札幌が嫌いなブログを作る以前の話です。
私が自営業を始めた頃に札幌市内の某起業セミナーなるものに参加したことがあった。
同じ志を持ったもの同士で様々なアイデア、ヒント、サクセスストーリーの要素を掴めるんじゃないかと楽しみに期待しての参加だった。
確か何日かに分けてテーマ毎に先生が行うセミナーがあり、最終日には先生と参加者を何グループかに分けてゼミ形式で話し合う場が作られた。
私が割り振られたグループは5~6人くらいで、私ともう1名の中年女性以外を除けば全て40~50代風の札幌人オジサンであった。
皆、起業を志す者同士、前向きで大人の話し合いになるのかと思ったりもしたが現実は甘くなかったことを今でも凄くよく覚えている。
各自自己紹介から始まり自分の起業プランなどを語った上で話をしていくのだが、
まず誰一人としてそのプランの成功方法を見つけようとしないことに大人(札幌人?)のくだらなさを感じた。
起業セミナーなのだから「上手くいくにはどうすれば良いのか?」 その方法を模索して前向きな方向性を見つめていく場だと私は思っていたのだが…
出てくるのは「そのプランが本当に上手く行くのか?」という穴探しであり「上手くいかない理由探し」をしているようにすら感じられた。
というか前向きな成功方法を見つけようという発想が基本的にないせいか必然的に穴探しという形で脚の引っ張りあいになってしまっているようにも見える。
ちなみにそのグループでの話し合いの中では私のプランが1,2番に盛り上がりました。悪い意味で。
単なる被害妄想でなければ「若者の絵空事」という風に当時の一部の参加者たちは感じていたのではないだろうか。
私としてはそれが上手く行く方法、手段、新しい発見や知恵が純粋に欲しかっただけなのだが…その様な収穫は殆ど無かったのが現実だった。
中でも一人の札幌オジサンに凄く粘着をされたことは今でも忘れていない。
一つ一つ、穴探しをするように私に質問を投げかけてくるのだが堂々と答えたところで最後まで納得をしていただけなかったようだった。
またその質疑応答の中から、私がやろうとしていたプランの真似事みたいなことを、その札幌オジサンが以前にやった経験があるということを実際の経験者である私だけは気づいたことも覚えている。
なので「ああ、この人は自分でそれをやってみて思うように上手くいかなかったからここまで私に粘着をしてくるんだな」と納得した覚えがある。だったらそれを言えばいいのに。
年齢は関係ないのかもしれないが、大の大人(しかもオジサン)がそこまでして若者(当時の私)を引きずり落とそうとする姿が実に情けない。
何故に寛容になることができないのか、前向きにお互い頑張ろうという姿勢になれないのか、今思い出しても実に嫌な気分にさせられてしまう。
最後の最後まで私に対してその札幌オジサンからの前向きなアドバイスやアイデアなども一切ありませんでした。
そんな風に私のプラン発表が悪い意味で1,2番に盛り上がってしまったのですが全体的にも程度の差はあれどそんな感じです。
「どうすれば上手くいくのか?」という成功することを前提にした前向きな意見が全く出てこないのです。
かろうじて良かったことはグループを担当した先生がアイデア等を与えてくれたくらいでしょうか。
それを差し引いてもハッキリ言って時間と参加費の無駄だったと思います。
同じ志を持ったもの同士が集まってみて刺激を受けてモチベーションを向上させていくという意味では良かったのですが…
具体的な知識、アイデア、新たな発見などに関してはプラスどこか寧ろマイナスでした。
上記に書いてきたことはそのグループだけに限った話ではなく札幌社会全般においても決して珍しくない光景だったと思っています。
札幌社会の札幌人の陰湿陰険な田舎思考が形になって表れていたシーンではないでしょうか。
実際に私がこのようなパターン展開に遭遇したことは1度や2度や3度のことではありません。
出る釘は打たれるを体現しているのが札幌社会だと私は感じています。
なので自分を出せない。個性や自分らしさを失ってしまう。センス、才能が潰されてしまう。
そのような悪循環が札幌社会を魅力の無い無個性なつまらない街にしているんだと思います。
自分らしさを殺すことが生きる手段の街、札幌
自分の人生を自分らしく生きたい私は手段の一つとして、そんな札幌社会に見切りをつけました。
私が自営業を始めた頃に札幌市内の某起業セミナーなるものに参加したことがあった。
同じ志を持ったもの同士で様々なアイデア、ヒント、サクセスストーリーの要素を掴めるんじゃないかと楽しみに期待しての参加だった。
確か何日かに分けてテーマ毎に先生が行うセミナーがあり、最終日には先生と参加者を何グループかに分けてゼミ形式で話し合う場が作られた。
私が割り振られたグループは5~6人くらいで、私ともう1名の中年女性以外を除けば全て40~50代風の札幌人オジサンであった。
皆、起業を志す者同士、前向きで大人の話し合いになるのかと思ったりもしたが現実は甘くなかったことを今でも凄くよく覚えている。
各自自己紹介から始まり自分の起業プランなどを語った上で話をしていくのだが、
まず誰一人としてそのプランの成功方法を見つけようとしないことに大人(札幌人?)のくだらなさを感じた。
起業セミナーなのだから「上手くいくにはどうすれば良いのか?」 その方法を模索して前向きな方向性を見つめていく場だと私は思っていたのだが…
出てくるのは「そのプランが本当に上手く行くのか?」という穴探しであり「上手くいかない理由探し」をしているようにすら感じられた。
というか前向きな成功方法を見つけようという発想が基本的にないせいか必然的に穴探しという形で脚の引っ張りあいになってしまっているようにも見える。
ちなみにそのグループでの話し合いの中では私のプランが1,2番に盛り上がりました。悪い意味で。
単なる被害妄想でなければ「若者の絵空事」という風に当時の一部の参加者たちは感じていたのではないだろうか。
私としてはそれが上手く行く方法、手段、新しい発見や知恵が純粋に欲しかっただけなのだが…その様な収穫は殆ど無かったのが現実だった。
中でも一人の札幌オジサンに凄く粘着をされたことは今でも忘れていない。
一つ一つ、穴探しをするように私に質問を投げかけてくるのだが堂々と答えたところで最後まで納得をしていただけなかったようだった。
またその質疑応答の中から、私がやろうとしていたプランの真似事みたいなことを、その札幌オジサンが以前にやった経験があるということを実際の経験者である私だけは気づいたことも覚えている。
なので「ああ、この人は自分でそれをやってみて思うように上手くいかなかったからここまで私に粘着をしてくるんだな」と納得した覚えがある。だったらそれを言えばいいのに。
年齢は関係ないのかもしれないが、大の大人(しかもオジサン)がそこまでして若者(当時の私)を引きずり落とそうとする姿が実に情けない。
何故に寛容になることができないのか、前向きにお互い頑張ろうという姿勢になれないのか、今思い出しても実に嫌な気分にさせられてしまう。
最後の最後まで私に対してその札幌オジサンからの前向きなアドバイスやアイデアなども一切ありませんでした。
そんな風に私のプラン発表が悪い意味で1,2番に盛り上がってしまったのですが全体的にも程度の差はあれどそんな感じです。
「どうすれば上手くいくのか?」という成功することを前提にした前向きな意見が全く出てこないのです。
かろうじて良かったことはグループを担当した先生がアイデア等を与えてくれたくらいでしょうか。
それを差し引いてもハッキリ言って時間と参加費の無駄だったと思います。
同じ志を持ったもの同士が集まってみて刺激を受けてモチベーションを向上させていくという意味では良かったのですが…
具体的な知識、アイデア、新たな発見などに関してはプラスどこか寧ろマイナスでした。
上記に書いてきたことはそのグループだけに限った話ではなく札幌社会全般においても決して珍しくない光景だったと思っています。
札幌社会の札幌人の陰湿陰険な田舎思考が形になって表れていたシーンではないでしょうか。
実際に私がこのようなパターン展開に遭遇したことは1度や2度や3度のことではありません。
出る釘は打たれるを体現しているのが札幌社会だと私は感じています。
なので自分を出せない。個性や自分らしさを失ってしまう。センス、才能が潰されてしまう。
そのような悪循環が札幌社会を魅力の無い無個性なつまらない街にしているんだと思います。
自分らしさを殺すことが生きる手段の街、札幌
自分の人生を自分らしく生きたい私は手段の一つとして、そんな札幌社会に見切りをつけました。