稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

長正館剣道定例稽古(2020年1月15日)

2020年01月16日 | 剣道・剣術
大阪市東住吉区の矢田中学校の体育館で毎週水曜日19時半から。
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【長正館練習生募集中】
初心者、元経験者、有段者を問わず募集中。
レベルに応じて個別指導を行います。
詳しくは長正館ホームページまで。
http://doujyou.net/choseikan/
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寒い。人数は13名。うち小学生3名。中学生2名。


























【感想・反省点】

咳は相変わらず止まらない。
少しだけ稽古に参加したが咳が出ると中断してしまう。
集中力は無い。精神力だけではどうにもならぬ。
やはり健康が何をするにも基本である。

S口二段には中心を取りつつ一歩入って出小手を打つ稽古。
A弟くんには踏み込み足の稽古。
A兄くんには、打ってからの剣先を特に意識させた。
あと、I口二段、K芦五段、K部五段と稽古した。
それぞれ課題あり。私も同じ。まずは体調を治さねば。
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№90(昭和62年9月11日)

2020年01月15日 | 長井長正範士の遺文


○9月15日「敬老の日」を迎えるに当って
これは新聞にも載っていましたが、なかなか良いことを言ってあるので皆さんに私見を混じえてお話しておきます。
此頃、ワープロやパソコン、テレビ、その他電器製品が次々と新製品が発売され、市場に出廻ると、今迄もてはやされたものが、忽ち古い製品となって値打ちが無くなってしまう。然し盆栽や美術工藝品など良いものは、古くなるほど益々価値が出てくるように、われわれ人間も年をとるにつれ、価値ある立派な人物になる不断の修養が大切である。あのキリストや釋迦のように、今尚、いや永遠に偉大であり、光を放っているように。

ところで「老」という文字ですが、この老は、ただ「古い。衰える。としより」という意味だけでなく、「位の高い人」「深い経験を積んだ品格のあるすぐれた人」という意もあることを忘れてはいけません。昔、江戸時代の重要な役職を「大老。老中。家老」などと呼んだことがこの事を示しています。あの寛政の改革を行った松平定信が老中の筆頭の座に就任したのは僅か三十才の時でした。このように「老」はただの年寄りだけの意ではない事がよく判ります。中国では学校の先生を「老師」と呼びますが、これとて、年寄りの老先生だけをそう呼ぶのではなく、若い先生に対しても「老師」と敬称をつけるのです。

さて、来る九月十五日の敬老の日ですが、ただ単にお年寄りを敬うだけでなく、多少お若くとも立派なすぐれたお方をも心新たにして敬う日であるという事を私は念頭において、己れのよき反省の日としております。この意味あいに於いて、私は手紙を出す時、剣道の先生方は勿論何々先生と書きますが、剣道家以外の先輩、友人、又平素私の後輩であっても立派なお方は皆等しく「老師」「老大人」又「老漢」等と書き敬意を表わします。最近では「敬老」精神がうすらぎ「軽老」にもなりかねない時代になってきているような気がして大変淋しい思いが致します。ここにおいてわれわれ剣道を修行する者は、年老いて益々磨きのかかった立派な人間に成長してゆくよう剣道即実生活の実を挙げて終生修養を積み重ねていかなければならないと思うのであります。 この項終り

○ウイリアム・アーサーは教師の段階を次のように言っている。
1)凡庸な教師はしゃべる。
2)良い教師は説明する。
3)すぐれた教師は示す。
4)偉大な教師は心に火をつける。と。
立派な格言でわれわれ少年剣道の指導に当る者にとって大変勉強になる戒めと反省しております。

○人間は生まれた時は肉体が先で、精神はあとだが、凡人は精神が先に死に、肉体はあとから死ぬ。立派な人は肉体が先に死に、精神はあとから死ぬ。虎は死んでも皮を残す。人死んで何を残すか、名を残し流れを残す。私は小野派一刀流を大阪いや関西一円に残す責任がある。これがために、東京からわざわざ小野十生先生が道場に来られ、私に指導されたのである。その当時、笹森順造先生の道場へ小野先生につれて行って貰い、格別の温かいご指導とお励ましの言葉を頂き、今も尚、私の耳の奥底に、ありありと残っている。それは「長井さん、小野先生の意図を良く体し、しっかり一刀流を身につけ、先生のご恩にお応えして大阪はもとより関西一円に正しく広めて下さい」と笹森先生の温顔からほとばしるおやさしい中にも凛としたお言葉に、私は感激の余り眞赤になり涙ぐんで「ハイ!有難うございます」とそれだけを申し上げるのが勢一杯だりました。偉大なるは笹森順造先生と感銘を受け、私はこのすばらしい一刀流との出合いにつくずくと、わが先祖に感謝し、それ以来、小野派一刀流を日夜励み、今日に至っております。以上
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鼻の病気「後鼻漏」について(その2)

2020年01月14日 | つれづれ
(その1)の続き

風邪を引いたのがきっかけで職場の近くの耳鼻咽喉科に行くようになった。
風邪でも内科には行かない。私の体質は耳鼻咽喉科系が原因で風邪の症状が出るから。

案の定、耳鼻咽喉科の院長から「アレルギー性鼻炎ですね」と言われた。
鼻の奥が炎症を起こして鼻汁が咽喉の奥の炎症を引き起こし、
咳や発熱など、あたかも風邪のような症状が出るのだと言う。

噴霧器治療の治療が定番の医者だが、
座ると目の前に「後鼻漏(こうびろう)」の説明書きが張ってある。



張り紙には、
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鼻水がのどに流れたりしませんか?
□鼻水がのどに流れる
□のどがイガイガする
□のどに違和感がある
□のどがいつも痛い
□いつも痰がからむ
□長く話していると咳が出る
□常に鼻炎である
□咳が長引いている
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これすべてがぴったり当てはまる。
まさしく私は「後鼻漏」なのだと確信した。
振り向いて院長先生に聞くと「うん、あんたは後鼻漏や」と言われた。

「後鼻漏(こうびろう)」は初めて聞く言葉である。

鼻水がのどに落ちる、後鼻漏(こうびろう)
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後鼻漏は、異常な鼻水がノドの方へ流れ落ちてくる症状です。
いくら鼻をかんでも鼻水は前方から出ず、絶えずノドに流れ込んでしまい、その鼻水を口から吐き出し続けるか、飲み込み続けるしかありません。その不快感はとても大きく、重症になると食事や睡眠などの日常生活から対人関係にまで弊害を及ぼします。例えば鼻・副鼻腔の感染性後鼻漏、アレルギー性後鼻漏、好酸球性後鼻漏、術後性後鼻漏、形態性後鼻漏、自律神経性後鼻漏、加齢性後鼻漏など、様々なタイプがあります。
(アレジオ銀座クリニックのサイトから拝借)


(鼻の治療器、超音波式ネブライザ)


(鼻に差し込む部分は一回ごとに交換し洗浄される)


(噴霧中)


(処方された飲み薬、他に大量のうがい薬を処方してもらった)

咽喉を痛めているとそこから免疫が低下するのか発熱することもある。
アレルギー性鼻炎は後鼻漏を生み、後鼻漏は咽喉を痛める。
咽喉を痛めると風邪を併発しアレルギー性鼻炎がますます悪化する。
結局は悪循環の連鎖で慢性化してしまうというわけだ。

医者は「完全な治療法は無い」と言う。「悪くなる前に来なさい」と言われる。
悪くなるから医者に行くのであって悪くなる前に医者に行くほどヒマでも無い。

ようするに鼻に爆弾を抱えているようなもので、いつ爆発するかはわからない。
生まれつきの体質的なものなので、騙しだまし付き合っていくしか無いのだ。
困ったものだが、死ぬまでこのアレルギー性鼻炎と付き合っていくことになるのだろう。

洟垂れジジイにはなりたくないなあ・・・
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鼻の病気「後鼻漏」について(その1)

2020年01月13日 | つれづれ

(画像はDRUGユタカのサイトよりお借りしました)

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物心ついた時から鼻が悪く、
小さな頃はセーターの袖を鼻でテカテカにしていた記憶がある。

鼻はだいたい詰まっているので口で呼吸をする。
口で呼吸をするのでいつも口を開けている事が多く当然アホに見える。
小学校の時に担任の先生に「粕井くん、口を閉じなさい」と度々叱られた。
口を閉じたら息がほとんど出来ない。詰まった鼻で息をするほど苦しいものは無い。
強盗に襲われて口をテープで覆われたら確実に死んでしまうと確信していた。

いつも、ぽか~と口を開けてるか洟(はな)をたらしているかで皆から馬鹿だと思われていた。
小学校3年に、母親はこの担任に「粕井くんは頭の線が一本切れてますね」と言われたそうだ。
ティシュなどはまだ無い時代。ポケットにはいつも大量の鼻紙を持っていた。

小学校の頃はよく兄弟喧嘩をした。
兄弟げんかは一方的に殴られたり押さえつけられたりした。
豪快に殴りつけてくるのは長兄。馬乗りで押さえつけ上から顔にツバを落とす陰湿なのは次兄。
いずれにしても小さな頃は毎日のように喧嘩をした。きっと生意気な弟だったのだろう。

泣き出すと、涙と一緒に驚くほどの鼻が出る。
鼻が出ると「誠、鼻が通ったなあ」とお袋が喜んだのを憶えている。
確かに、泣きながらも「鼻が通ってるやん」と少し嬉しく思ったことも何度かあった。

余談だが、自分のほうが強くなったと感じた頃から喧嘩はしなくなった。

高校だか大学だか、彼女が出来て一緒に映画を観に行ったことがある。
映画の題名は忘れたが、映画の途中で彼女から「粕井くん、息がうるさいよ」と言われた。
最初、何のことかわからなかったが、私の口呼吸+鼻息がうるさいのだと気づいた。
気づいたがこれは生まれつきで直しようが無い。呼吸に意識が行くと映画どころではない。
気まずい思いで映画館を出た。楽しいデートでは無かった。

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そんなわけで、耳鼻咽喉科は小さな頃からお世話になっていた。
小さな頃は「鼻カタル」と言われた。鼻カタルとはいわゆる「鼻水」のことである。
鼻水を吸い取って薬を噴霧して脱脂綿が先に付いた金属の棒で薬を塗っておしまい。
そんなことで治るわけもない。

「アレルギー性鼻炎」という言葉は無かったが、アレルギーという言葉はあった。
小学生の頃、「トラ」という野良のメス猫が家に居着いて可愛がっていた。
猫がアレルギーの原因と考えたのか「お前の身体のために猫は捨てる」と言い聞かされた。
深夜に母親が「トラ」をどこかに捨てに行き、翌朝、私は布団の中で泣きじゃくった。
アレルギーが心底憎く辛く悲しかった。

中学か高校の頃、鼻中隔弯曲症とも言われた。鼻の隔壁が曲っているらしい。
これが曲っていると鼻が詰まりやすく蓄膿になりやすいと言われた。
鼻茸(はなたけ)もあるとも言われた。
自分の頭の中にキノコが生えてきているのだと想像して怖かった。
手術が必要になるかもと言われたが、その後の医者に手術を勧められたことは無い。

鼻風邪を引くと青っ洟が出て「蓄膿」と言われた。副鼻腔炎のことである。
鼻の奥の目に近いあたりに大きな空洞がある。そこが副鼻腔でここが炎症を起こす。
炎症を起こすと鼻汁は黄色くなり、悪化すると熱が出た。


(画像はDRUGユタカのサイトよりお借りしました)

小学校5年の夏、白浜でクラゲに刺されたことが原因でアレルギー性皮膚炎が始まった。
刺されたのは一箇所だが、全身に湿疹が広がり10年間ほど苦しんだ。
これは本当に困った。鼻どころでは無い。かゆくてたまらない。

何度か京都の北区にある有名な皮膚専門の医者まで母親に連れていってもらった。
自宅から電車、市電をを乗り継いで2時間はかかった。処方されたのは漢方の塗り薬。
薬を塗って上から小さく切ったビニールを貼りテープで止める。
手足全部で10箇所ほどだが毎晩のことで大変だった。

大学になって千葉に下宿し、帰省するごとに京都の医者まで行った。
医者も代が変わり、漢方薬ではなく薬局でも買える「フルコートF」という塗り薬に変わった。
京都まで2時間もかけていく必要も無くなり近くの薬局で自分の小遣いで買いはじめた。

鼻のほうも相変わらずで、薬局で鼻療(びりょう)という漢方薬を買って飲んでいた。
自分のこづかいで薬を買っていたのにはわけがある。
自分はダメな人間だし、自分の病気で親に負担をかけてはいけないと考えていたのだ。

鼻の漢方薬と皮膚病の塗り薬で年玉を溜めた金や月々の小遣いは薬代でかなり使った。
親からすれば大した金額でも無いのだが薬代は親には出してもらわなかった。
今から思えば何故出してもらわなかったのだろうと思うが、
長引いた病気は、劣等感を土台にして妙な片意地をはらせていたのだと思う。
自分の劣る部分はたくさんある。それ以上の欠点を親に言えなかったのだ。

社会人になると体質が変わるのか鼻も湿疹も症状は出なくなった。
湿疹は完全に治ったが鼻は時々悪化する。悪化するが医者に行くほどでは無くなった。

長くなったので(その2)に続く
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長正館一刀流定例稽古・稽古初め(2020年1月11日)

2020年01月12日 | 剣道・剣術


大阪市東住吉区の中野中学校の格技室で毎週土曜日17時から。
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【長正館一刀流館員募集中】
武道未経験者でも構いません。
詳しくは長正館ホームページまで。
http://doujyou.net/choseikan/
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稽古初め。欠席者が多く少し寂しい。全員で10名。
早く来て、時間前にT先生(居合道八段)に打方の指導を行った。

大太刀は前半は私とT先生が打方を務め、後半はFさんとT先生が打方。
時間はかかるが細かいところまで指導を行った。












【感想・反省点】

技によって、宗家と違う遣い方、一刀流極意との差など、理合いの説明も行った。
一つ一つの動きには意味があり、意味を考えたら状況に応じて形を外れる形もある。
そこがわかってくれば形稽古も本当に面白くなる。
本日、気合の入った良い稽古が出来たと思う。

咳はときおり激しくなり苦しい時もあった。
風邪も併発したかも知れぬ。早く治さねばという気持ちが強い。
立場的に少しぐらいのケガや故障で休むわけにはいかない。
責任感とはそういうものだろうと思う。
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とんぼ堂の刺繍ミシンを譲りました!(2020年1月10日)

2020年01月11日 | つれづれ
昔のことだが、とんぼ堂の創世記には何をして良いかわからず、
オリジナルの刺繍ワッペンや竹刀袋なども作って売ろうと考えていた。

それまでミシンなどいじった事も無いのに結構高価な刺繍ミシンを買ってしまった。
取り扱い説明書を見ていじってはみたものの、
ほどなく自分には縫製関係の仕事は向いていないのがわかった。

あきらるのも早く、ミシン一式は知り合いに貸し出して何年も経ち、
昨年手元に戻って来たが使い道も無く、稽古会で会ったK井さん(ご主人)に声を掛けていたのだ。

K井さんのご自宅は島本町で、自宅の奈良からは小一時間かかる。
運び入れたら1時間ほどで帰るつもりが、ご主人もおられ、仕事の話、剣道の話、
バイクの話などなど、話が楽しく弾みに弾み、3時間ほども長居してしまったのである。

ご自宅の素晴らしい工房も見せていただいた。
本当に良いところに貰われたと感謝感激している。

(肝心のミシンの写真は撮るのを忘れてました)


(K井さんの工房)


(人形用とはいえ、竹刀、袴のヒダ数も本格的に再現してある)


(小さな袋物)


(裏地もついた丁寧な作りである)


(防具入れにお勧めの匂い袋各種)


(香りの元はお好みでブレンドできるらしい)

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お話を聞いているとK井さんは私と同じで商売が下手で、
足が出るようなことを何度も何度も繰り返しているご様子だ。

実は剣道関係は知り合いが多いので頼まれたらイヤとは言えないことも多く無理をする。
私の とんぼ堂の特注品でも言えるが、原価は知れていても、手間や時間が無茶苦茶かかる事が多い。
良いものを作ろうとすると手を抜けないので結局持ち出しが多くなると言うものである。

反省も込めて、いろいろアドバイスさせていただいた。
K井さんの作品は、そのうちお見受けすることもあると思う。ぜひご贔屓に!


(ネズミの匂い袋いただいちゃいました!)


---おまけ---
K井さんのブログ(島本剣生会と私・・・剣道が大好きな私の徒然日記)
https://blog.goo.ne.jp/minekotoryuu
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木曜会定例稽古(2020年1月9日)

2020年01月10日 | 木曜会(誠先生の剣道教室)


四條畷市立四條畷西中学校の体育館。
20時過ぎから21時20分まで。
今年1回目。稽古始め。参加人数20名ほど。

本日、着替えたが、咳が止まらぬため横で見学。

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まずは竹刀の握り方から。
左手は唐傘を持つように。
握った時は左の指先は手首の方向に向く。
力の配分は小指4薬指3中指2人差し指1親指1となる。
親指の拇指球と小指で柄頭を包み込むように持つ。
正しく握って親指を伸ばしたら振り上げた時に45度以上には行かない。
手首のスナップだけで打つ方法もあるが木曜会では推奨しない。

触覚から感じる反応のほうが視覚から感じる反応よりも速い。
剣先を合わさないタイプの人は視覚で剣道をする人である。
気を外す剣風も多いが理に適った剣道を目指すべき。

素振りは左足で身体を送り込むように。出来るだけ遠く。
ヒカガミを丸太棒のようにパンパンにしておくこと。

打つ準備を大事に。準備は「ここなら打てる」という状態。
右足はゆっくりでも良いが左足の引き付けは素早く行う。
構えた形は崩れないように。






(右手の竹刀の握り方指導)


(右手首の使い方)

右手の竹刀を持つ角度が悪いと右肘を使った打ちになる。
結果はスピードが遅くなり、打つ精度も落ち、冴えの無い打ちになってしまう。
「切り手」というものを意識しなければいけない。

木刀を握って刃筋正しく物(タイヤが良い)を打つ練習が良い。
反復稽古によって正しい剣道に修正すること。


【感想・反省点】

前4本、後ろ5本の素振りは良かった。取り入れたい。
歩み足での切返しは剣術稽古でも使える稽古法だ。これも取り入れたい。
右手首の稽古法(切り手で冴えのある打ち)も良い。これも取り入れたい。

打ちがどうこうと言う前に竹刀の握り方が重要であることを再確認出来た。
少しの助言と修正だけで見違えるようになる例をいくつか見れた。
木曜会の初稽古。今年も良い稽古が出来そうだ。
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長正館稽古始め(2020年1月8日)

2020年01月09日 | 剣道・剣術
大阪市東住吉区の矢田中学校の体育館で毎週水曜日19時半から。
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【長正館練習生募集中】
初心者、元経験者、有段者を問わず募集中。
レベルに応じて個別指導を行います。
詳しくは長正館ホームページまで。
http://doujyou.net/choseikan/
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稽古納め。無茶苦茶に寒くは無い。

人数は最終13名。うち小学生3名。
中学生2名は試験勉強でお休み。






















【感想・反省点】

初心者のMさんの切返しがあまりに出鱈目なので列から出した。
マンツーマンで正面打ちと切返しの指導を行う。
打つほうはある程度出来るが受けるほうがまったく駄目。
ある程度出来るようになってから解放した。

2人と稽古するが、稽古後に咳が止まらなくなる。
咳は異常に体力を使う。咽喉が痛い。稽古は無理と判断して休んだ。
風邪では無い。アレルギー性鼻炎が原因だがこの話はいずれまた。

ということで初稽古はさっぱりだった。
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ズズメとメジロ、そして猫

2020年01月08日 | うちの猫の写真
とんぼ堂の事務所は東大阪にある。

事務所はマンションの一階にある。
勤務の前に、マンション周囲のタバコの吸殻などを清掃するのを日課にしている。
これは今は無き、ホワード勤務時代からの習慣である。
ホワードは心斎橋にあったので糞尿や反吐の掃除も何回もあった。
浮浪者がダンボールで寝ていることも多い。起こして移動させるのも日課だった。
掃除は社員の出勤前なので、一部の社員しか知らなかっただろう。



事務所の駐車場に停め、何気なく振り返るとスズメの死骸。
寒さが続いたので飢えで死んだのか、何かの病気だったのか。

スズメの死骸はゴミとして捨てるには忍びなく、
紙に包んで近所の畑に埋めてあげた。

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奈良の自宅の庭の柿の木にはメジロが来ていた。

柿の木の上の方は高くて取るのが難しいのを幸いに残すようにしている。
柿は2年に一度しか実が付かないが、残った柿はメジロが来て余さず食べている。





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夕食後、疲れてガスファンヒーターの前で寝袋に下半身突っ込んで寝てしまったら、
猫の星ちゃん(通称ほっちゃん)が添い寝してくれていたらしい。
あとで写真を見せられ知ったのだがこういうのは嬉しいものだ。



うちの猫3匹は保護された子猫を貰ってきた。
冬場はぬくぬくと過ごしている。
野良のままなら長生きは出来るまい。

飢えで死んだスズメ、残った柿をついばむメジロ、
苦労知らずで、のんびり暮らしているうちの猫たち。

何でも無い話だが、この数日の私の身近な生き物たちの話。
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№89(昭和62年9月10日)

2020年01月07日 | 長井長正範士の遺文
整える姿勢に似ている。但し両足はゴルフの場合、左右に開くところが違うが)、少し切先を手前に引き、地から離し、丁度日本剣道形の四本目の仕太刀の巻き返し面を打つ時の手首をくるりと廻し(右手首下、左手首上で自分からは左上頭上に廻しあげ振りかぶる=この際、切先に重心をおき、丁度分胴をふり回し、その先に張力が集中するように)打つように反動をつけつつ、両足のひざを曲げて腰も下げ、振りかぶった両手の手首をやわらかくして、眼の前から胸まで丸く下げ、この反動で切先が正面打ちのように前の方へゆく時、手元をぐっと前に押し出すと同時に両手のひざを伸ばし、腰も伸ばし、スット一歩右足を前にスリ足で踏み出し(左足も右足に従い=いわゆる送り足で)下図の曲線を手首をやわらげて両握りの手で画き最後に足腰でふんばって重い木刀をとめるのです。



実際にやってお見せしますと“なるほど”とすぐ判るのですが、文章で説明するとなると大変むつかしく私の解説も廻りくどくてお判りにくいと思いますが、要は竹刀や普通の木刀で正面打ちの素振りをやるのとは目的が違うという事をご理解願いたいのです。

○重い木刀は何のための木刀か、それは足腰を鍛えるための木刀であるという事が判っていただければ幸いです。

○さて次に今度はぐっと突くように、とめた木刀を反対に自分の左の方へ木刀の先を廻し、くるっと反動を利用し、ふりかぶって、前回同様左図のように振り降ろし、ぐっと手元、足腰ともに伸ばし木刀を前に突き出してとめます。今度は又右の方へ廻してやる、また左の方へ廻して行い、続けて足腰を鍛えるのです。やって頂ければ、これほど足腰に力が入るものはないくらい強力に足腰を鍛える事が出来ます。

「ホ」のあたりで両手をぐっと伸ばします。木刀がほとんど水平近くに下りる瞬間、ぐっと前方に突くようにして足腰を伸ばし、ぐっと木刀を前に出し手の内を締めて止める。



○以上の他、もう一つ、振りかぶらずに、この木刀をつかって足腰を鍛える方法があります。それは先ず始めの木刀を持った姿勢は前項で申し上げたようにゴルフの構え(足だけ違う=前項通り)から始めるのです。まず重い木刀の先に重心がかかるように両手首をやわらかくし、反動をつけ、切先を自分の顔あたりまで上げると同時に両ひざを曲げ腰を落としざま手元を下げ、上図の「ホ」の所のように、ぐっと手元もひざも腰も伸ばして前を突きとめる方法です。即ちこれは振りかぶらず上図のように切先を反動で動かし、突き止めて足腰をぐっと鍛えるのです。以上、長々と書きましたがお判りにくい方はまた今度お会いした時やって見せたいと思っています。この木刀を頂いた時、約30分やらされ、ぐたぐたになったなつかしい想い出があります。四国一周される時、私を連れて下さった関係上、この木刀を下さったので、末長く大切に道場に置いてあります。


【粕井注記】

現在、この木刀は粕井誠が井上館長から預かり、一部補修の上、奈良の自宅に大切に保管している。


(上は小野派一刀流の木刀)




(呈 長井先生 七十六才 誠宏作)


(全国武者修行記念・下に一部、欠け剥がれがあったので、とんぼ堂で補修した)




(重さ 2,312g)
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No.88(昭和62年9月10日)

2020年01月06日 | 長井長正範士の遺文
○吉田先生は私に竹槍の作り方を教えて下さった。先ず竹の長さは七尺だ。その先の節の根元から六寸の長さにハスリ切り(斜切り)、はまぐり形にして灯油をつけ、火にあぶり、藁に包んでこれをくり返す。又、根の方は三寸の節を残し、三寸の所に五寸の藁をつける。これはすべり止めと負傷した時に使うためである、と。

○袋竹刀の作り方
図(下の右側)のような竹を割って革を被せた。
剣道家は木刀ぐらいは自分で作らねば一人前ではない。竹刀も自分で作る心がけが大切と。吉田先生からひと通り教わったが、これとて剣道の稽古と一緒で数をかけねばならぬ。ところで吉田先生が七十六才の時(私が先生より二十五才下だから当時五十一才の時)、全国武者修行をされ、その記念にと私に椿の古木で作られた木刀を頂きました。朝げいこの一部の方にお見せして、その木刀の振り方をお見せ致しましたが、これは大変参考になると思いますので、他の皆さんのため、次に木刀の大体のところを略図によってご紹介いたします。



○大体、上(上の図の左側)のような重さ、長さ、巾、廻りの寸法で、鍔はありませんが、先生の居宅の裏山にあった椿の古木を切って自然の木目、皮はだを生かし、物の見ごとに作られた逸品であり、私の大切な木刀であります。

○所でなぜ上のように、あえて図を画きましたのは、この木刀で素振りをする方法と目的に大いに関係があるからです。ひとことで言うと実は足腰を鍛えるために作られた木刀であるのです。この重い木刀を黙って人に渡し「素振りしてごらん」と申しますと、普通の木刀を持つようにして、この重い木刀を懸命に振りかぶり両腕や両肩に力を入れて素振りしますが、これでは手や腕、肩に大変力を入れないと振れないのです。かえって何のための木刀かということになります。これは次の方法でやるのです。先ず両手の間際を離さず柄頭一杯につめて握ります。すると上図の「ニ」の約18センチぐらいまでを握ったことになります。体は真っ直ぐに立って、足は正眼の構えに開き、右足の前、約15センチぐらい(身長により加減のこと)の所に切先を静かにおく。次に木刀を持った両手首をやわらかくして(ここまでの姿勢格好は丁度ゴルフの、将に球を打たんとする直前の呼吸を(続く)

註:この木刀について
これは私にだけ頂いたものではなく数名の先生方に記念として差し上げられたので、一つ一つ皆、椿の原木から切りとられる関係上多少違っております。然し私はこの木刀をこよなく愛し、長年つかっている間のツヤと重量感はなんとも言えない逸品です。
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八段気取りの七段先生について

2020年01月05日 | 剣道・剣術
創作です。一般論です。特定の個人を特定するものではありません。
ただし「あれ?自分のことかな?」と思ったら素直に反省を願います。

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自分よりもずっとずっと前に七段を取った先生の話。
何が困るかと言うと、稽古中に「合気にならない」のだ。

初太刀で相手を試すかのように待っている。攻めを感じない。
待っているので自分の打ち間にすっと入って打ちに行くと防がれる。
構えを解いて「打つべき機会では無い」と言われる。

構えあって対峙しても剣先を合わせない。
合わせないが隙を狙っているのはわかる。合わせないまま色を出してくる。
色を出すので反応すると構えを解いて「そんなところで反応しては駄目だ」と言われる。
ま、確かに動じて反応してしまったのはこちらの未熟だと反省する。

気を取り直し、剣先合わないまま自分の間合までしっかり入る。
手順どおり、しっかり入って面を打つ。頭上で防がれる。また稽古中断。
「勢いで打っては駄目だ」「足も歩み足になってる」と言われる。

いやいや、そんなことは無い。まず歩み足にはなっていない。
右左と入って、左足をすばやく引き付け、短いが溜めを作って打ったのだ。

こちらの技が決まったと思っても「打たせてやったんだ」という顔をしている。
面を打ったら返し胴をされるが完全に脇腹に外れる。激痛に耐える。ああ痛い!
振り向いたら勝手に中断して元の位置に帰って平然としていた。

指導が続くのでこちらにためらいが出てくる。やる気も失せる。
気が途切れているところをするすると間合いに入られ面を打たれた。
ドヤ顔で元に戻られる。これも指導のつもりなのか。

最後の最後まで合気の稽古(互角稽古)は無かった。
最後は、なぜか「面を打ってきなさい」と面を空けられ、
面の打ち込みを何本かやらされ稽古は終了した。

その後、拝見していると他の教士七段にも同じように指導をしていた。
「いつ八段に受かったんですか?」と聞きたいぐらいだ。

こちらが四段や五段なら指導されるのもわかる。
今は同じ教士七段で、それなりに経験も積んだし苦労もしてきたつもりだ。
指導の仕方も、上から目線ではなく「先輩としての助言」程度に留めるべきだろう。

七段同士の稽古なら、

剣先を合わせて欲しい。合気になって欲しい。互角の稽古をして欲しい。
真剣な互角稽古をすれば相手の力量もお互いにわかってくる。
気のついた事があれば稽古が終ってから助言すれば良い。
こちらも正しい助言なら素直に受け止める器はあるつもりだ。

途中で中断ばかりして指導って、それは無い。

たまに出稽古などで「強い七段だなあ」と思う人はまず稽古の中断はしない。
稽古を途中で中断し、ペースを乱しまくるベテラン七段は傲慢にしか見えない。
相手を煙に撒いて自分のペースに持っていって満足しているだけである。

稽古中の気構えとして「八段の気位」であることはとても大切だと思う。
しかし稽古を中断して、同じ七段に「八段気取り」で指導してはならない。

自分だけはそうはなるまいと心に誓うのである。
まあ私の場合「遅れてきた七段」なのでそうは絶対になれないのだが。


(記事とは関係ありません・長正館の2017年のアルバムより)
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恒例行事・冬タイヤに交換(スターワゴンとアトレー7)

2020年01月04日 | バイク・クルマ
以前にも書いたが奈良では滅多に雪は降らない。
事実、昨年度は冬タイヤに交換する意味は無かった。
でもしかし、冬タイヤに交換すると安心感は違う。備えあれば憂い無し。

1)事故防止のため、外すタイヤ以外に車止めをしておく。
2)ジャッキアップして、タイヤへの加重を少なくする。
3)対角線順にナットを軽く緩める。
4)タイヤが浮くまでジャッキアップする。
5)夏タイヤを外して冬タイヤを嵌め込む。
6)ナットを手で軽く締める。
7)対角線順に、レンチで先ほどよりも強くだが軽く締める。
8)ジャッキを緩め少し接地させて対角線で強く締める。
9)最後に完全に降ろして最終点検。締め増しするものは締め増しする。
10)空気圧調整。

手馴れているので2台の交換だが一人で1時間もかからない。


(ヨコハマタイヤのGEOLANDER A/TSを、DUNLOP GRANDTREK SJ7に交換)


(デリカの右前輪)


(アルミホイルはさすがにもう寿命かも知れない・・)


(これはダイハツアトレー7のほう)


(アトレー7のタイヤ交換は軽いので楽チンである)


(んん?スプリングのゴムが変!!!)


(スプリングのゴムが劣化しているのを発見した!)


(空気圧調整)

安物の12Vエアコンプレッサは非力で指定の空気圧になるまでは時間がかかる。
まあ、以前は自転車用の手押しポンプだったのでこれでもマシなのだが。

タイヤ交換は忙しくなければ自分でやることにしている。
トルクレンチは持って無い。40年以上の経験と勘で特に問題は無い。
交換する部分に、ジャッキが外れた場合に備え、交換するタイヤを車体の下に入れておくのが望ましい。

ナットの締め付けだが、車屋でもガソリンスタンドでも締め過ぎるところが多い。
以前には、緩すぎる箇所と強すぎる箇所が混在していたことがあった。
自信があるなら自分でやったほうが安上がりだし安心である。
自信の無い人は、タイヤ専門店に頼むのが一番安心できるだろう。


(骨董品に近づいてきたデリカスターワゴン)
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恒例行事・実家での集まり(2020年1月2日)

2020年01月03日 | つれづれ
親父もお袋も亡くなったが実家に1月2日に集まるのは恒例行事である。
お袋の系統(奈良の扇田家)はともかく宴会が好きな血筋で、
昔からお袋の実家には事あるごとに親戚が集まって酒を飲んでいた。
それを引き継いでいるわけである。粕井家の風習ではなく扇田家の風習だ。

年末の12月30日は私の家で餅つきをして酒を飲む。
翌年の1月2日は実家(次兄が継いでいる)に集まって酒を飲む。
だらだら飲んで陽気に話す。楽しい良い酒である。

昨年は昼から始めて夜の10時まで飲んでいた。
諸事情により今年は午後3時から。
お開きは夜の10時頃かな?
実に7時間。集合写真で中締めとなる。


(実家の門前で)






































(恒例の集合写真)








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ブログの始まりは「小さな放送局」が原点

2020年01月02日 | つれづれ
ブログを毎日書くようになったのは一昨年からだったでしょうか?

最初は独り言のような、くだらない日記でしたが、
「読んでるよ」という人がちらほら出始め、少し内容に気を使い始めました。

実はこのブログの原点は小学校の頃なのかも知れません。
あの頃、やりたかったことはこれなのかも・・・と最近になって気づいたのです。

小学校のクラブ活動では「放送クラブ」という部活のようなものに属してました。
朝や昼、下校時の校内放送をするのが活動のメインです。
校内放送は音楽を流し、決まりきったセリフを言うだけでしたが、
曲目は当番に任されていたので「きょうはどれを流そうか?」と楽しんでいました。

活動の合間に3球ラジオという真空管式のAMラジオを組み立てたことがあり、
自分の作った機械が音を出すということが楽しくて、その後、市販のキットで
「小さな放送局:2球ワイヤレスマイク」というものを買ったのです。

小学生ですから「放送局」の文字だけで夢が膨らんでしまい、
2球ワイヤレスマイクがどれほどの性能かも知らずに夢中で組み立てました。


(2球ワイヤレスマイクのイメージ・作ったのもこんな感じでした)

あれこれ苦労して何とかキットは組み立てました。
さっそく翌日から夜の8時から1時間と決めて放送をし始めたのです。
原稿を作り、オープンリールのテープレコーダーを横に置き、流す音楽を決め、
音楽の合間にその日の出来事や感想、雑談めいたことをマイクに向かって話すのです。
自分の言葉が電波に乗って、この夜空を遠くまで飛んでいるのだ・・という感激がありました。

数日たって、この電波がどこまで届いているか心配になってきました。
奈良市内はカバーしてるかな?いや、自宅の周囲、数キロぐらいかな?
そういう疑問が起こり、トランジスタラジオを持って、いざ実験開始です。

自分の部屋から廊下に出たところまでは聞こえました。
しかし台所まで行ったら雑音が多くなって聞き取れません。あれれ?
「家の外なら遠くまで届くのかも知れない」と外に出ましたが駄目でした。

その後、アンテナを窓の外に長く高く張ってみましたがまったく変わらずでした。
けっきょく作った放送局は、せいぜい5メートルも飛ばないガラクタだとわかったのです。

その後、大人になってからアマチュア無線もやりましたが、
あれも放送局のイメージではなく一対一の電話のようなものです。

インスタでもFacebookでも、youtubeのような動画配信でもありません。
実はブログが、小学校の時に思い描いた放送局のイメージに一番近いものなのです。

読んでいる人(=聞いている人)がいるかも知れない・・・
私はどうやら小学生の頃からさほど進歩していないのかも知れません。

出来るだけ続けられるよう頑張ってみます。
今年もこの「小さな放送局」におつき合いください。
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