稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

№102(昭和62年11月15日)

2020年03月31日 | 長井長正範士の遺文


以上、前項の隋と、この機(隋機)は絶想から自然に生ずるので、そこに到達する秘訣は、日夜組太刀の稽古に励み、不撓不屈の精神で、各技の勝機を見出し、理に順って打込む修行を積み重ねることに「あります。かくして真鋭無比な剣の道に叶い、順理の徳を得て、あたかも池中の蛟竜が風雲を得て、蒼穹に昇るように、聖賢が世紀の大転機に乗って現れ出るように、われも亦、神機を得て、永恒純一の一刀流の功用を顕現することになるのである。と教えられています。

尚又、一刀流では〇心機一元ということを力説されています。それは、太刀技というものは、心、気、理、機、術の五格の上に立っている。これを説明すると、先ず人を司どるのは心であります。(※この心については№61、62、№94、95に述べていますが更に一刀流でじは)心と気とは本来一元である。心は実であって静である。気は用であって動である。心は動きの潜勢力であり、気は能動力である。心を水にたとえると、気は液であると表現しています。

この気なくしては機をとらえる事は出来ません。尚、気理一合と言って、気の雄渾な大勢がよく理に合してこそ大勝を得ると言ってあり、理機一閃機術一致の大切さを述べてあります。更に申し上げますと、一刀流では、真剣勝負には、先ず心を清明にして、敵状を知悉し、真情実意を一つにし、気を満たし、豪快雄渾な気合をもって理を捉え、深遠微妙な理の中に機を掴み、一瞬に現滅する神機に投じて精妙の術を施し、以って必勝の功をあげるのである。と教えられています。

以上、機について笹森順造先生のお説を申し上げましたが、私自身まだまだ未熟で守、破、離の守りの域を脱せず、又解説も舌足らずで一刀流修行中の皆さんに満足して頂くまでに至りませんが、おいおいお互いに研修して先祖様の霊に報いるべく努めて行きましょう。この項これで終わります。

さて心は水にたとえられたついでに申し上げておきます。

一刀流では、〇一刀湛水と言いまして大事なことを述べてありますので、次に申し上げておきます。
水は方円の器に湛え、深淵に湛え、大洋に湛えて、自らの形に居付くことが無い。無形無相である。この水が一度緑にあえば、緑玉よりも緑に、紅葉にあえば紅玉よりも紅く輝く、一滴のしずくが玉となって、丸く万酙の大海が淼々(びょうびょう=水の広く満ちたさまをいう)として又、丸い。これは水の性が満ちたら、わいて欠ける所がないからである。無心に湛えた桶の水が桶の針ほどの隙があると忽ち奔り出る。これは湛水の性である。

一刀を無形無相と教えるのは、敵に従って転化し、八方に進出して浸透し、円満具足して円相を象(かたどら)らせるためである。欠ける所なく、満ち足る性を本然とするから、敵に針ほどの隙があると、そこをのがさず忽ち切込み、決して許すことが無い。又わが内心の欠陥を補い補いして、円満に具足するために精進する。自らを補い補いして円相に達し、主心を発露して欠ける所がなくなり、初めて転変流露し、無碍自在となり常勝の士となる。ここが一刀湛水の極地である。と教えています。

以上で一刀流の心と水のお話を終わりますが、話のついでに財団法人船舶振興会の会長でもあり、財団法人日本顕彰会の会長でもある笹川良一氏(他に多数の会長をされて世界中に活躍貢献されている偉人)がこの水について述べられており、私共剣道を志す者にとって大変教えられ、笹川良一氏の高潔な人格の一端を伺うことが出来ますので次に申し上げておきます。

笹川良一氏の〇水六訓と題して(№103へ)
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