朴大統領は、国民的人気を持っているわけです。
これと同じで、朝鮮族の人々にとって、豊かで平和だった伽羅の時代、いまから1500年も昔に滅んだ伽羅の国が、いまだに、どこか本能で懐かしむ気持ちがあるのかもしれません。
そしてその伽羅は、まちがいなく、倭国、つまり日本だったところなのです。

日本の領土なら、人々は「おおみたから」ですから、民衆こそ第一とする施政が行われます。
民は富み、産業も盛んになり、だからこそ、支那は、倭国、伽羅との交易の必要上、帯方郡、楽浪郡といった郡庁までおいて、倭国との交易の安全を期したのでしょう。
それ以外に、支那が帯方郡、楽浪郡をあえて置く理由がないのです。

しかし、倭国の影響を受けた濊族の一部が、百済を興し、新羅を興しました。
そしてこの両国は、日本に朝貢し、日本の技術を導入することで富を貯えました。
そして両国は、国力を養ったものの、結局新羅が裏切って支那と結び、百済を滅ぼしたうえで、高句麗も支那の軍事力を借りて滅ぼし、新羅王朝を形成しました。

その新羅も、やはり国を裏切って支那と結んだ高麗によって滅ぼされました。
その高麗も、支那と手を組んだ李氏朝鮮に滅ぼされました。
そしてずっと朝鮮半島は、支那の属国とされ続けてきました。

代々の支那の王朝は、李氏朝鮮王から収奪をするだけです。
その朝鮮王は、部下の両班から収奪するだけです。
その両班たちは、庶民から収奪するだけです。
ところが産業もなけば特産品もない。
献上できるのは、女たちだけです。
だから、朝鮮半島では女性はまさに性の道具としてしか扱われてきませんでした。

そんな哀れな状態に、明治にはいって、やっとのことで日本が支那と手を切らて独立させてあげたのに、今度はロシアと組もうとしたり、朝鮮の独立だといって関東大震災で火付け盗賊をはたらきました。
とにかく正義や人道が理解できない。
「いまさえ良ければいい」「自分さえ儲かればよい」というその場しのぎの御都合主義しかない。

どうしても日本から独立したいというから、戦後、日本は独立を認めてあげただけでなく、総額21兆円、国民ひとりあたり45万円という莫大な資産を朝鮮に寄贈してあげたのに、彼らはせっかく受け取ったその資産を、結局は朝鮮戦争に費消してしまいました。
世界のトップくらすの富のある国から、かれらはたった3年で世界一の最貧民国に堕ちてしまったのです。

やむなく日本が、あらためて国家予算の3倍のお金をつぎ込んであげて、彼らは漢江の奇跡と呼ばれる大発展を遂げますが、それも工業化とは名ばかりで、実は、日本から部品を供給してもらい、その組み立てと包装をしただけのことです。
ひらたくいえば、実際にはできあがった製品を袋詰めしかしていないのに、「ウリたちの国の生産物だ」「ウリたちは工業国だ」と見栄を張ったわけです。
そして儲けた金は、なんと世話になった日本に対する反日工作に、全部遣ってしまった。
本来なら、国家インフラの整備のために、その儲けた金は遣われるべきだったのに、使い道が世話になった日本への裏切り工作資金です。
あきれ果てます。
それでいま、三たび経済の破綻に瀕し、また日本に助けてほしいと言い出しかねない状況です。
これが個人なら、どうみても、ただの極道者です。

日本人は、へんにやさしくて、韓国の人たちも「同じ人間じゃないか」と、すぐに思いたがるし、困っている人がいれば、なんとかして助けてあげたいと同情してしまいがちです。

けれど、これだけはいえることですが、民族の精神構造というのもは、それぞれがそれぞれごとに、その国の自然環境や政治経済環境と決して無縁ではない。
古来、何の資源もなく、山々も植林をしないから禿げ山、自然環境を壊すだけ壊して、何も手当せず、政治というのは、庶民から財を巻き上げることだとしか考えない。
そういう環境の中で、彼らはすくなくとも二千年間生き残ってきたわけです。
お隣の朝鮮族というのは、顔かたちが仮に私たちとよく似ていたとしても、その内側にあるのは、厳しい言い方になるけれど、残念ながら、まるで映画「バイオハザード」に出てくるゾンビ(汚穢族)の大軍でしかないといえるかもしれません。

もちろん個体差はあります。
積極的に真人間になろうと努力しているまっとうな朝鮮人がいることも事実です。
しかし、そのまっとうな朝鮮人も、国に帰れば、その家族を汚穢族の人質にとられているわけです。

そして、その汚穢族が、実は、なにひとつ日本に教えてくれたことなどないのに、「俺たちが兄だ、俺たちが日本にすべてを教えてやったのだ」と言い張り、それをあろうことか、学校の教科書にまで仕立てて子供たちの教育に使っているという恥知らずなことを、平然とやってのけています。

日本は、そういう朝鮮族のいかがわしさに愛想をつかしたからこそ、9世紀(894年)には、国交を断絶し、国としては明治の開闢まで、ずっと長い鎖国政策をとってきたのです。
(民間交易や将軍クラスの交易はありましたが、天皇による国交は明治まで一切ありません)。

私たちは、そういう歴史を直視し、同時に、海外においても、そういう歴史を日本人なら誰もが堂々と展開できるだけの知識を、日本人の常識として、あるいは世界に向けて真実の常識として、定着させていかなければならないと、私は思います。

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Author:小名木善行(おなぎぜんこう) HN:ねず
連絡先: nezu3344@gmail.com
執筆活動を中心に、私塾である「倭塾」、「百人一首塾」を運営。
またインターネット上でブログ「ねずさんのひとりごと」を毎日配信。他に「ねずさんのメールマガジン」を発行している。
動画では、CGSで「ねずさんのふたりごと」や「Hirameki.TV」に出演して「奇跡の将軍樋口季一郎」、「古事記から読み解く経営の真髄」などを発表し、またDVDでは「ねずさんの目からウロコの日本の歴史」、「正しい歴史に学ぶすばらしい国日本」などが発売配布されている。
小名木善行事務所 所長?倭塾 塾長。
日本の心を伝える会代表?日本史検定講座講師&教務。
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