稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

№126(昭和63年2月23日)

2020年08月03日 | 長井長正範士の遺文


〇次にもう一つ、人間の心は次の三層からなっていると言ってよいでしょう。
1)頭→知識(記憶、思考)←頭の世界
2)胸→感情(喜怒、哀楽)←胸の世界
3)腹→意志(行動力、決断力)←腹の世界

以上申し上げました事をもう一度順序よく並べますと、
〇人間の心は自然の心、植物の心、動物の心、人間の心の四つのものが、混じっていると言い、次に孤の心と群れの心という二つの心が絡みあっていると言い、今前述しました“知識、感情、意志”というものが三つの層を作っているという事になりますと、一体どれが本心なのか、わからなくなると思いますが、一つの物体も違った角度から眺めてみますと、いろいろ違った形に見え、心そのものがよりよく、正確につかめるようになるものなのです。



さて、ここで考えなければならないのは、現在の家庭や、学校で行なわれている育児や、教育の様子をよく見ますと、左の図の⇓印に示してありますように、子供に知識や技術の材料を澤山に与え、教え、覚えさせると、子供は自分の意志で、きちんと行動が出来るようになるという考え方で進められているようですが、このやり方では、自然の法則に反した“狂育”になるのではないでしょうか。

なぜかと申し上げますと、孤の心は、“自分の思いのままに、自由に楽しく生きたい”というものでありますから、それがないと、楽しくないし、楽しくないと、“やる気”は出ませんし、従って目も耳も、口も手も、体のすべてが動かないし覚えようとも、考えようともしない、という自然の法則で人間は生きているものなのに、子供自身が求めてもいないし、やる気も起こしていないうちに、そばから“覚えなさい。習いなさい。やって見なさい。”と押しつけ迫るわけですから、子供は次第に自分の意志を無視され、不快感が大きくなり、それが、感情の方を波立て、イライラや、怒りを作り、やる気の出る意志には、“いやだ!やりたくない、やめた”などという方向の気が生まれ、そのような行動をとるし、肝心の知識や技術を覚えようとはしないし、折角覚えた知識や技術も使おうとしなくなるという結果になってしまうのであります。

そうではなくして、正しい教育を進める上で、一番大切なのは“意志”であり、意志の別名“やる気”なのだと腹の底から知っておかなくてはならないのであります。これはこの図の⇑印のように、子供の意志、やる気というものを大切にするように触れていると、子供は自分の考えを親や教師が認めてくれた、許してくれた、と満足し、楽しくなり、それが感情を落ち着かせ、“よし、やったろう”と行動を起こし、目的の物事にぶっつかって行くものです。そしていろいろと自分で工夫し、いろんな失敗を重ね乍ら、知識や技術や才能といったものから、人と人との正しい触れ方や、生活の正しい習慣などを頭や体に楽しく覚え込んでいくし、今迄に覚えた知識や、技能などを、どんどん楽しく使い伸ばしていくものです。

私(長井)は以上の観点から、ただ道場内の少年剣道指導だけでなく、本人孤孤の性分を他方面から観てやるため、演芸会をやり(親子混じえて)本人の新しい面を見つけ、剣道は不器用だが、こんないい所があったのかと発見し、その良い点を剣道に生かして指導しております。やる気を起こし、剣道をやめず、続けてやろうとよろこんで、浮き浮きした顔で、下手乍らもやっている姿を見て、ああ、よかったと陰でそっと眼がしらを拭うのです。本当に子供は可愛いいものです。ご参考まで。この項終り。
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