嫌札幌~札幌が嫌いなブログ

札幌生まれ、札幌育ち、札幌在住な私が札幌を批判します。札幌嫌いな人集まれ!

札幌市内の某起業セミナーに参加した時の話

2014年08月07日 02時49分03秒 | 嫌札幌
札幌が嫌いなブログを作る以前の話です。


私が自営業を始めた頃に札幌市内の某起業セミナーなるものに参加したことがあった。

同じ志を持ったもの同士で様々なアイデア、ヒント、サクセスストーリーの要素を掴めるんじゃないかと楽しみに期待しての参加だった。

確か何日かに分けてテーマ毎に先生が行うセミナーがあり、最終日には先生と参加者を何グループかに分けてゼミ形式で話し合う場が作られた。

私が割り振られたグループは5~6人くらいで、私ともう1名の中年女性以外を除けば全て40~50代風の札幌人オジサンであった。

皆、起業を志す者同士、前向きで大人の話し合いになるのかと思ったりもしたが現実は甘くなかったことを今でも凄くよく覚えている。


各自自己紹介から始まり自分の起業プランなどを語った上で話をしていくのだが、

まず誰一人としてそのプランの成功方法を見つけようとしないことに大人(札幌人?)のくだらなさを感じた。

起業セミナーなのだから「上手くいくにはどうすれば良いのか?」 その方法を模索して前向きな方向性を見つめていく場だと私は思っていたのだが…

出てくるのは「そのプランが本当に上手く行くのか?」という穴探しであり「上手くいかない理由探し」をしているようにすら感じられた。

というか前向きな成功方法を見つけようという発想が基本的にないせいか必然的に穴探しという形で脚の引っ張りあいになってしまっているようにも見える。


ちなみにそのグループでの話し合いの中では私のプランが1,2番に盛り上がりました。悪い意味で。

単なる被害妄想でなければ「若者の絵空事」という風に当時の一部の参加者たちは感じていたのではないだろうか。

私としてはそれが上手く行く方法、手段、新しい発見や知恵が純粋に欲しかっただけなのだが…その様な収穫は殆ど無かったのが現実だった。

中でも一人の札幌オジサンに凄く粘着をされたことは今でも忘れていない。

一つ一つ、穴探しをするように私に質問を投げかけてくるのだが堂々と答えたところで最後まで納得をしていただけなかったようだった。

またその質疑応答の中から、私がやろうとしていたプランの真似事みたいなことを、その札幌オジサンが以前にやった経験があるということを実際の経験者である私だけは気づいたことも覚えている。

なので「ああ、この人は自分でそれをやってみて思うように上手くいかなかったからここまで私に粘着をしてくるんだな」と納得した覚えがある。だったらそれを言えばいいのに。

年齢は関係ないのかもしれないが、大の大人(しかもオジサン)がそこまでして若者(当時の私)を引きずり落とそうとする姿が実に情けない。

何故に寛容になることができないのか、前向きにお互い頑張ろうという姿勢になれないのか、今思い出しても実に嫌な気分にさせられてしまう。

最後の最後まで私に対してその札幌オジサンからの前向きなアドバイスやアイデアなども一切ありませんでした。


そんな風に私のプラン発表が悪い意味で1,2番に盛り上がってしまったのですが全体的にも程度の差はあれどそんな感じです。

「どうすれば上手くいくのか?」という成功することを前提にした前向きな意見が全く出てこないのです。

かろうじて良かったことはグループを担当した先生がアイデア等を与えてくれたくらいでしょうか。

それを差し引いてもハッキリ言って時間と参加費の無駄だったと思います。

同じ志を持ったもの同士が集まってみて刺激を受けてモチベーションを向上させていくという意味では良かったのですが…

具体的な知識、アイデア、新たな発見などに関してはプラスどこか寧ろマイナスでした。


上記に書いてきたことはそのグループだけに限った話ではなく札幌社会全般においても決して珍しくない光景だったと思っています。

札幌社会の札幌人の陰湿陰険な田舎思考が形になって表れていたシーンではないでしょうか。

実際に私がこのようなパターン展開に遭遇したことは1度や2度や3度のことではありません。

出る釘は打たれるを体現しているのが札幌社会だと私は感じています。

なので自分を出せない。個性や自分らしさを失ってしまう。センス、才能が潰されてしまう。

そのような悪循環が札幌社会を魅力の無い無個性なつまらない街にしているんだと思います。

自分らしさを殺すことが生きる手段の街、札幌

自分の人生を自分らしく生きたい私は手段の一つとして、そんな札幌社会に見切りをつけました。

こんなことがありましたの続き

2014年08月06日 19時40分54秒 | 嫌札幌
今日、1件の連絡がありました。

もう1ヶ月以上前の話ですが、私のところに仕事をお願いをしたいと札幌市内にある企業様から言っていただけました。
参照:こんなことがありました

私のところにお願いをしてもしなくても連絡する旨を聞いていましたが、その連絡が今日来たのです。

私の中では既にこの件のことは消化しており、もう1ヶ月以上経っていたので他の業者様にお願いをしたのかなと結論付けていました。

また私の中でその件に関して今後に同じようなことがあった場合はどのように対処をするのかとか、私自身のその時の振る舞いや対応なども含めて今後に生かせるようにするだけだと私の中ではリセット済みでした。


ただ今日は電話を受けて1ヶ月以上前の前回の事を思い出した瞬間は正直複雑な気分でもありました。前回があまり綺麗な形ではなかったからだと思います。

正直、断りたいという気持ちもなきにしもあらずでした。

そう思ったときは私も決して(社会人、商売人として)出来た人間ではないと改めて再認識をした瞬間でもあります。

今でも「もしかしたら何か罠でもあるのじゃないか」という疑心暗鬼な気持ちだってなきにしもあらずです。

気分だけで言えば凄く嫌な感情です。


しかしこれもある種のチャンスのようにも思います。

結局は私に未領域の社会勉強をさせてもらえたということですし、

それはズバリ間接的にも札幌社会の攻略法に繋がる勉強になると思うからです。

札幌社会を攻略したその先には私が心の底から熱望をしているネオ札幌人(*)があると思っています。

そしてこの1件を完全にクリアした時には仕事上の利益だけではない何らかの収穫もあると思います。


そんな感じで自分の感情と思考が矛盾しあって複雑な気分であります。

私ではない他の人間に頼むという方法もあるのですが、引き受けるのなら私でないといけない気がします。うまく言えませんが。


ちなみにですが、ここで依頼を丁重にお断りすることは決して悪いことだと私は思っていません。

そういう意味で結局のところは断る勇気、避ける勇気も無く、断れるほどの立場に無いのも事実です。

多分だけど、ネオ札幌人くらいにならないと断ることはできないんだと思う。多分だけど。

今は頑張るしかないのか。。。 by札幌が嫌いな管理人


*ネオ札幌人とは?
→札幌に住みながらも札幌社会の悪影響を受けず札幌社会の土俵に立たずして札幌社会の好影響を受けて札幌社会を楽しむことが出来る大多数の典型的札幌人とは違う特権階級的存在。

深夜ドライブから帰宅

2014年08月05日 03時01分43秒 | 嫌札幌
深夜ドライブは私の最高の至福の一時である。
(参照:石狩方面に深夜ドライブ 深夜ドライブから帰宅 )

大嫌いな札幌社会に住む上で時に発散することは重要だろう。

今夜も深夜ドライブを楽しんでから先ほど帰宅しました。

ちなみに深夜ドライブの行き先は基本的に札幌市内ではなく札幌近郊地域に行くようにしています。

今夜も石狩方面の奥のほうへと行ってみたのですが…何となく不気味な感じがしました。深夜だからでしょうか。

何かがいそうな、何かが出てきそうな、そんな雰囲気が大有りでした。特にそういう霊感とかがあるわけでもないのですが。

最近は良くも悪くも日頃の札幌生活で刺激が無いからか多少は無理をしてでも、そう感じたいのかもしれません。


そういえば札幌市内の大体の心霊スポットは今より若い時に暇に任せて殆ど回ったと思います。

いや、もう行きたいとは思いません。

何かあったら困るし怖いし(笑)

そういえば札幌南区とか妖怪が居るとか何とか見たことがあったなー。。

個人的には手稲山には何かが居そうな気がしています。


札幌が嫌いな管理人、やることは多くても精神的に暇ボケした生活を送っているようです。


札幌社会の土俵の先には

2014年08月05日 00時20分25秒 | 嫌・札幌プロジェクト


暇に任せて久々にイラストを描いてみました。笑っていただければ幸いです。

私が悪しき札幌社会の例えで記事に出している「札幌社会の土俵」です。

ネオ札幌人(*)は大抵この「札幌社会の土俵」に入っていません。

たまぁに下界(札幌社会)を観察するように現れるくらいです(想像)

私の憧れ、それがネオ札幌人です。


*ネオ札幌人とは?
→札幌に住みながらも札幌社会の悪影響を受けず札幌社会の土俵に立たずして札幌社会の好影響を受けて札幌社会を楽しむことが出来る大多数の典型的札幌人とは違う特権階級的存在。




本当に、こんな札幌に誰がした!?

2014年08月03日 14時01分51秒 | コメント考察

(TOPページ「読者の皆様へ」2014-07-03 04:47:16に頂いたコメントより)


((TOPページ「読者の皆様へ」2014-07-03 04:47:16に頂いたコメントより 最初の6行))



こちらに頂いたコメントは昔の札幌と現代の札幌の違いがわかる貴重なコメントです。

こちらのコメントを読んだときは私の中の札幌という生まれ故郷の懐かしさを感じた瞬間でもありました。

私が幼少期の頃は父親に連れられて札幌駅ー大通り方面をよく歩いたものです。

その頃は札幌も平成初期の時代でしたが(昭和末期生まれの私が共感できるということは)こちらのコメントの方が書いてあるような昭和末期の空気が程度はあれどまだ残っていたのだと思います。


>>対、人との係わり、モギリ、駅内・ホーム放送も生の肉声と人の往来も活気で今のようにすれ違う人間が冷めておらず、温かみがあり、人情味もあった。
>>駄菓子屋さんの商店もあり、買い物に行くたびに頭をなでてもらったり、声をかけてもらったり、サービスしてもらったりしていた。
>>その当時、本当に温かみがあった。いまでは見る影もない。

全くだと思います。今の札幌社会を見渡すと信じられないかもしれませんが、その当時はまだ札幌社会にも温かみがあったのでしょう。

一体何故、何時から、誰がこんな札幌にしてしまったのか…。

私が幼少期ながらも「すれ違う人間が冷めておらず、温かみがあり、人情味もあった」札幌社会を感じ、当時の札幌社会を知っている者としては本当に寂しい限りです。

その当時の札幌社会が私の故郷です。

現代の札幌社会はもう私の故郷ではなくなりました。

同じ札幌でも全くの別物に変わってしまったからです。

本当に寂しい限りです。


>>子供の頃乗っていた地下鉄 当時は乗ることが楽しみだったのが今では乗ることさえ気分が悪い。これも思い出深かった。

私も地下鉄が大好きでした。そして愛着がありました。

幼少期に街中に行くときによく乗せられた地下鉄、小学校の遠足で乗った地下鉄…

今では大嫌いになってしまいました。

好きだった地下鉄、愛着のあった地下鉄をこれほど積極的に避けるようになるとは思ってもいませんでした。
参照:昨日、1年ぶりに地下鉄に乗りました


>>子供の頃よく知る風景、思い出が打ち壊されていき、新しい姿に懐かしさを感じないのがさらに愛着を薄くしていってるように感じます。

そうですね。この札幌はもう私の故郷ではなくなってしまったのです。

さようなら。私の札幌。