Y's クロニクル

旅行等の一生思い出に残る事から日々の小さな出来事まで少しずつクロニクルに残せたら・・・と思っています。

運が良いとか、悪いとか・・・

2012-03-15 16:47:17 | 日記

私はくじ運がない。一度、商店街の年末くじで伊豆旅行を当てた事が
あったけれど。ずーいぶん昔、農学部前商店街で引いたくじで伊東の
温泉で一泊旅行が当たった!しかし日程が合わず、なお且つお年寄り
ばかりが参加者でペアで参加ではなかったので、なんともね~。
商店街の方はせっかく当たったのだからペアでも良いと言って下さったけれど
なんといっても日程が合わなかった
これは運が良かったのか?不必要なアタリは「運」ではない

未だに年賀はがきの抽選も良くて切手シート。一度だけふるさと小包が
当たったな~ 従兄弟の家はウチより届く年賀状は少ないのに
毎年、何枚もの切手シートやそれ以上の物が必ず当たっていた。

妹は私よりもかなりの確率で「くじ物」に当たる。子供たちの中では
長女がなんだか「くじ物」ではよーく当たる。
何かに対する「運」という物がある気がするんだよね~。

「運」をgoo辞書で調べてみると・・・
○人の身の上にめぐりくる幸、不幸を支配する、人間の力を超越した働き。
○よいめぐりあわせ。幸運。とある。

3月13日の私のブログでこんなコメントを頂いた。

>運のいい時期と悪い時期というのがあると思うのですよ……
人生、長い……おしなべると、平均する気がするのです
雨男、雨女も一緒で、その時期がある(←関係ないか)
前向きでいることが大事なのかな~?

ながーい人生「運」も平均化するのだろうか?
確かに個人を絶対化すれば運にもいい時期と悪い時期はあるような気はする。
そんな実例が今年あった。夫がセブンイレブンのくじで必ず商品をもらってきた
時期が昨年の末にあった。なので夫は空くじがないと思っていたそうだ。
その時期、私は頭にくるぐらい当たらなかった
いつもなら、何かしら一度くらいは当たるのに
しかしこの良い時期悪い時期というのは個人の中では・・と言う事。

運ってツイてるって事かな~?
考えもしなかったような幸運が舞い込む。なんらかのネガティヴな材料が
あるにも関わらず、希望する事が希望通りに何かの助けによって実現する。
こういうのって運が良いとかツイてるとか言うのだろう。
願う事が自分の努力によって叶えられるならそれは運ではないよな~
そのなんらかの力によってもたらされるツキって「前向きでいる事」とは
関係のない気がするのよ。

とにかく、運がいい人っていると感覚的に思う。
ただし、運が良いのと幸福なのは違うのではないかとも思うんだよね。
「幸運」と「幸福」は似て非なるものではないかと感じるんだ。

例えば、亡くなったホイットニー・ヒューストンは「運」はあったと思うの
どんなに歌が上手くて才能があっても、アメリカのショウビズ界は厳しいから
そこでの出会いとタイミングがあってこそヒットにも恵まれスターダムに登れる。
やっぱりツイていた人。もし時代が少しでも違えばそうはならなかったかも知れない。
そういうタイミングで登場できたというものツイている。強運だ。
しかし私生活ではあのような事で幸福ではなかった

「幸福」は個人個人の心の持ちようで、不幸にもなるし幸福にもなるんじゃないかな。
人間が関われるのはこの「幸福」という部分だと感じる。
ツイているのに不幸な人。ツキはないけれど幸福な人っているんじゃない

ある映画の中で主人公が面白い話をしていた。
ペシミストとオプティミストの話。ある研究でペシミステックな人が宝くじで5億円当てた。
またあるオプティミストな人が事故で半身不随になった。その人達の数年後の
変化を観察すると、宝くじ長者は数ヶ月ですぐにペシミストに戻った。
半身不随になった人は年月を経て絶望から這い上がり、明るい性格にもどり
幸福に暮らしている・・・という話。

なので幸福は前向きでいるほうが手にいれやすい。しかし「運」が良いかは、
なんとも言えないでしょう。

運は長い目で見れば平均化するのでは?という推論は私にはわからないけれど、
だってね、ある事に対してどの位の頻度で幸運が訪れれば「運」が良いといえるのか
統計的な事がわからないから。人間の一生って長くて100年でしょ?
どこで区切ればその有効的な結果がでるのか?

しかしね、宝くじの一等を複数回、当てた人がいるわけでしょ。くじ運がその人は
良いと思う。おなじ回数、買ったってそうはいかないでしょうから。
もっと長く生きられて数え切れないほど宝くじを購入出来ればそのような事も
統計的に起こるかもだけれど。

当たる確率を考えると答えはでるけれど、平均化して出現するわけではなく
ランダムなので、そのランダムな物が丁度、当たった人が生きている間に
固まって起きた・・その事がやはりその人の「運」を証明していると思うんだ。
普通の人はあと150年位買い続けて2度ほどあたるかも・・という推論は
できても実際は当たらないわけだから。

やはりどんなジャンルでも第一線で活躍している人、スターと呼ばれる人は
ある部分の「運」を持っているのだと思うな~。
学者だってノーベル賞もらえる学者ともらえない学者がいる。
どちらも努力して辛抱強く研究してきた。しかし運がある学者には偶然の
発見が訪れ、時代もその発見を必要とする時期だった・・という違いだけでしょ?
これも典型的な運だよね。「成功」って「運」のひと押しがなければ「大成功」
にはならないのではないかな~。それは自分ではどうにもならない事・・・
ただ何かを成し遂げても幸福とは限らない。

今回、頂いたコメントからこのような事を考えて、少し目の前が開けました
コメントを読ませていただいた時に、今までにない何か・・が閃いたのは
きっと「幸運」と「幸福」は違うのだと気がついた事。
いままで、私には「運」がないと思っていたけれど、幸福なら自分で
手に入れられそうだと気づきました


 


 


最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
おお、哲学者誕生? (どりー)
2012-03-16 09:18:14
予告のあった運のお話、ありがとうございます
なるほど~、幸運と幸福は違う、というのに納得いたしました。深いなあ……。
で、幸福には前向きな気持ちが作用するというのも、なるほど~

ただ、宝くじは運のような気がするけれど、ノーベル賞の例えはちょっと違う気がいたします……
ちょいとコメントが長くなりそうですが
発見は、運が付きものかもしれないけれど、その発見のための努力の月日があるわけで……。偶然に違う発見をしたとしても、それとは関係のないところでたゆまぬ研究があったわけで……。
当時は報われなくても、時代がやがて追いつくかもしれず、忘れた頃に注目を浴びるのもよくあることで。そういった時には、「ようやく時代が私に追いついたね、フフフ」ということにもなり……。でも、それは死後かもしれない

ところで、生きている時はだめで、死後に認められるのは、運がなかったというのかな~
本人は不運でしょうね……。でも私は、死後に認められたら幸運と思うかも
だから、おしなべて運は平均すると思うのかも。

関係ないけれど、私は学生時代に懸賞のバイトをしたことがあります。
沢山の応募ハガキの中から、結構高い確率で掴み取っちゃうハガキって、あるんだって~
で、「またこの人のハガキ、引いちゃったよ」と、ボツ……
ランダムに引くと、なぜか偏る。それがむしろ不自然に見えるので、自然に見えるように、当る地域とかを散らばらせたり……
でも、もっと驚いたのは、ハガキに住所とか氏名とか書かずに応募している人の多いこと
そういう人が当っちゃったら、「バイトのあんたの名前、書いとき」と言われました~
人は気がつかずに運を逃しているのかもな~
返信する
カリストテレスと呼びたまえ! (かりー)
2012-03-16 10:15:11
ドリーさん。

こんなグダグダのただ長いだけのブログを読んでいただき
ありがとうございました
私、ドリーさんの文章講座(高座じゃないよね
の通信にでも入れて頂きたいと切に思っているんですよ

>それとは関係のないところでたゆまぬ研究があったわけで……。

だからさ〜他の研究者だってたゆまぬ努力をしてるって
並外れた頭脳でどんなに努力したからって
新発見にそれも役に立つ新発見に繋がるとは
限らないわけよ〜
気がついたら時代遅れとかさ

>でも私は、死後に認められたら幸運と思うかも

誰が思うのよ?思う意識は消滅しているのに
やはり意識が顕在化している期間で考えなくては意味なくない?
ラスコーの絵みたいに何万年か後に自分の書いた絵が評価うけて、
嬉しいのかな~

フ、フフ・・・ここで魂があるとして無限に
思考できるのだろうか
基本、私は死んだら何もないと考えているのですが、これだけはワカラン
スエーデェンボルグも研究しますか

>結構高い確率で掴み取っちゃうハガキって、あるんだって

おもしろーいやっぱりあるんだ~。
なんでも経験は大事ね、こんな話も聞かせていただける
返信する
この話題は面白いですね~ (どりー)
2012-03-16 11:38:43
ううむ……
反論しちゃおうっと

>並外れた頭脳でどんなに努力したからって新発見にそれも役に立つ新発見に繋がるとは限らないわけよ~
>気がついたら時代遅れとかさ

私はそれを「運」ではなく、要領が悪い……と言っ切っちゃいますよ

>ラスコーの絵みたいに何万年か後に自分の書いた絵が評価うけて、嬉しいのかな~
さあて……?
描いた人の意識によるかも?
その場で喜んでくれている人がいて、嬉しいと思って描いているのかもだし、その場でけなされて、怒ったかもだし……
でも、「そのうちわかってくれる人が出てくるわい!」と思っていたかもだし……

現生の利益を求めるか、来生の利益を信じるか……と、宗教になるのかもですね~
でも、私は、来生を信じているわけではないけれど、自分の作品は残ると思っています。私が死んで、忘れられても、いつかまた誰かが、見つけると思っている……
嬉しいとか嬉しくないとかじゃなくて、当然のこと、という感じかな~?
ある種、クリエイターの信念なのかもですね~
ちなみに、薬の研究をしている私の知人は、自分が生きている間に発売はないだろうと言っています

結構高い確率で掴み取るハガキって……もしかすると、実は沢山出している人なのかもですよ
目立つように、ハガキの横に色を塗る……な~んてハガキもあったけれど、これも抽選する人の気持ちによる。目立つから引く場合もあれば、目立つから避ける場合もある。
そういう意味じゃ、どの人が引くのかが、運なのかもですね~。

この話、面白いからちょ~っと自分のブログでも考えてみようかなと思いますわ~
返信する
運だけにうんうん唸る。 (かりー)
2012-03-16 23:06:39
アリストテレスとの対話とか禅問答とか対話集の意義がわかりました。焦点が絞れてくるものね

>私はそれを「運」ではなく、要領が悪い……と言っ切っちゃいますよ

それは同じ時期に同じ研究をしている場合のみに言える事ではなーい?
ここで取り上げたノーベル賞級の研究はバトンで繋がれる性質のものだと思います。あらゆる研究テーマのどのバトンをどの時期に受け取るか?受け取る事ができるか?
要領の悪い人は棄権組のバトンを受け取ってしまう?要領のいい人だけが一等賞のアンカーのバトンを受け取る?研究という性質からそうではないと思うけれど、ここを今のところキチンと説明できないのがじれったーい

「運」の定義が曖昧なんだな~きっと
一つ運の定義で思う事は、自己満ではなく客観的にも「運が良い」と認められるものというのが大前提だと思うのです。それがちっぽけな運にしても強運と呼ばれるものにしても。

>描いた人の意識によるかも?
>いつかまた誰かが、見つけると思っている……

また「うん、うん」唸ちゃうけれど、意識とか信念とかって絶対的な物なのでカテゴリー的には「幸運」に含まれるものではなく、「幸福」のカテゴリーに含まれるとワタクシは判定いたしまーす幸福って個人の心が充足すれば良いわけですから。
やっぱり生きている間になんらかの「ギフト」があるのが「運」だと。
ただ、「ギフト」を最後まで信じられるならそれはその人にとって「幸福」だとは思います

返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。