稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

八段気取りの七段先生について

2020年01月05日 | 剣道・剣術
創作です。一般論です。特定の個人を特定するものではありません。
ただし「あれ?自分のことかな?」と思ったら素直に反省を願います。

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自分よりもずっとずっと前に七段を取った先生の話。
何が困るかと言うと、稽古中に「合気にならない」のだ。

初太刀で相手を試すかのように待っている。攻めを感じない。
待っているので自分の打ち間にすっと入って打ちに行くと防がれる。
構えを解いて「打つべき機会では無い」と言われる。

構えあって対峙しても剣先を合わせない。
合わせないが隙を狙っているのはわかる。合わせないまま色を出してくる。
色を出すので反応すると構えを解いて「そんなところで反応しては駄目だ」と言われる。
ま、確かに動じて反応してしまったのはこちらの未熟だと反省する。

気を取り直し、剣先合わないまま自分の間合までしっかり入る。
手順どおり、しっかり入って面を打つ。頭上で防がれる。また稽古中断。
「勢いで打っては駄目だ」「足も歩み足になってる」と言われる。

いやいや、そんなことは無い。まず歩み足にはなっていない。
右左と入って、左足をすばやく引き付け、短いが溜めを作って打ったのだ。

こちらの技が決まったと思っても「打たせてやったんだ」という顔をしている。
面を打ったら返し胴をされるが完全に脇腹に外れる。激痛に耐える。ああ痛い!
振り向いたら勝手に中断して元の位置に帰って平然としていた。

指導が続くのでこちらにためらいが出てくる。やる気も失せる。
気が途切れているところをするすると間合いに入られ面を打たれた。
ドヤ顔で元に戻られる。これも指導のつもりなのか。

最後の最後まで合気の稽古(互角稽古)は無かった。
最後は、なぜか「面を打ってきなさい」と面を空けられ、
面の打ち込みを何本かやらされ稽古は終了した。

その後、拝見していると他の教士七段にも同じように指導をしていた。
「いつ八段に受かったんですか?」と聞きたいぐらいだ。

こちらが四段や五段なら指導されるのもわかる。
今は同じ教士七段で、それなりに経験も積んだし苦労もしてきたつもりだ。
指導の仕方も、上から目線ではなく「先輩としての助言」程度に留めるべきだろう。

七段同士の稽古なら、

剣先を合わせて欲しい。合気になって欲しい。互角の稽古をして欲しい。
真剣な互角稽古をすれば相手の力量もお互いにわかってくる。
気のついた事があれば稽古が終ってから助言すれば良い。
こちらも正しい助言なら素直に受け止める器はあるつもりだ。

途中で中断ばかりして指導って、それは無い。

たまに出稽古などで「強い七段だなあ」と思う人はまず稽古の中断はしない。
稽古を途中で中断し、ペースを乱しまくるベテラン七段は傲慢にしか見えない。
相手を煙に撒いて自分のペースに持っていって満足しているだけである。

稽古中の気構えとして「八段の気位」であることはとても大切だと思う。
しかし稽古を中断して、同じ七段に「八段気取り」で指導してはならない。

自分だけはそうはなるまいと心に誓うのである。
まあ私の場合「遅れてきた七段」なのでそうは絶対になれないのだが。


(記事とは関係ありません・長正館の2017年のアルバムより)
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